花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

高野登の仕事のはなし

2008年12月31日 | 諏訪商店街振興組合のこと
トイレで「週刊文春」をみていたら、「クレド」のことが載っていた。
「クレド」は諏訪商人塾で石川明湖先生に説明いただいた。
本年最後の締めくくりとして自分自身の頭に叩き込んでおきたい。来年は自前の「クレド」を持参して行動したい。
高野登氏はリッツ・カールトンホテルの日本支社長だ。

ホテルの価値はハード、ソフト、ヒューマンの三要素で決まります。でもこれらは秘密にできない。
ハードは見られたらバレますし、ソフトにあたるノウハウも人材の流動性の高い今は秘密にできません。さらに働く人の質もそう違わない・・・・
そういうホテル業界で価値を差別化する要素は・・・企業哲学の実践だけなんです。
哲学自体にホテル間の差はありません。問題は実践。
人間は一度、目から鱗が落ちても、学者の実験によれば三日で記憶の八割が失われるそうです。
顧客第一主義の哲学を揚げても、会議が売上の話題だけなら実は売上第一主義になってしまう。
結局、落ちた鱗を目に戻さないよう、哲学は毎日確認しないと行動につながらない・・・それでリッツ・カールトンは世界中約三万九千人の従業員が毎朝十五分間、哲学を経験談で確認しています。
この哲学は「クレド」(ラテン語で信条)という小さいカードに書かれ、従業員は常に携帯しています。
顧客や会社に評価される基準を常に携帯すれば自由な発想で活躍できる・・・他のホテルとの差はそこしかないんです。

香車亭龍鶴を盛り上げる会

2008年12月30日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
          
昨夜は、数年ぶりでの至福のお時間をいただきました。参加いただいた皆さん、ありがとうございました。
「商店街で香車亭龍鶴(やりていろうず)を盛り上げる会」ならぬ「商店街が香車亭龍鶴で盛り上がる会」その第1回目の集会が「居酒屋 癪」にておこなわれました。要するに龍鶴はんを肴にした飲み会であります。
集まったのは、ひろっさん・マッちゃん・お~やさん・杉浦さん・昭和のまー君・香車亭龍鶴それに私でありました。気心の知れた連中で楽しい時間を過ごさせていただきました。
話題はもっぱら落語の話で「談志は嫌い、女子がエエ」とか「龍鶴は素人の割には・・・ウマイ」とか「談志と赤塚不二夫の対談中、酔った不二夫氏が2回居眠った」とかおもしろいお話が飛び交いました。
来年の春には「第2回 香車亭龍鶴独演会」開催の予定であります。どうかご期待ください。
それまでに企画会を開かなくちゃ。マタ 飲メルゥ!

昭和32年のお正月

2008年12月28日 | レモン色の町
我が家のアルバムから
昭和32年頃のお正月の様子です。
お正月はお店が休み。家族揃ってこたつに入り、おせちを食べてごろごろします。
夜の風呂も、鬼が入りにくるといって沸かしませんでした。
新聞を読み、年賀状を見て、みかんを食べる。とにかくできるだけ何もしないのが元旦でした。
諏訪神社は今も昔も変わりません。初詣の大勢の人で賑わっております。
          
遠景右よりに図書館が見えます。人の出は今よりも多かったようです。
          
図書館屋上から(どうやら石山の上からのようです 訂正します)南方向に撮った写真です。藤棚付近には香具師の店が並んでいます。諏訪神社を参拝して、香具師の並びに沿いに諏訪公園へ入ります。
右側に見世物小屋が出ていますね。以外にも図書館前は広々としています。
ここにサーカス小屋が出ていたことがありました。秋の祭りのときだったでしょうか。
          
香具師の魅力は今も変わりません。何を売っているのか?10円玉を握り締めて、終日うろつきました。
          
スマートボール全盛の頃。白い3センチほどの玉が、斜めの台の上からザーッと落ちてきます。玉を押し出すと上からゆっくり落ちます。のんびり型パチンコのようなものでした。

スワマエにチンドン屋が きた~っ!

2008年12月22日 | おいらの商店街
          
おおっ!懐かしい音が聞こえてきた。
なんと、チンドン屋さんがやってきたではないか。パチンコ屋さんのオープンらしい。なかなかイケ面と美人のメンバーだ。お尋ねすると大阪からお見えなそうな。さすが垢抜けしている。地方巡業演劇一座の雰囲気だ。
早速、孫と共に追いかけ写真を撮らせてもらった。ご親切にしっかりポーズをとっていただいた。レトロでいいですねえ。

香車亭龍鶴独演会

2008年12月21日 | おいらの商店街
夜、スワマエ商店街のスタジオFIXさんをお借りして開催された「スワマエ寄席 香車亭龍鶴独演会」は大成功のうちに終了いたしました。
語好きの身内が集まればと考えスタートいたしましたが、当日は33名のお客様で賑わいました。本当にありがとうございました。
ず、スワマエ最後の旦那衆ひろっさんから5,000円のご祝儀を頂戴し、まずは会場費をクリア。これで赤字を免れました。
ッちゃんも3名の団体でご入場。四日市まつり勉強会の面々や香車亭龍鶴さん・昭和のまー君の知人の方々や外人さんなどで会場は満席となりました。
目も「代書屋」「宿替え」など皆さんおなじみのお題が並び、年の瀬迫る商店街に笑いの花を添えることができたと満足いたしております。
わざわざ足を運んでいただいた皆様には、心より御礼申し上げます。
日の運営には不慣れなところがほとんどでご迷惑をおかけいたしましたが、(会場は「もう終わり?」といった雰囲気でした)改善をしてまいりたいと存じますので、これに懲りずに今後とも可愛がっていただきたいと念じております。
ということは、またやり(香車)たい・・・・・ということですか????
計報告ですが、皆様から頂戴しました冥加金2万円は、四等分して会場費と出演の方3名さまに分配させていただきました。ありがとうございました。
          
          
          
          
          
          

2009年エキサイトバザール取り組み進む

2008年12月19日 | 諏訪商店街振興組合のこと
11月12日に開かれた第1回実行委員会に引き続き、12月18日第1回担当者会議が開催されました。
「第18回 エキサイト四日市・バザール2009」のスタートです。
開催日時は平成21年4月4日(土)・5日(日)です。
開催趣旨です
平成4年に開催された「オープンバザール四日市」はその後、官民一体となって継続することで「春のバザール」として定着してきております。
この継続開催において、市制100周年・111周年という節目を経てきたなか「環境」や「地産地消」などのテーマを展開することにより、啓蒙の場としての役割を果たしてきた当イベントは、今一度原点回帰のときを迎える時期といえるかもしれません。
そこで「手づくり」「リサイクル」「リユース」といった視点をクローズアップすることにより、その意義を再確認することで市民参加を広く呼びかけ、コミュニティイベントの核としてのポジショニングを明確化し、まちづくりの一助となるべく継続開催するものであります。

市制111周年として開催された第17回に比べ、今回は財政的にも厳しい予算組みとならざるを得ませんが、行政の手厚い支援をいただきながら、前回並みのスケールで展開できるようスタッフ一同がんばってまいります。
回を重ねるごとに、エキサイトバザールの主張を色濃く出せるようになってまいりました。市民参加型の市民のためのイベントに、どうかご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。

昭和30年頃の諏訪公園

2008年12月16日 | レモン色の町
昭和30年から32年にかけて、辻写真館さんが諏訪公園の様子を撮ってみえる。
掲載済みだけれど、今一度諏訪公園を覗いてみよう。
          
諏訪公園南の通りを、三番街方面に向かって撮られた写真。
公園を背に屋台が並んでおりました。
          
公園南から藤棚を捉えた絵です。アドバルーンが待機しています。
右端にあるのが駄菓子屋の出店。お世話になりました。
          
市民壇。野外映画が始まるところです。
          
公園北西から藤棚に向かって撮られた写真。左に四日市幼稚園・図書館と並んでおりました。
          
雨の中、仲良く歩く小さなカップル。公園北東から藤棚方面を見た絵です。
後日、左側に鳥かごが建てられます。
この頃の諏訪公園は、親しみがあり、市民の生活観が色濃く出ていたように感じます。それだけ親しまれていたのでしょう。
日曜日などは、親子連れで賑わっていた記憶があります。

1974年の諏訪公園

2008年12月16日 | レモン色の町
マッちゃんが商店連合会の山車蔵へ探し物に出かけて、このアルバムを見つけてきてくれた。「タケオさん、おもしろいもの見つけた」肝心の探し物はなかったそうです。
写真の下にフジカラー74とある。1974年、昭和49年頃だろうか。
すっかり色あせてカラー写真の面影はない。
          
諏訪公園南の通りから三番街に向かって撮られた写真。屋台はすでに撤去済みで、左には猿のおりが並ぶ。
          
そこから公園方向を望む。遠くにすわ交流館が望まれる。すでに図書館は移転済みで、当時は公民館として使用されておりました。壊そうか?壊そうか?と市は思案していた頃でしょうか。
          
左を見ると市民壇が健在。相変わらず子供たちの遊び場です。
          
東側にあった大きな鳥かご。中には池が作ってあり、亀やガチョウ、鳥が飼われておりました。
          
そこから商店街方向、南方面を見る。公園の東側には鳥かごに並んで池が作られていました。右に見えるのは藤棚です。

湊かなえ著「告白」

2008年12月12日 | おいらの商店街
          
このところ商店街の役をさせていただいていると、腹の立つことが多い。
昔からそうだけれど、自分の状況が良くないと自分以下のものを作ることにより安心しようとする。自ずとそんな人がいると軽蔑したくなる。
この小説にも他人を軽蔑して、はけ口を殺人に向かわせる人物が登場する。もう一人、自分を正当化することで天誅を下す人物も登場する。
恨みと侮蔑とエゴ。それらが渦巻き救いようのない結末を迎える。
で、あるにもかかわらず、一気に読ませるおもしろさがある。というのも、真実がどこにあるのか知りたいからだろうか。
それぞれの人物が告白文の形で、ある事件をめぐり自分の立場で語る。各人の思いや苦悩が書かれている。読みすすむうち、各々の言い分に変に納得させられていくのが怖い。
せめてもの救いは、殺された愛美の父親だろうか。怒り心頭に達することがあっても、犯人を裁いてはいけない。それは悲劇の連鎖につながるだけだ。
人が人を裁く難しさを感じさせられた。
この結末にもかかわらず、作者は私たちにその後の顛末を放り投げられる。放り投げられて佇んでしまう。
このままでいいのか?このままで良いんですかと問いかけられる。
けれど、愚かな奴に天誅を下したい。しかし、制裁を加えたとしても相手は自分が悪かったなどと感じてくれるでしょうか?
「心の弱いものがさらに自分より弱いものを傷つける。傷つけられたものは、耐えるか死を選ぶしかないのか。そんなことはない。君たちが生きている世の中は、そんなに狭い世界じゃないんだ。今いる場所で生きいていくことが苦しいのなら、別の場所に避難してもいいんじゃないかと俺は思う。安全な場所に逃げることは恥ずかしいことじゃない。広い世界には必ず、自分を受け入れてくれる場所があると信じてほしい」(文中より)
今日、車を運転していて、こどもが道を渡ろうとしていた。
車を止めると「ありがとう」と大きな声で横断して行った。なんだかほっとした。
別に他の場所へ非難する必要はない。人々はお互いを信じあって懸命に生きている。そこへ目を向けるべきだろう。もっと広い世界へ目を向けるべきだろう。ニャ!

公衆電話のお話 2

2008年12月10日 | 諏訪商店街振興組合のこと
          
本箱をのぞいたらこんな本があった。
パラパラッとめくってみたらこのような項目がある。「通話無料の110番 誰が料金負担しているのか?」
筆者は公衆電話から一度だけ110番へ電話したことがあると書いてあった。
110番・119番・118番はタダ。そこでNTT様へ聞いてみた。
「ああ、あれですか。課金しないシステムになっています。当社には契約約款(通話に関する料金の減免規定)というものがあって、緊急通報用の通話は減免の対象になっております」
ほかにも地震などの災害が発生したときにNTTが指定した公衆電話から罹災者がかける電話も対象になっているそうだ。
言うまでもなくNTTはかつて「公社」だったから公共性のある通話は便宜を図っているということなのだろう。
さらに事情通がこう語る。
「電話は回線を引いたりと、システムをつくるときには膨大なコストがかかりますが、その後は一般回線から回収するだけ、大してコストはかかりません。公共性の高い通話をタダにしたところで、痛くもかゆくもないでしょう」
一般回線は、たいしたコストがかからないのかぁ、なぁるほど・・・・。