夏の土用、丑の日にウナギを食べると夏バテ防止になるといわれます。
ところが、そもそもウナギの旬は晩秋から初冬にかけてです。
夏のこの季節にはあまり味がのっていないので、もともとは売れ行きが悪かったそうです。その季節の売り上げをなんとか伸ばすアイデアとして平賀源内が、丑の日の「う」にかけて土用の丑の日に鰻を食べると夏バテしないというキャッチコピーがヒットし、現代にまで受け継がれているわけです。
ウナギで商売している皆さん、どれだけ平賀源内のお墓にお参りしているでしょうかね。
私は、ウナギの旬が晩秋から初冬にかけてであることすら知りませんでした。
ただでさえその生態は謎が多く、漁業資源の枯渇も心配されてる時代です。
旬でもない時期に無理に食べるなど、ずいぶん野暮なことを粋がっているものです。
夏の暑いさ中、ウナギだって川の底できっとバテているでしょうに。 もっとも、脂ぎったウナギを焼いてさらにタレをかけて食べるわけですから、素材の違いなどあまり気にするほどのことではないのかもしれません。
ところが日本には、この夏の土用の丑の日に、ウナギではなくカワニナを食べる習慣が先にあったことを知りました。
カワニナは、地域によってはニラ・ニナ・ミナなどとも呼ばれており、
① 夏の土用の丑の日にニラ(カワニナ)を捕り、味噌汁に入れて食べた。
②夏の土用の丑の日の夕方ニナを捕り、塩茹でにして食べた。
(広島県双三郡君田村東君入・平岡義雄・大正一一年生まれ)
なお同地の寺藤貴楽(大正十四年生まれ)家では、先祖が、ニラ・タニシの食絶ちをして願かけを
④土用の丑の日の前日夕方ニナを捕り、一晩水につけアカ出し(泥出し)をし、翌朝味噌汁に
⑤夏の土用の丑の日にカワニナを捕り、味噌汁に入れて食べた。
⑥夏の土用にミナを捕り、味噌汁にして食べた。夏負けを防ぐ薬だと伝えた。
⑦「土用ニナ」と称して夏の土用にニナを味噌汁にして食べた。
(島根県飯石郡三刀屋町粟谷・板垣正一・大正六年生まれ)
私たちのいる月夜野で今は、カワニナはもっぱらホタルの餌としてしか話題になりませんが、日本の農村の食生活の中でカワニナはタニシなどとともに、ささやかなタンパク源として貴重な食べ物であったようです。
それを土用の丑の日に鰻と同じく食べている習俗があるのを聞くと、ホタルも相当スタミナをつけないと、お尻を光らせることはできないのだろうかなどと思えてきます。
そればかりか、そもそも土用の丑の日にウナギを食べることの方が、平賀源内のこじつけアイデアに過ぎず、ウナギ本来の旬の季節に対応した食べ方ではないだけに、むしろこのカワニナを食べることの方が、ずっと歴史も古く立派な根拠のある習慣であるといえそうです。
そうです、土用の丑の日にはウナギを食べるよりも、カワニナを食べた方が、ずっと理にかなっているのです。
そうすれば、きっと私たちのお尻も輝き始め、輝くことはなくともキュートな形を増し、女性を惹きつける魅力となるに違いありません。
いえいえ、ホタルの里として知られる月夜野こそが、土用の丑の日にはウナギではなく、カワニナを食べるようにならなければなりません。
もともとタニシは、田の主(ぬし)ともいわれるように、カワニナやドジョウなどとともに田んぼ周辺を代表する生き物であったわけですから、ホタルの幻想的な光にばかり注目せずに、その餌となる周辺の生き物たちが一体となって私たちの暮らしの環境を支えていたことに、これを機にもう少し思いをめぐらせてみたいものです。
平賀源内に負けない月夜野発・脱ウナギキャンペーン
キャンペーン ①
「身を焦がすような恋がしたいならなら、
土用丑の日にはウナギじゃなくカワニナ食べてスタミナつけよう」
キャンペーン ②
「ウナギの旬は、秋冬です。
ただでさえ枯渇している資源を旬でもない時期に食べるのはやめましょう」
キャンペーン ③
「土用の丑の日に鰻を食べるのは、
旬でない時期に売れなかった鰻を売るために、200年前に平賀源内が出したアイデアです。
根拠のない習慣にいつまでも縛られるのはやめましょう!」
キャンペーン ④
「尻に火のついてるウナギ需要は、ホタルとカワニナが救う!」
キャンペーン ⑤
「今の旬は、カワニナやタニシ。夏バテ防止はこれだ!」
というわけでもありませんが、魯山人はタニシの薬効について次のような経験を話しています。
「妙な話だが、私は7歳のとき、腸カタルで三人の医者に見放された際(その時分から私は食道楽気があったものか、今や命数は時間の問題となっているにもかかわらず)、台所でたにしを煮る香りを嗅ぎ、たにしを食いたいと駄々をこね出した。なさぬ仲の父や母をはじめ皆の者は異口同音に、どうしましょうというわけで、不消化と言われるたにしを、いろいろなだめすかして私に食べさせようとしなかった。しかし、医者は、どうせ数刻の後にはない命である、死に臨んだ子どもがせっかく望むところだから食べさせてはどうかとすすめた。そのおかげで骨と皮に衰弱しきっていた私の口に、たにしの幾粒かが投げ入れられた。看護の者は眉をひそめ、不安げな面持ちで成り行きを見つめていた。
するとどうしたことか。ふしぎなことに、たにしを食べてからというもの、あたかも霊薬が投ぜられた如く、七歳の私はメキメキ元気が出て、危うく命を取り止め、日ならずして全快した。爾来何十年も病気に煩わされたことがない。それかあらぬか、今もなお、私はたにしが好きだ。」『魯山人味道』(中公文庫)より
といっています。
もちろん、「これは私だけかもしれないが・・・・。」と付け加えたうえでの話。