前回「分散」と「集中」のエネルギーを内包した台風のような渦が、常に生成、死滅を繰り返すことが必然であることを書きましたが、その巨大なスケールの渦を私たちの感覚でとらえることはとても難しいものです。
台風、ハリケーンの姿は、わたしたちはテレビの気象図を見て知っていますが、現実の強風や大雨を見てその大きさを知るわけではありません。
同じように恐竜の姿に例えたロングテール理論の場合も、その恐竜を見ているのは人間ですが、現実のその恐竜に例えた巨大市場の規模からすれば、恐竜の足元や背中にのっかった小さな蟻のような立場で全体を想像しているにすぎません。
つまり、理論上「ロングテール」を語ることはできても、その当事者たちは、巨大な恐竜の背中にのった小さな蟻のような存在にしかすぎないので、自分の立っている場所が、恐竜の背中なのか、左足の爪の上なのか、尻尾の付け根にいるのかはまったく検討もつかない、ただ広い大地の上にたっていると誤解しているようなものです。
実は、これこそ顧客の真実の姿なのです。
よく、金太郎飴化する書店というたとえも昔から話題になりますが、どこにいっても同じような本しかないと感じる顧客のほんとうの姿は、実際にどこに行っても同じような本しかなかったということを言っているのではなく、それは、どの店に行っても自分の興味のある本が「1冊も」見当たらなかったという体験の別表現であるのだと思うのです。
大半の現実は、何万、何十万とある在庫のなかから、ピンポイントで自分の興味のある本が「1冊」おいてあれば、その店はいい店に見えるものです。かなりの読書家でも数十冊や数百冊もの在庫情報を見て判断しているということはまずありません。
この説明をするためには、ここであらためてamazonの登場とともににわかに注目されるようになった「ロングテール理論」のことをちょっとおさらいをしておきましょう。
こらからの時代、まだまだ話題になりつづける言葉だと思うので。
ことのきっかけは、2004年10月、米「ワイアード」誌の編集者クリス・アンダーソンが書いた記事だ。
「1988年、ジョー・シンプソンという英国人登山家が、ペルー・アンデス山中で死に迫る体験を記した『死のクレバス――アンデス氷壁の遭難』(岩波現代文庫)という本を上梓した。同書はよい書評を得たものの、売上的にはそこそこであり、いつしか忘れ去られていった。それから10年後、おかしなことが起きた。ジョン・クラカワーが登山の悲劇に伴う『空へ――エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか』(文春文庫)という本を書き、その本はセンセーショナルに売れた。すると、突然『死のクレバス』が再度売れ出したのである。
(「ワイアード」誌より)
その謎を解く鍵は、アマゾンのリコメンデーション・システムにあった。
アマゾンで『空へ』を買ったユーザーの中にたまたま『死のクレバス』を買ったユーザーがいた。その結果、アマゾンのリコメンデーションで『死のクレバス』が紹介され、そのリコメンデーションを見たユーザーがまた買うことになり・・・・・・というループが起こり、市場から忘れられていた『死のクレバス』は10年の時を経て再び読まれることになった―――という次第だ。
アンダーソンは、このように埋もれた商品が見つけ出されるのが、ネットのニュー・エコノミー現象のひとつだとし、アマゾンでは、自社のランキングで13万位以下の売上げが、実に半分にまで及ぶと述べた。
同社の本の在庫は米国で200万点以上(日本は50万点)。売り上げの半数が13万位以下となれば、縦軸に売り上げ冊数、横軸に売り上げ順位をおいた場合、横軸は右へおそろしく長く伸びることになる。その反比例のような関数曲線を恐竜の姿に照らし、もっとも売れているベストセラー系を「ヘッド」、果てしなく右に伸びる売り上げ下位の書籍群を「
ロングテール」と呼んだのである。
森健『グーグル・アマゾン化する社会』光文社新書より
このアンダーソンが発表した「13万位以下の売り上げが半数を占める」という記述は、間違いであることがわかり、2005年春の彼のブログで、アマゾンにおける13万位以下の書籍の売り上げに占める割合は、全体の三分の一だとされた。
よくあることながら、もう遅い。
それで、このようなアマゾンの登場とともに、どうしてロングテール理論が注目されるようになったのかというと、よく誤解されやすいのですが、ロングテールに位置する商品群は、昔から存在してはいたということを見落としてしまっていて、アマゾンの凄いところは、そのロングテールの商品群をローコストの管理システムで顧客に手軽に見つけても らい、なおかつ手軽に手元に届けられるシステムをつくったところにあるのだということです。
最近流行りの500坪以上の巨大書店であれば、どこもそのアマゾンのロングテールにあたる商品群は、程度の差こそあれ店頭に持っています。
ところが、それを顧客が同じことをしようとするならば、広い店のなかから探し出し買うこと、もしその本が店に無かったならば他の大型店にまであるかどうかの確信のないまま行き、広い店内からまた探さなければならりません。
もちろん、店員をつかまえて聞くことも出来る、勝手知る店ならば、まっすぐにその棚に行って本を探しだすことも出来る、実際の棚を見ることでこそ他の面白い本を見つけ出すこともできる。
それら副次的なメリットがいかにたくさんあろうとも、アマゾンの場合は、どんな大型店よりも経費をかけずにピンポイントでお客の探しているものを素早く提供することが出来るのです。
もちろんそれだけの便利なネットシステムは、膨大な技術開発経費と設備投資資金をかけてこそ実現できているのですが、ピンポイントで探すものにたどりつけて手軽に購入できるという点においては、いかなる巨大書店であってもかないません。
この点から、先の恐竜の上にのった蟻のたとえを思い出すならば、顧客からすれば、恐竜の高い背中の上に這い上がる苦労をせずに、ワンクリックで背中のその場所に自分が立っていることが出来、それが尻尾の先であろうが、頭のてっぺんであろうが、その手間は関係ないどころか、まったく意識されていないということです。
ここまできてようやく「ロングテール理論の実体」というものが見えてきたでしょうか。
のちに半分ではなく3分の1だったと訂正されながらも、その理論がもっともらしく普及している理由は、長い尻尾の部分が経営を支えているのだということにあるのではなくて、尻尾であろうが、胴体であろうが、頭であろうが、どの部分に位置する商品であっても手間とコストの負担を変えることなく、手軽に顧客のもとに届けられるシステムということにこそ、その核心があるのです。
このことを見逃して、店舗の巨大化だけをはかってロングテール部分を網羅しようとしても、アマゾンには勝てるはずがありません。増してや市場規模が、これから10年でピーク時の半分にまで縮小しようとしている時代でのことです。
(前編、後編で終わるつもりだったのだけど、もう少し書かなければならないので、また次に続けます)
その1 http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/d6849961bd583b9dc851ad074e812adf
その3 http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/818b1e7f42b3efdd6c1a48c4bd13e649
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます