花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

学校Ⅳ 十五才

2014年06月27日 | 映画の名言、映画の迷言

山田洋次監督の学校シリーズ最終章“十五才 学校Ⅳ”は、不登校の大介少年が屋久島へとヒッチハイクを続けながら、成長していく物語です。

途中さまざまな人と出会い、さまざまな体験を積み重ねていきます。九州日向に住む引きこもり青年“登“は、大介と意気投合します。別れ際に彼が送った「浪人の歌」は、山田監督が実際に出会った引きこもりの少女の詩が元になっています。

草原のど真ん中の一本道をあてもなく浪人が歩いている。ほとんどの奴が馬に乗っても、浪人は歩いて草原を突っ切る。

早く着くことなんか目的じゃないんだ。雲より遅くてじゅうぶんさ。この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ。

葉っぱに残る朝露。流れる雲。小鳥の小さなつぶやきを聞き逃したくない。だから浪人は立ち止まる。そしてまた歩き始める。

映画の中で、この詩は二度繰り返されます。最後のシーン。登校途中に登の口から出るこの詩は、爽やかで勇気と希望に溢れたものでした。

現代社会の中で、がむしゃらに生きる人がいれば、ゆっくりと生きる人が居ても良い。人はそれぞれの生き方があって良い。そんな社会であるべきだ。山田監督は作品を通してそう語りかけているようです。


寅次郎 夕焼け小焼け

2014年06月22日 | 映画の名言、映画の迷言

シリーズ17作目の“男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け”では、日本画壇の第一人者に扮する宇野重吉がとてもいい味を出しています。

この作品で志乃扮する岡田嘉子は、大正から昭和にかけてのトップ女優。奔放な恋愛遍歴をたどった彼女は、ソビエトへの亡命など、波乱の生涯を送りました。山田監督のエールで、30年ぶりの映画出演でした。

池ノ内静観は、久しぶりに龍野市に住む昔の彼女“お志乃さん”の処を訪ねます。

「お志乃さん 申し訳ない 」

「どないして」

「僕は あなたの人生に責任がある」

「和夫さん 昔とちっとも変わらしまへんな その言い方」

「いや・・・しかし 僕は後悔してるんだ」

「じゃぁ 仮にですよ あなたがもう一つの生き方をされとったら ちっとも後悔しないですんだと 言い切れますか」

「・・・」

「あたし このごろよく思うの 人生に後悔はつきものじゃないかしらって

ああすりゃよかったって後悔と 

もう一つは どうしてあんなことしたんだろうっていう後悔・・・」

昔の ソビエト連邦への逃避行を 彷彿とさせるシーンです 


ここに弥生館があった2

2014年06月21日 | レモン色の町

岐阜人さんから弥生館閉館の件でコメントをいただいた。(前出2012年10月22日のブログ)前日、弥生館の記事を読んでいた処だったので、偶然に驚かされた。(下の写真は平成26年6月21日現在の弥生館跡デス)

“旧 四日市を語る会”第24週が届いた。岡野繁松先生もスゴイ!という言葉に匹敵するほどのお達者振りデアル。80歳を超えてもやる気満々である。

この中に、出口さんが“映画館の思いで”の題で投稿してみえた。四日市グランド・シネマ・三重劇・中映・ベガ・スピカ・リゲルと懐かしい劇場名が並ぶ。そして弥生館の閉館時の様子が書かれていた。

三歳になる息子さんを実家に預けるのも面倒なので、一緒に弥生館へ連れて行く。この時チケットをもぎっていたのは「ホームアローン」に出てくるドロボウみたいな、痩せて背の高いおじさんと、太って背の低いおじさんだった。私たちが客席からロビーに出てくると「坊は小さいのに一生懸命観てくれてエライゾ。ありがとう」と息子にトミカをくれた。もぎりは映画館の人で、映写機を回しながら受付もしているのだと分かった。

 この息子が幼稚園の頃、弥生館が閉館することになった。最後の一週間は日替わりで名画を上映し、最終日は無料開放になった。幼稚園にお迎えに行って、息子を自転車の後ろに乗せ、私は上映時間に間に合うようにそのまま映画館に向かった。「もう弥生館がなくなっちゃうんだ」と思いながら、大急ぎでペダルを漕いだ。上映作品は「ニューシネマパラダイス」。映画館が取り壊されるシーンではあちこちからため息が聞こえた。

 ロビーには「どうぞご自由にお持ち帰りください」と映画グッズが並んでいた。もぎりのオジサンは息子に「もう坊とも会えんようになるなぁ」とスーパーのレジ袋一杯にドラえもんのマスコットをくれた。

 弥生館が閉館したのは平成8年(平成9年と岐阜人さんに訂正をいただきました)2月28日と教えていただきました。小さい頃は、親父に連れられてよく怪獣映画を観に行ったのもです。若大将シリーズ・黒澤監督作品など印象に残る東宝作品が多く、“地球防衛軍”は小学校の頃、友達と誘い合って出かけたが、すでに映画は始まっていてロボット怪獣モゲラを見ることが出来ずに残念だった記憶があります。


再度“人を動かす”

2014年06月16日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

カーネギー著“人を動かす”を、チビリチビリ読ませていただいております。

人間の行為に関して、重要な法則がひとつある。とカーネギー氏は書いておられます。この法則にしたがえば、ほとんどの争い事は避けられる。この法則を守りさえすれば、友は増え、常に幸福が味わえる。そして、この法則を破ると、果てしない紛争に巻き込まれる。さて、この法則とは…

「常に相手に重要感を持たせること」

また逆に、人に嫌われたかったら次のことを励行せよとあります。

・相手の話を決して長く聞かない。

・常に自分のことだけをしゃべる。

・相手の話の途中でも、意見があれば話をさえぎる。

・頭の回転が鈍い相手の話など長々と聞いてはおれない。話の途中でも遠慮なく口をはさみ自分の意見を述べる。

心当たりは多々ございます。反省でアリマス。


平成26年度 四日市商店連合会総会 開催

2014年06月11日 | 四日市商店連合会です

平成26年6月11日 13時30分より 平成26年度 商店連合会定期総会が開催され 森修平会長の進行で、議事はすべて承認されました。

四日市商工会議所 事務局長の高橋建次氏は 進めてきた街づくり会社の立ち上げが中断せざるを得なくなったお詫びと、市のふれあいモール改装にあたり、東側商店街への導線を重要視してきたこと、そして、商工会議所が実施している助成金事業では、残念ながら商業者からの希望が少なく、もっと積極的に活用して欲しい旨の要望がありました。

尚、サンシ前罹災地再建計画には、これまで通りという訳にはいかないけれど、関与していきたいと話されました。

伊藤文雄氏所蔵の昭和26年当時の“四日市商店連合会会報”が公開され、商連設立当時の運営状況が偲ばれました。懐かしいガリ版刷りで、岡田卓也氏の文字も見受けられます。


サンシ前火災跡地のこと

2014年06月10日 | 諏訪商店街振興組合のこと

2007年9月16日起きた諏訪栄商店街の火災から やがて7年の歳月が経ち ようやく再建の見通しが立ちそうになりました。

平成26年度で事業推進計画の策定作業を行い、27年度には具体的な建設のための計画作りに入ります。現在、地権者との調整作業が行われています。

現在に至るまでは、四日市商工会議所のまちづくり支援課さんが中心でしたが、これからは事務局を四日市諏訪商店街振興組合に移して、事実上、㈱地域環境デザインの石崎均先生が中心となって進めてまいります。

ここに諏訪栄町街づくり協議会と四日市市がかかわることになりますが、街づくり協議会が中心商店街まちづくり事業の一環として、どこまで深くかかわることができるのか、手腕が問われるところです。(他人ごとではありません)

それよりなにより今まで再建事業に努力していただいてきた“まちづくり支援課”さんの、無念のうちは想像に難くありません。思い歯車がようやく動き出そうとしている矢先のことです。

どうかこの戦列に加わっていただきたいものです。(ラブコール)

そして、この事業の成功が、白揚跡地とジャスコA館跡地再建事業への起爆剤となることを 確信しております(石崎先生 談)

息抜きに うちのタマ!おおきくなりました ひたすら遊んで 寝て 食べる毎日です

 


杉浦貴さん 逝く

2014年06月06日 | 諏訪商店街振興組合のこと

本日、10時30分より 市議会議員 杉浦貴さんの葬儀があった。

杉浦さんには大変お世話になりました。何によりも 人柄のよい 決して腹を立てたりすることのない 穏やかな方でした。享年62歳 道半ばの 無念の死であったとお察し申し上げます。

エキサイト・バザールにて

お別れの言葉で 親友の東員町町長の水谷氏は 生前好きだったフォークソングに“自転車にのって”高田渡 があったことを話してみえました。

自転車にのって ベルをならし

あそこの原っぱまで

(この間の)野球のつづきを

そして帰りにゃ 川で足を洗って

自転車にのって おうちへ帰る

自転車にのって 自転車にのって

ちょいとそこまで あるきたいから

 

自転車にのって ベルをならし

となりの町まで いやなおつかいに

そして帰りにゃ 本屋で立ち読みを

日が暮れてから おうちに帰る

自転車にのって 自転車にのって

ちょいとそこまで あるきたいから

 

自転車にのって 自転車にのって

ちょいとそこまで あるきたいから


6月の朔日恵比寿

2014年06月01日 | おいらの商店街

本日は、朔日恵比寿でした。みんなで一致協力して、抽選会を盛り上げようとするグループと、無視するグループ、そしてひがんだ目で見つめるお店?とに分かれてまいりました・・・・ように感じます。それでいいと思っています。分かって欲しいとも思いません。賑わう通りになるよう、やる気のあるお店で結束してひたすら努力するのみです。

今月も、若者サポーターステーションの方のご協力をいただきました。お聞きするに、商店街のごみ整理をしていただいてみえるとのこと。暑い季節に向かって、お気の毒です。

うちのタマは、一月になりました。

よく遊び、好奇心旺盛です