いまや暮らしの隅々にまで浸透しているコンピュータ。
その進化の目覚ましさを見れば見るほどに、人間の脳の素晴らしさがあらためて浮き彫りになってくる面もあります。
また、AI技術が進歩するにしたがって人間とその境界も難しくなってきますが、これもそもそも「人間性」とは何かということが真剣に問われる良い機会にもなっています。
でも、これから量子コンピューターの時代にでもなれば、人間の脳との境目などはほとんど感じられないくらいになってしまうのではないでしょうか。
そんなことをふと考えていたら、普段、パソコンを使うように自分の脳も使いこなせないものだろうかと思いました。
残念ながら私の脳とパソコンの力の差は歴然としています。
自分の脳をパソコンのように使うといっても、そもそも私のCPUは、どうしようもないほどのろい。
ただ私の脳のレベルでも、メモリー容量だけは相当あること間違いないらしいが、悲しいかなコンピューターのメモリーと違って、記憶した瞬間からどんどん消えてしまう。
このCPUがとてつもなく鈍いことと、メモリー容量はあっても、すぐに大半は消えてしまうことが、私の脳がパソコンと違う決定的なとこ。
幸いなことにこの差がとてつもなく大きいことが、私のCPUが人並み以上にのろいことを誤差のうちに消し去ってくれる。
およそ比較になりそうにないこうした差がありながらも、この問題を考えるにはむしろここからがポイント。
肝心なプログラムソフトをどのようなものを使うかこそが、ただのすぐれた回路システムとの違い。
では、私の脳を動かすソフトは何だろうか?
それは、おそらく
これまでの自分の「体験」
他人の体験を取り込む「読書」
自分の想いをつなげるための「仲間」
大事なこと、価値あることにエネルギーを集中させる「情熱」
ん〜〜ん、やっぱり問題はそっちか!
とすると、思考のスピードや記憶力などの領域は、これからはパソコンにどんどんまかせて
「体験」「読書」「仲間」「情熱」などの領域に自分の意識を仕向けることが、
パソコンを使うように自分の脳を使うためのツボということになる。
はて、最初の問いは、いったい何を期待していたのだろうか。