GWも終わり、世の中も少し静かになったので「濱田庄司記念 益子参考館」に行ってきました。
https://plus.google.com/photos/+星野上/albums/6146453741012418017
(河井寛次郎記念館と同じく、写真を自由に撮らせていただけるのがありがたい)
私にとっては、民藝を牽引した人物のなかでも濱田庄司はいまひとつピンとくるものを感じられず、河井寛次郎記念館に比べたらずっと近い場所ににもかかわらず、これまで行く機会をもてずにいました。
それがこの間、グラフィック社から出ている『民藝の教科書』という全6巻の本を読んでいたら、自分の理解如何にかかわりなく見ておかないことには話しにならないと感じ、急きょ行ってきました。
すると・・・やはり、行って良かった。
京都の街中につくられた異空間、河井寛次郎記念館とは異なり、本来の自然空間のなかに必要な「しつらえ」が十分ゆきとどいていることにまず感動。
妻は、先の東日本大震災の甚大な被害から、ここまでみごとに復旧されたことに感動。
すばらしい空間でした。
でも、私はやっぱり濱田庄司の作品には、いまひとつ入り込めませんでした。
それがそのまま、陶芸のまちとして発展した益子町の奇妙な成功と衰退の同居状態のなかにあらわれているようにも感じられました。
創作作家への道ではなく、「民藝」としての陶芸を志して集まった多くの陶芸家達と一大観光地として発展させた努力も、まずはよしとする。
そのエネルギーに引き寄せられて集まってきて新しい作風を積極的に取り込んだ若手陶芸家たち、これもとてもすばらしい。
ただ、どちらかというと「民藝」の括りから自由であることでこそ羽ばたいている作家が多いようにも感じられます。
「民藝」ブームは、たしかにもう過去のものかもしれません。
でも、時代はいま「民藝」の再評価ではなく、根本的な問い返しを求めています。
その切り込み口がどこかに見えないかと期待して、今回益子へ行きました。
そもそも私にそう思わせたきかけは、益子町が刊行した「ミチカケ」という冊子です。
益子のまちの人びとの暮らしを丹念に取材し、とても美しくまとめられた冊子で、第4号がこのたびでました。
この冊子を群馬の川場村のCafe de Clammbonさんで知り、陶芸作品のみで表現するこれまでの「民藝」ではなく、そこに暮らす人びとの生活のなかに息づいた「民藝」をもしかして再構築しはじめているのではないかと思ったのです。
これはまさに私が「月夜野」「みなかみ」という土地でこれから目指したいことです。
とんぼ返りで見ただけでなにがわかるかという程度のことですが、やはり実態はどちらかというとすぐれたアートディレクターの力だのみが実態で、なかなか幅広い運動として広がりだしているとはまだ言えないようです。
でも、その活動の規模は、私たちに比べたらずっと大きくうらやましいほどのものです。
お互いに、これから踏み出す世界の話しなので、コツコツと積み重ね続ける努力こそが大事であると思います。
新しい動きの片鱗をさがしたり、月のテーマがらみで使える陶芸作品をさがしたりしながら益子町をまわってきましたが、幸い大きな出費に至ることはなく、今日は写真の皿を1枚買うだけで済ませることができました。
途中、栃木から茨城をまたいだところで、ユニクロの下着を茨城土産(笑)に、買って帰ってきました。
観光や産業の振興以は大事であることは間違いありませんが、それ以上に暮らしの環境の「しつらえ」がいかに大事であるかを道中を通じてあらためて強く感じました。
そう思って振り返ると、日頃お世話になっている赤城村の陶芸家、松尾昭典さんhttp://kamituke.web.fc2.com/page152.htmlの作品の素晴らしさが、また「じわり」としみてきます。