花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

ねじめ正一著「商人(あきんど)」

2009年05月12日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
          
私は居ずまいを正して、二度精読した。実は、もう一度読もうと思っている。
週刊文春の「今週の必読」で、ねじめ正一著「商人(あきんど)」集英社 がノンフィクションライターの野村進氏によって紹介されていた。
なんとしてでも読みたくなった。早速、近くの本屋を回ったが見当たらない。やむなくネットで発注する。翌々日の朝、本は到着した。早い。
「商人(あきんど)」は江戸の中期、日本橋の「伊勢屋にんべん」という名の鰹節商店の次男 伊之助の半生を描いた物語である。
もし私が、江戸時代の伊勢屋の前に立つことができたなら、深々と敬意をこめてお辞儀をしたい。
「伊之助さん、否、今は大店を継いで伊勢屋三代高津伊兵衛さんになられていると思います。あなたの半生、一代目が日本橋で財を成し、突然の死を迎えた。そして、二代目のお兄さんが、店ののれんの重みに耐えかねて亡くなり、お兄さんの意思をついで、工夫と苦労の末、三代目を襲名された。あなたの半生を読ませていただきました。大店を維持継承していくことの大切さと、商人(あきんど)たるものがどう生きるべきなのかを、教えていただきました。心よりお礼申し上げます」
冒頭から驚かされた。初代伊兵衛は四日市の出なのだ。泊村には親戚がある。波切では鰹の一本釣りが行われていて、元服間もない伊之助は、鰹節の生産地波切まで買い付けに赴く。人ごとではないような近親感を覚える。
私は読みすすむうちに二度泣かされた。
一度は、伊之助の嫁「ため」が兄の伊兵衛に、はじめて会ったときとった態度。
そして、二度目は、これだぁ!

そうではないだろう、と伊之助は思った。商いは、人の喜ぶ顔を見るためにするものである。人が喜び、喜ぶ人の顔を見ることで自分も喜ぶ。店の格とは、虚心坦懐に客の笑顔を喜ぶ気持ちの深さのことである。

私も、居住まいを正して、もう一度読もうと思っております。