花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

四日市参宮道追分の図

2016年07月27日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

四日市商工会議所様発行の“商工春秋 8月号”より、四日市参宮道追分之図。

広重の描いた東海道五十三次シリーズの内、題名を行書で記したもの。隷書版と同様、追分の鳥居と、饅頭屋を描いている。

画面中央に配された看板が目を引く饅頭屋で、旅人が美味そうに饅頭をほおばり、傍らには柄杓を腰に差し、薦(こも)を背負った抜け参りの子供がひと休みしている。

店の外では、鳥居をくぐったばかりの馬が、馬子に引かれて歩き、背には三人の旅人が、三宝荒神と呼ばれる鞍に乗って景色を眺めながら伊勢を目指している。

後に売り出す隷書版に比べて、クローズアップした構図に加え、鳥居、饅頭屋、抜け参りに三宝荒神という参宮道追分のシンボルをまとめて描いているのも特徴的である。 (市立博物館学芸員・田中伸一氏記)

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“ローマの休日”感想2

2016年07月26日 | 諏訪商店街振興組合のこと

Kさんからも感想をいただきました。ありがとうございます。

オードリー・ヘップバーンのデビュー作。非常に美しく綺麗だった。特に見事なのは、最初、ベッドでミルクとクラッカーをもらった時は子供っぽく見えたのが、最後のほうはお付きの人にミルクを拒否し、大人の女として凛とふるまった場面です。

 下世話なものですから、その前に、グレゴリー・ペックのアパートで服を乾かしている時に、何かあったのかと想像させるものがありました。

 それと、映画の嘘といってよいのか二点ほどそれを楽しませる場面がありました。

 その① 王宮(ホテル)から抜け出すときの服装。王女様のクローゼットにあんな庶民的な服が入っていたのか?

 その② 貨幣価値はわかりませんが、グレゴリー・ペックのアパートを出る時にもらったのは1000リラでした。それだけでサンダルを買い、美容院で髪を切り、ジェラートを買う事が出来るのでしょうか?(G・ペックまでのタクシー代が1000リラだった様でしたから)

 最後に、洋画は字幕が良いですネ!英語が分かる訳ではないですが、2,3の単語が聞き取れて「ヘェー」と感心する事がありました。

 王女様は、プリンセスじゃないのですよネ。あと、美容院はイタリア語でも英語のバーバーと同じ様な綴りになっているのもおもしろかったです。

 

 さて、リラの問題が出ました。そこでブログ“300万円の粗食”を参考にさせていただきました。

 G・ペックから1000リラをもらう王女。このときG・ペックは「1000リラといっても、1ドル50セントだよ」と付け加える。この言葉を信用すると、1000リラ=1ドル50セント=540円(当時は1ドル=360円でした)当時の大学卒初任給と2000年の初任給を比較すると約36倍になる・・として)つまり、G・ペックがオードリーに渡した小遣いである1000リラは、2007年頃の日本円にして1万9440円ってことになる。

 ここで使ったお金1000リラをシミュレーションする。

・靴・・・ブランド物より安い露天物として 8000円

・カットとトリートメント・・・11000円

で、残が440円。350円これが氷菓子のジェラート代、したがって花屋さんに払うお金は90円が残るのみ、ということになる、こう推理してみえました。それにしても2万円近いタクシー代は高い。二人を乗せた車は、夜中にどこをどう走っていたのでしょう?Kさんが怪しむのも無理はない。

 ついでに、G・ペックがデスクから「王女の単独インタビューが成功したら、5000ドルのボーナスを出す」と言われます。これを1ドル360円に換算すると180万円、大学卒の初任給を基準に今の価値に替えザクッと36倍すると、6480万円となる!ボーナスがこんなに出るかぃ!

※追伸  昭和30年代の週刊新潮が30円だった記憶がある。これから考えると当時から比較して20倍くらいと思う。1000リラが10800円で、5000ドルが3600万円か?それにしても良いボーナスであります。

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“ローマの休日”感想

2016年07月24日 | 諏訪商店街振興組合のこと

早速Tさんより感想をいただきました。ありがとうございました。

 「ローマの休日」は、今回で3度目の鑑賞でしたが、一回目は50年前、高校2年の時で、当時はただ漫然と“逆シンデレラ”のおとぎ話と解釈していました。今回は心して細部迄、きっちり目と耳を駆使した処、実に様々な物が見えて来ました。

 先ずタイトルですが“A Holyday In Rome”ではなく“Roman Holyday”となっていた事です。前者ならば、単なるローマでの休日の意。後者では特別(他の何処でもない)なローマの休日の意。これは終章場面―記者からの質疑応答タイムで、記者(G・ペック)の「何処が一番、印象に残りましたか?」の質問に、王女が「それは・・・ローマ、ローマです」ときっぱり答えたことで、解き明かされました。このたった一日の“アーニャ”の「ローマの休日」が、幼い?アンを王位継承者たるアン王女へと変身させたのです。長い髪を本当にバッサリと切ったアン(A・ヘップバーン)。決意の程が伝わって来ます。

「料理も裁縫も出来るけれど、それを披露する機会はない」「(王は)重篤な病気にでもならない限り、自分勝手に止める事は出来ない・・・」と本音を語るアン。思わず、今上天皇、皇后両陛下のお立場を重ねて見てしまいました。

 それにしてもヘップバーンの何と美しいこと!顔やスタイル、軽やかな身のこなしは言うに及ばず、無言の演技ゆえー抑えた感情がより強く表現されていて胸に迫ってきます。

 そんな素敵なヘップバーンに力強くキスした市場の太っちょ小父さんは実にラッキー!役得でしたね」。

“欧州連盟”という言葉が出てきます。某国の王女アンは、ヨーロッパ諸国親善のためヨーロッパ各地を訪問するのですが、最後の記者会見の席で、統合について質問を受けています。

記者A「連盟によって経済問題が解決するとお考えですか?」

王女「欧州諸国が緊密になるなら賛成です」

記者B「諸国の親善関係の見通しについては?」

王女「国家間の友情を信じます。人と人との間にも友情があるように」

G・ペック「私が社を代表して申し上げます。王女様の信念が裏切られることはないでしょう」

王女「そうお聞きできて、うれしく思います」

記者C「最もお気に召した訪問地は?」

王女「それぞれに良さがあって比較は難しいのですが・・・ローマです」

ヨーロッパ統合の話は、第二次世界大戦の頃から出されていて、ポーランド首相が、ナチスに追われ亡命したベルギー首相に対し欧州統合を提案しています。イギリスの皆さんには、今一度この映画を観ていただきたいものです。

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“ローマの休日”上映

2016年07月23日 | 諏訪商店街振興組合のこと

昨夜は三重県視聴覚ライブラリーさんからお借りした“ローマの休日”を上映させていただきました。いつものメンバー49名の方にお集まりいただき楽しませていただきました。60年以上も前の映画なのに新鮮な気持ちで鑑賞することができたのは、監督(“ベン・ハーのウイリアム・ワイラー)とシナリオ(ダルタン・トランボ)が優れているからでしょう。

二日前の中日新聞に“トランボ”という映画が紹介されていました。

ダルタン・トランボは、1971年に“ジョニーは戦場へ行った”の監督をしています。第1次大戦のとき、出征したジョニーは爆撃にあい、見る、聞く、話すそして、鼻が使えなくなり、壊疽のため手足も取られます。ジョニーに起きた悲劇をとおして反戦(当時はベトナム戦争)を訴えた映画でした。

“ローマの休日”をネットで調べていたらこんな面白いことが載っておりました。

スペイン広場のシーンで、王女の後をつけてきたジョーが偶然に出会ったかのごとく話しかけます。このとき、背景に教会の大時計が望めますが、出会ったときは午前8時10分

この後、並んで座り話をするのですが、座ろうとするときは9時15分

話す間のアップでは11時25分で

さあ出かけようとする時は10時20分となっています。

出会いから出かけるまでの下からの遠景で8時10分~10時20分かけ、その後対話のアップを11時25分まで撮っていたという時刻が教会の大時計に記録されているのです。

こうして比較すると、わずか2分程の間に、人の動きや雲の様子も違っています。

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“本日休診”

2016年07月18日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

市川準監督の“トキワ荘の青春”は、わたくしの最も大切な映画の一本となりました。で、引き続き市川監督の“つぐみ”(1990)を鑑賞したところ、

冒頭、“まりあ”(中島朋子)が銀座で“二十四の瞳”を観るシーンがありました。銀座文化ゴールデンシアターというところですが、看板の日本映画名作特集シリーズの中に“本日休診”が入っていました。

1952年作品の“本日休診”。監督は渋谷実で、看板に主演 三国連太郎とありますが、柳永二郎が主演です。出演作品には悪役が多く、インパクトがなかったせいでしょう。

“本日休診”は、終戦直後の風景や風俗、人情が興味深く描かれていますが、なによりも俳優陣がそうそうたるメンバーで驚かされるのです。

三雲医院老先生に柳永二郎。そして、そこの看護婦に岸恵子。

病院の家政婦さんに長岡輝子、その息子に三国連太郎。

三雲医師に恩がある、佐田啓二。

町のチンピラに、鶴田浩二。男に惚れている、淡島千景。

このメンバーが揃うのは、最初で最後だったと想像できます。みなさん若くて、それぞれの初々しさを楽しませていただいた作品でした。

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“トキワ荘の青春”その3

2016年07月15日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

昭和29年、手塚治虫がトキワ荘を出て寺田ヒロオが入ってくる。「まじめすぎて面白くない」と編集者に指摘されるも「子供達には理想像を示さなければならない」と寺田は主張し続ける。ラスト、トキワ荘を出る決意をして立ち尽くす彼に、草野球のボールが飛んでくる。ボールを受け止め少年に投げ返す。「ありがとうございます!」と立ち去る少年の背中に“背番号0”の文字。感動のラストだ。

右 取材を受ける手塚治虫

寺田はその後、細々と漫画を描き続けるが、亡くなる数年前、みんなを呼んでトキワ荘の同窓会を開く。別れの際、再会を拒否してこれが最後と手を振る。映画に出ていない頑固さがあったようだ。

左から赤塚不二夫と森安なおや

赤塚不二夫(大森嘉之)と森安なおや(古田新太)が良い。スランプの壁に当たる二人。その後、石森章太郎の友情に救われる赤塚と、漫画家からキャバレーの会計に転職する森安。そして、森安と同室だった鈴木伸一は、漫画家をあきらめアニメーションの世界に移り成功している。

石森章太郎と赤塚不二夫

赤塚不二夫とつげ義春は寺田の作品をみる

石森の姉が食事の世話をする

水野英子を送る石森と赤塚

鈴木伸一の部屋へ森安が転がり込む

石森が描いたトキワ荘の面々

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“トキワ荘の青春”その2

2016年07月10日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

木下準監督“トキワ荘の青春”は1996年の作品です。手塚治虫が“トキワ荘”で執筆していたのをきっかけに、多くの漫画家が上京してきました。作品は寺田ヒロオを中心に、漫画家を目指す若者たちの初々しさとひたむきさを、抑えたトーンで描いています。集まってきたすべての若者の夢が叶うわけではなく、登りつめていく者、頓挫するものとさまざま。けれどもお互いを励ましあいひたすら漫画道を突き進んでいきます。時代は昭和31年頃でしょうか?

水野英子がトキワ荘で仕事をしますが、実際はもう少し後のことです。この図は“トキワ荘最後の住人の記録”山内ジョージ著 東京書籍 を参考に作らせていただきました。

つのだじろうは近所に住んでいて、頻繁にトキワ荘を訪れています。また。藤本弘の母親(桃井かおり)が訪ねてきたり、石森章太郎の姉が食事を作りに来たりしています。

私が浪人時代をすごした、小金井市の白道寮が思い出されます。主に大正大学の学生寮でしたが、寮生のお姉さんが訪ねてきたりしていました。

 

映画のキャストの紹介です

寺田ヒロオ:本木雅弘(スポーツマン金太郎)

安孫子素雄:鈴木卓爾(藤子不二雄A:忍者ハットリ君)

藤本 弘:阿部サダヲ(藤子・F・不二雄:ドラえもん)

石森章太郎:さとうこうじ

赤塚不二夫:大森嘉之

森安なおや:古田新太(少女マンガ)

鈴木伸一:生瀬勝久(後にアニメーションに移る)

つのだじろう:翁華栄

水野英子:松梨智子

手塚治虫:北村想

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“トキワ荘の青春”

2016年07月08日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

トキワ荘は、東京都豊島区にあった。1952年12月に建てられ1982年11月に老朽化のため解体されている。翌年新築されたが、現在は元の敷地がビルの一部になっていて往事の面影はない。しかし、その通りは「トキワ荘通り」として今も親しまれ、商店街も賑わっている。

地元の活性化の一環として近くの花咲公園に記念碑が建てられたのは2012年4月のこと。当時の建物をかたどった石造りのモニュメントが立てられた。

現在、四年後を目指して、この公園に“記念館 トキワ荘”を復活させる計画があがっている。

1996年、市川準監督、本木雅弘主演で“トキワ荘の青春”で映画化されている。

映画をつくるにあたって、監督は尾形敏朗氏にこう話している。

「ある若者たちが、ある時代に、ある空気を共有して生きていた、ということ、そして、そこに“青春”と呼んでいい、あらゆるぬくもりや、心細さや、嫉妬なんかがちゃんと存在していた、ということ、その濃密な“時間”が描かなければ“映画 トキワ荘の青春”をつくる意味なんてないと思いました」

漫画家 寺田ヒロオ役の本木雅弘氏は監督について

「市川さんは、人の弱さ、はがゆさも愛しいものとして捉えてくれてますよね。冷めた目で人を晒すことは無く、かといって現実を美化してしまうこともない。静かにくぅーっとそのキャラクターに近づいていって、人が何かを感じているときの気持ちの波紋みたいなものをスゥーと掬いあげるというようなことを繰り返している感じ。やっぱり、基本的に人間の持つ戸惑いに対する目線が温かいと思います。市川さんは、忘れ去られていくものへの愛情というか、愛着が深いんでしょうね」

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田中市長 不出馬!

2016年07月06日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

本日の中日新聞より

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商工春秋より 幕末の四日市

2016年07月03日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

四日市商工会議所様発行“商工春秋より 浮世絵に描かれた四日市”6月と7月号の二カ月分を掲載させていただきます。

末広五十三次 四日市

慶応元年、第二次長州征伐のために上洛する将軍家茂の行列を各宿ごとに描いたシリーズの一点。このシリーズは国貞以外に歌川広重(二代)、歌川国輝(二代)、月岡芳年も分担して描いている。葵紋がなくても源氏の家紋(笹竜胆)の錦の御旗から、この行列は、家茂一行とわかる。実際に家茂は、この時、美濃路を使ったので四日市を通っていない。従って蜃気楼を見物することはなかった。水平線に浮かぶ空や吹き流し、ひと際大きい鯛などの赤と海と青の対比が鮮やかな景色である。(市立博物館学芸員 田中伸一氏)

 東海道四日市

徳川家茂の上洛は、江戸の人々の高い関心集めたようで、いくつものシリーズが作られた。本シリーズは、歌川芳艶の筆によるもので、四日市は湊を右手に、土橋を渡る行列が描かれている。同様の構図が広重の「五十三次名所図会四十四」にもある。人物が大きく描かれているため、行列の整然さが際立つ。橋の各所に架けられたかがり火から、夜明け前の風景であることを想像させ、それに呼応するように、橋脚や家々が濃淡のある灰色で暗く表され、港に停まる船は皆シルエットになっている。しかし、主題である行列に影がないため、画面全体が昼間のような明るさを感じる。洋画の技法とは異なる日本の絵画らしい陰影表現といえよう。行列とかがり火や鉄砲が対角線を作り、色彩だけでなく構図の上でも興味深い作品である。(市立博物館学芸員 田中伸一氏)

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