花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

ぶらり四日市 その二十二 浜田小学校校歌

2023年03月31日 | レモン色の町

またまたまち歩きシリーズがアップされました。GGシニアさまありがとうございました。

(101) 「たけちゃんの四日市街歩き/第5話、三滝橋まで旧東海道を歩く」 - YouTube

浜田小学校の校歌は、丹羽文雄氏による作詞でアリマス。で、二番三番の歌詞がおぼろげでしたので、アルバムを見たところ

昭和39年3月

一番の歌詞しか載っていません。そこで孫様に問いますと、卒業アルバムには丹羽文雄氏直筆の原稿用紙が掲載されておりました。

鈴鹿の山の 雪とけず

野に いそいそと 芽をふきぬ

青麦のごと わがいのち

六年(むつとせ)を ここに迎えん

浜田なる学び鵜の庭に

 

新潮香る 伊勢の海

波とこしえに 青々と

あらそわず また おかされず

若き夢 光を抱く

浜田なる学びの庭に

鵜の森のみどり 菜の花の黄

そは うつくしき あけぼのの

若きいのちの 彩(あや)なれや

いつの日か かざす灯(ともしび)

浜田なる学びの庭に

浜田小学校ですが、明治44年の地図では、旧東海道沿いに建っていたようです(第二小学校)。崇顕寺さんの斜め前にあたります。

左上に鵜森神社 旧東海道が通っている

昭和13年の地図では、現在の場所に建てられています。すでに1号線の計画があったと思われます。


蒸気ロードローラーはタイムマシン

2023年03月29日 | レモン色の町

下総人様から、面白いウェブサイトのご紹介があった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/25822cf74d69987804647802ee0d36b5f9414bc6?page=1

蒸気ロードローラーと蒸気トラクタであります。明治期に蒸気機関車に発達に後発して、蒸気動力車も開発されていった。その雄姿たるや、まさにタイムマシン。

日本ではほとんど見られなかった代物である。ここで思い出すのが、昭和13年の岡田屋呉服店前での、道路舗装工事の様子だ。

まさしくこれもタイムマシーンの雄姿にふさわしい。ところで左奥にみえる岡田屋の看板だが、この形と同じものが"ジャスコ30年史”に掲載されていた。

字体は違うが、形状とマークは変わりない。大正時代から始まった"初売り”は戦前まで続けられたそうである。

こんな写真もあった。昭和2年に、当時1番の繁華街、本町の港座での出張販売のチラシだ。ハリウッドの文字がみえ、又、自動車のサービスとある。送迎だろうか?まさか車が頂けるわけではなさそうであります。

岡田屋呉服店は、明治43年にショーウインドウをはやくも店頭につくっている。すごい!

 

 


ぶらり四日市 その二十一 昭和7年の空撮

2023年03月26日 | レモン色の町

昭和7年の空撮でゴザイマス。昭和7年4月10日夜半、文豪 丹羽文雄氏が崇顕寺からこおりを担いで家出をされた年です。前に、菜の花が満開の暗闇を駅へと走ったと書きましたが、意外に田畑は少なそうです。それよりなにより、丹羽文雄氏には、故郷の菜畠が印象に残ったのでしょう。父親の顔と共に・・・。

この年1月、上海事件が起きています。前年には満州事変が勃発、急速に太平洋戦争へと向かう頃です。3月には、傀儡政権である満州国が建国され、5月には5・15事件が起きて犬養首相が暗殺されます。

四日市では3月に四日市銀行が預金の払い戻しを停止し、4月になると休業します。一方、豪州の定期航路船の四日市港寄港が復活したり(10月)、四日市倉庫専用の繋船岸壁が完成されたりして(12月)、産業面での港の動きは活発でした。


スワの街から 春の東海道まつり

2023年03月25日 | おいらの商店街

下総人大明神様からコメントを頂戴つかまつりました。昭和5年ごろの西新駅にホームへ渡る跨線橋がないのではということで、よくよく見ました。よくよくみると駅舎の後ろに斜めの線がみえます。多分階段ではないかと思いました。自信は・・・・・・・・・ありません。

エキサイト四日市・バザール2023に合わせて、当スワマエ商店街でもイベントを開催出来ることとなりました。よしもとのオレンジ田中さんが、必死で動いてくれています。感謝!コロナ禍以降、久方ぶりの開催でゴザイマス。


ぶらり四日市 その二十 三和商店街

2023年03月24日 | レモン色の町

GGシニアさんが、番外編の第3話を立ち上げていただきました。お楽しみください!

(97) 「四日市街歩き番外編/第3話、昔を深掘り、映画館など」 - YouTube

昭和21年2月、海山道に港湾関係の会社重役が映画館経営に乗り出して『松竹映画劇場』を新築開業、戦前のヒット作「愛染かつら」大会や実演で周辺の観客を集めていたが、素人の経営が災いして1年足らずで取り壊し、その建物をJR四日市駅前に移築してマーケットにした。(三和商店街か?)

尚これは、日活劇場西に建てられた「四日市松竹」とは別でした。

樹林舎刊の「四日市の今昔」より 昭和30年から40年代の三和商店街でアリマス。国鉄四日市駅前に「銀座通り商店街」があり、本町への通路でした。このファサードをご覧ください。いかにも劇場入り口といった感が致します。その隣が「月賦販売の丸武」さんでした。

昭和43年頃の本町通です。右に踏み切り、左に本町プラザ(元 熊澤ビルで 当時は警察署でした)真ん中の本町7番が三和商店街でした。

現在は、ほとんどが解体されて駐車場になっています。これは6より7年ほど前ですか?映画館巡りで撮らしていただいた三和商店街です。

華やかし頃の店舗の並びです。飲食店や飲み屋が多い路地でした。

 

 


ぶらり四日市 その十九 西駅?おかしい?

2023年03月22日 | レモン色の町

国鉄西駅の歴史を写真で追ってみました。昭和2年伊勢電鉄の駅として、国鉄線路の西側に新駅ができました。それにしても古そう・・・

昭和5年。熊澤ビルの屋上から見た新西駅。駅へ入って右が伊勢電鉄のホーム。陸橋を上がると省線でした。

昭和6年。入口左にしゃれた電話ボックスが建っています。

確か昭和11年とありましたが、前の舗装が出来ていません。調べてみます

戦後、新しく建て直された西駅 雰囲気は変わっていません。

 

 


ぶらり四日市 その十八 合同駅

2023年03月20日 | レモン色の町

「男の囲炉裏端の会」で、街歩きの映画館巡りを仰せつかっていて、その第9回が3月23日に迫っております。お天気が悪そうですが、“小雨決行”否“小雨も結構”となっておりますので、執り行われることは間違いがないと思われます。

今回は、幻の合同駅(椙山満先生曰く・・・)の説明もしようと思っていますので、再々掲載をさせていただきます。

大正5年3月には、三重軌道と四日市鉄道の合同駅が出来ていました。年表によると大正2年に出来たとあります。

これは“あすなろう鉄道”さんが復刻版として出版された当時の鳥観図です。合同駅から西へ、諏方駅まで伸びて、そこから二つに分かれているのが分かります。

本町の水谷宜夫さんからお借りした地図です。四日市駅(省線)から出発した二本の線路が、善光寺さん北側を通過して諏訪駅へ延びています。

これも水谷さんにお借りした絵ハガキ。正面に建つ合同駅から西へ下がった写真で、右に善光寺さんの立派な山門がみえます。昭和初期となっていますが、昭和2年には国鉄の西駅が完成しているので、昭和元年かと思われます。

完成したばかり(それにしてはすでに老朽化している様子?)の西駅。駅前はまだ未舗装です。

昭和5年には西駅前の舗装が完成していて、伊勢線が四日市駅を出発、90度の善光寺カーブを曲がっているところがカメラに収められています。熊澤ビル(現・本町プラザ)の屋上から写されたとありました。

思えば、合同駅は十数年の寿命だったようです。


"赤報隊”の悲劇

2023年03月18日 | レモン色の町

たけちゃんの街あるき 好評の番外編 第二弾をGGシニアさんにアップしていただきました。是非ご覧ください!絶好調!でゴザイマス

(92) 「四日市街歩き番外編第2話/昔を深掘り、鵜の森公園、近鉄四日市駅など」 - YouTube

明治元年1月27日、三滝川河原にて、若者数名が処刑された。

維新の火ぶたを切った鳥羽伏見の戦いで勝利した官軍は、幕府の残党を追って京都から江戸へと進軍した。その先方隊となったのが“赤報隊”である。明治元年、湖東三山の金剛輪寺で旗揚げをした“赤報隊”は、維新政府に認められ、「御一新」と「年貢半減令」を掲げ、民衆の期待を負って江戸へと向かった。

ところが四隊に分かれた“赤報隊”のうちの滋野井公寿の隊が、桑名の晴雲寺に入った折、伊勢長島藩に対して三千両の軍資金を強要したとして捉えられる事件が起きた。真意は定かではないが、維新政府の「年城半減令」が不可能となり“赤報隊”が邪魔になったのが原因とされる。

処刑されたうちの、小室左門(26歳)と綿引富蔵(29歳)は、子孫の手により明治10年12月、栄町の松月庵に埋葬され、その墓碑は今も泊山墓地公園に残されている。

よっかいち歴史浪漫紀行 北野 保著 四日市商工会議所発行より


新四日市駅ができる!

2023年03月15日 | レモン色の町

近鉄は、昭和27年から31年にかけて、新四日市駅の建設工事を行い、三重交通も湯の山、内部、八王子線の接続工事を実施しました。写真は四日市駅の新築工事。写真集 三重の百年 より

近鉄四日市駅の新築工事の様子です。下を掘り返していますね。左から日が差しているので、西向きの写真です。掘られているのは地下道です。駅の改札口を入ると、階段を下りました。地下の通路は西口に抜けていて、その間に、近鉄線の大阪方面、次に名古屋方面、そして三重交通の湯の山、八王子方面への上り階段がそれぞれありました。西口へ出ると、空き地が広がっていて、その向こうには工業高校がポツンとありました。

完成後の昭和40年の新駅前 駅南に広がる三重交通のバスターミナル 噴水でなくロータリーでしたっけ 中央上のあたりにも、西へ抜ける小さな地下道がありました。樹林舎刊 四日市の今昔 より

四日市へ戻ってきて、改札口への階段を登りきるとすごい人でした。右側が切符売り場で、左には近鉄ストアの食品売り場へ入るガラス戸がありました。正面の噴水を見ながら左へ進み、横断歩道を渡ってジャスコ前を通って帰りました。

駅南の高架工事 昭和46年 当時 太陽生命は鵜の森神社東にありました。たくさんの車が 線路沿いに駐車しています。樹林舎刊 四日市の今昔より

 


浜田小学校 空撮!

2023年03月12日 | レモン色の町

前田憲司氏からお借りした"浜田小学校の空撮”です。昭和何年でしょうか?「学校で調べればすぐわかる」とおっしゃってみえましたが、推理するのも面白うゴザイマス。

地球は丸い!目的は何処か!

左に新しい近鉄四日市駅がみえる。駅前の噴水と、市役所前のロータリーは健在。三滝通りは未完成。右下に港中学校。もう少し近づく・・・

ハマダの人文字がみえてきた!

右の体育館が出来ているが、プールはまだない。職員室棟の右には、鉄筋3階建ての校舎になっている。下(南)には、三重交通の宿舎がある。右の大原文具店は相変わらず。左の貸本屋は、やっているのか?停車中の車から、昭和40年代?。創立記念日か?創立記念日なら休校のはず・・・。ヤッパ 学校へ聞きに行こう!