かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

天変地異、激動時代の乗り越え方

2011年04月17日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

幕末の1850年代は、大きな災害をもたらす地震のあいついだ時代でした。
その代表が安政の江戸地震です。

(以下、引用)

1853年(嘉永六年)3月11日には、小田原付近を震源とする地震(M6.7)で、小田原の城下町を中心に、全壊家屋2000戸以上、死者24人をだした。
1854年(安政元年)7月9日には、伊賀上野付近を震源とする地震(M7.25)が発生、上野で2000戸あまり、奈良で400戸あまりが倒壊し、1,500人以上の死者をだした。この地震は、木津川断層の活動によるものと考えられる。

そして同じ年の12月23日と24日、安政東海地震と安政南海地震というふたつの巨大地震が続けざまに発生したのである。さらに翌1855年(安政二年)には、江戸の直下を震源として江戸地震が、1858年(安政五年)には、大規模な山地災害を引き起こした飛越地震が発生している。

嘉永から安政にかけては、江戸幕府の鎖国政策が破綻し、幕藩体制の揺らぎがますます大きくなっていく時代であった。
 幕府にとっては、まさに内憂外患の時代だったのである。

           (伊藤和明『地震と噴火の日本史』岩波新書 より)
地震と噴火の日本史 (岩波新書 新赤版 (798))
クリエーター情報なし
岩波書店


 1853年7月8日(嘉永六年六月三日)、ペリー提督率いる黒船が浦賀沖に来航。
    8月21日には、プチャーチン率いるロシア艦隊が長崎に来航。


なんとなく江戸幕府の崩壊期と今が似たような様相を見せていますが、必ずしもこのふたつの時期だけが特別なことというわけではありません。
日本列島の歴史を長いスパンでみると、このような地震、津波、火山の噴火などによる大災害は、日本にとってはずっと宿命としてつきまとってきたものであることがわかります。

地震と津波の二重災害、あるいは大地震が連続して発生(東海地震に多い)することなど、こんな大災害は滅多にくることはないというようなことを、日本人は繰り返し何度も経験してきているわけです。

このような大きな災害がおきる時というのは、同時に社会の大きな転換点になるという見方もあります。

そうした時代には、えてして不公平な社会に対して何かを機会にすべてチャラにしてほしいといった庶民の願望が増えていたり、変革のために闘い続けても絶望感しか現れないような気分が蔓延していたりといった、災害の起きる前から世の中に閉そく感が満ちていることが、少なくありません。
あるお爺さんも、今の日本の堕落ぶりを解決するには戦争でも起きないかぎりだめだ、などといっているのを聞いたことがあります。

そんなときに起きた災害というのは、不謹慎ながら待ってましたとばかりに、これでやっと世の中が変わるとの期待をもたれる面があるのも事実です。

現実に、それを機会に大きな体制の変革が起こることも少なくありません。

しかし、歴史の変化をよく見直してみると、大自然が引き起こすこうした大変動と同じく、大きな変化というものがもたらすものは、凸の部分をへこませ、凹の部分をならし、またその変化が新たな歪みを生じさせるということも多いものです。

自然も社会もその激震によって大きく揺さぶられて新しいものが生まれるのは事実ですが、うわべだけの枠組みの変化は意外とすぐに崩れ去るものです。


地震の周期の歴史を見ていると、幕末明治の大地震が頻発した時期にくらべると、関東大震災から阪神淡路大震災までの間は、ずいぶん長い安定期が続いていたように見えます。
もしかしたら、これからは幕末から明治にかけての時代のように大震災が断続的に起こる時代に入ったといえるのかもしれません。

それだけに、いかなる想定外の大災害が起きても、私たちは起きないはずのないことが起きたのだといったくらいの気持ちで受け入れることも大事なように思えます。
同時に、自然と社会の大きな揺さぶりがあったからといって、簡単に新しい時代に移り変わるものと過剰な期待も慎まなければならないのではないかと感じるのです。

変動は起こるたびに、それまでの歪みが調整されることは事実ですが、その歪みの調整活動が起きることと、そこに新しいものが生まれるかどうかということは、決して何か約束されたことではないということです。

つい最近、リーマンショック、アメリカ発の恐慌がおきた時、私はやっとこれで暴走する剥き出しの資本主義にブレーキをかけることができたと思いました。
ところが、その後の歴史をみると、確かに放任資本主義に対する方向修正はされたかのように見えましたが、現実にはヘッジファンドによる国レベルの経済破壊行為は未だに野放し状態です。

あるいは、それまで想像できなかったような政権交代が起きた場合でも、新しい政権が何をすることが出来るのかは、やはりそれを選択した国民自身がどうしてほしいのかをきちんと表明する力が無い限り、公約違反であろうが、能力不足であろうが、コントロールすることはできないということを今見せつけられています。

いかなる大きな変革であっても、常にそこにいる人が、私たち自身が直面している問題の目の前の現実を一歩変える力が無い限り、大きな変化は決して起こり得ないのではないかと、私は常々感じています。

量的変化の積みかさねが、質的変化に移行することがあるのは事実ですが、それは決して簡単な量の積み重ねだけで自動的に起こるものではありません。


もちろん、上に立つ者のリーダーシップや責任は重要です。
あるいは新しい力をどんどん取り入れていくことも重要です。
だからこそ、私たちがしっかりと見据えなければならないのは、リーダーや賢人におまかせした体制や枠組みの変革だけではないということです。

これまで日本列島が、地震や津波が起こるたびにブルブルっと身ぶるいしてその姿かたちを数メートルずつ変えて、その何千年何万年の積み重ねで今日の美しい日本のかたちがつくられてきたように、1ミリ1ミリの変化の積み重ねで、よりしっかりとした地固めになるような変革こそが、しっかりと見据えられなければならないものと強く感じます。

目の前に直面している問題を、ひとつひとつ解決して乗り越えていくことは、誰にとっても決して簡単なことではありません。
しかし、だからといって力のある人に頼る(もちろんそれも時には必要)ということではなく、常にそこにいる自分たちの力でできる一歩を踏み固めることこそに、真の変革の価値があるのだということを強調したいのです。

今、ライフラインレベルであらゆるものが不足している被災地の人に、このような考えをぶつけることはとても出来ませんが、被災地の人たちの復興の姿がどのようなものであるべきかを考えると、政府の動きが悪いことを批判しているだけでは、大事な事を築いてはいけないのではないかと思わずにはいられません。

では、それは何なのか。
そんなことをひとつひとつ紐解いていけるような本をこれからご紹介していくことこそ、私自身のもうひとつの復興支援としてやらなければならないことと感じている次第です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする