リンゴ園や稲刈りの風景を撮影していたときに、田んぼの角にワラゾウリがかけてあるのを見つけました。
伝染病などをもたらす疫病神を退散させるのだと言われますが、地域によって様々ないわれがあるようです。
このあたりのこうした習慣について、塩崎昇『上州のくらしと民具』煥乎堂のなかに、以下のような詳しい記述がありましたので転記させていただきます。
みなかみ町上牧では、葬式に棺をかつぐ人たち(四人)の履くワラジを「棺係のワラジ」と呼んだ。
良い縁起かつぎにした。
葬式の帰り道、棺係四人は村の辻にワラジを脱ぎ捨ててくる。
これを村人が拾って履くと、「アギレがきれない」とされた。
アギレとは足に生じるアカギレのこと。
素足でワラジを履き、長道中をすると足に傷がつく。この傷がアギレだ。
しかし、縁起かつぎに棺係のワラジを使っても、アギレが治らないとのことである。
水上町小仁田では、この棺をかつぐ人たちが履くワラジを「ガンガンワラジ」と言い、同じように辻に捨てる。
これを拾って使えば「蛇にかじられない」と言った。
今はワラジではなく、ゾウリを辻へ捨ててくるが形式だけになってしまった。
ワラジは今は魚とりに使うぐらいになった。
県内各地で、葬儀の連絡や通知をして回る人のことを「ツゲ」と呼んでいる。
近所の人のうちから一組二人のツゲを選ぶ。
ツゲはおむすびを弁当に、ワラジ履き、さらにワラジ一足は腰にぶらさげて出かけた。
近親者の家は、ツゲに対して昼飯と酒を出してもてなした。
また安中市ではオビンヅル様にワラジを供える。願かけで足、目の悪いのが治れば、そのお礼としてワラジを進ぜたという。
中之条町や勢多郡北橘村などでは、二月一日がデカワリ(出替り)で奉公人は帰省する。この日のために、後任の作番頭(年傭いの作男)が困らぬようにとワラジ、馬のクツなどをいっぱいつくっておいたともいう。
(以上、塩崎昇『上州のくらしと民具』煥乎堂(昭和52年)絶版より)
同書のゾウリについての以下の記述をみると、さらによくわかります。
利根郡月夜野町大沼(旧町名表記)では、六月中旬。村境の山道の真ん中に大きなゾウリをつり下げた。
「魔除けのゾウリ」とか「八丁ジメ」とか呼ばれるこのゾウリ、長さ四十センチ、幅二十センチもあって、村人が共同でこしらえた。山道の両端の雑木を結んでシメを張り、その中央に下げるから、村に入る者はだれも大ゾウリを見上げ、その下をくぐることになる。
本来は左よりのシメ縄も、ここで使う品に限っては右よりになった。
ゾウリの緒は左よりになう。左よりは作りにくいそうだ。
村境は西が上牧、東が沼田市佐山である。
同町上牧○○○○、石井周治さん(明治三十五年六月六日生まれ、七十三歳)は、「この村には、こんな大きなゾウリを履く人間がいるのだぞ———と脅したわけだろう」と言う。
ぶら下げたのはゾウリ片方分のみである。
八丁シメは「法度(はっと)ジメ」がなまったもの(八丁ジメは村の中心から八丁さきは村の内という考えがあり、村はずれという意味である。八丁ジメは村はずれに飾られる。)で、夏の疫病神除けの祈りが込められている。七月の農休み前にたてた。
ゾウリの真ん中には、天台宗の坊さんに拝んでもらい、書いて頂いた梵字の短冊が三、四枚下がっている。
(ここまで引用)
私が見た写真のワラゾウリにも、ビニールの袋が括り付けられていました。
もしかしたら、この中に梵字の短冊でも入っていたのでしょうか。
ほとんど引用ですませてしまいましたが、ふと出会った風景のなかにある歴史文化の由縁を、運良く読んでいた本で知ることができてとても嬉しく思いました。
また、八丁じめは
「八丁じめの外に出てけんかをするな」
「八丁じめの内で生意気いうな」
などと、村内を表現する日常言葉として使われていたようです。