花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

椿の花と梅の木

2010年02月27日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
          
暖かな日が続きます。玄関の椿が一輪また一輪と咲きだしました。
          
見ると、隣の梅が満開。昨日の雨で、花びらが何万枚と我が家に舞い込んでいます。春はもうすぐ。
今日は中日新聞の小林記者さんの訪問を受け、諏訪商人塾の件で取材を受けました。
直後、別所さんの息子さんが、イベントの相談を持ってみえました。書いていいのか判断がつかないので伏せておきますが、なかなか面白い切り口の企画です。自分なりに出来るだけの協力をお約束しました。
お会いしたとき、お名前を思い出せませんでした。大変失礼いたしました。
この街に愛着を持ってみえる方がいるんですねぇ。
元気をいただきました。
明日に希望を・・・
・・・っと 照れる

映画「インビクタス」

2010年02月26日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
          
遅くなってようやく「インビクタス」を観ることが出来る。
ネルソン・マンデラが30年近い投獄から出て、南アフリカ共和国の大統領に就任する。白人と黒人が対立する国を、彼はラグビーのワールドカップを通してひとつにする。これは真実の物語。
最後の写真に、実際の試合の様子やマンデラの顔が映し出される。ずいぶんかわいい顔をしている。
マンデラ役のモーガン・フリーマンは好演。トップとしてあるべき姿が描かれる。人を許す心、人に対する心遣い、固い信念を優しく粘り強く伝える心。
ワールドカップに優勝したその瞬間、対立していた心はひとつになる。会場の外で車のラジオを聞く警備員たち。黒人の少年がそれとなく近づいて実況に耳を傾ける。うるさがる警備員。しかし、最後には子供を抱き上げ共に優勝を喜ぶ。スポーツは良い。勝手も、負けても、引き分けても・・・・
ネルソン・マンデラはすばらしい人だ。そして、映像として感動を伝えるクリント・イーストウッド監督の手腕に脱帽。

イベント「昭和青春商店街」

2010年02月24日 | おいらの商店街
平成22年2月22日 久しぶりにオラが商店街表参道スワマエの有志による相談会が開かれた。
じつは、エキサイトバザールに出展する「昭和レトロ」の小林さんとのお話がヒント。小林さん曰く「昭和30年代も面白いが、1970年代も良い」
          
コスモちゃんから借りた「別冊宝島 1970年大百科」によると、厳密には1965年(昭和40年)から1975年(昭和50年)あたりになるそうな。
1965年2月7日 ベトナムへの北爆開始
1966年4月4日 NHKドラマ「おはなはん」放映
1966年7月17日 「ウルトラマン」放送はじまる
1967年10月18日 ツィギー来日
1967年12月25日 ザ・フォーク・クルセダーズ「帰ってきたヨッパライ」
1968年 「巨人の星」放映
1969年8月27日 松竹映画「寅さんシリーズ第1作」封切り
1970年3月14日 大阪万博始まる
1971年 「仮面ライダー」放映
1972年2月19日 浅間山荘事件
1973年11月 石油ショック
1974年10月14日 長嶋茂雄引退「巨人は永遠に不滅です」
1974年12月 原油価格の高騰で戦後初のマイナス成長に

昭和30年代の「昭和レトロ」はすでにブーム遅れ。1970年代のほうが新鮮で面白い」とは、出席したコスモちゃんの弁。
「1970年代なら 今のスワマエそのまんまやんか」
ということで、会議は盛り上がり、次年度のイベントは「スワマエ 昭和青春商店街」をぶつけることに決定した。
開催宣言
大阪万博に始まる1970年代は、団塊の世代にとっては青春時代真っ只中でした。サイケにロックにニューシネマ。あらゆる分野に若者は自己主張しました。しかし、社会面では高度成長期が一段落し石油ショックに見舞われ、少し立ち止まって自分たちの周りを見直そうかな?と考え始めた時代でもありました。
いろいろな意味でも魅力あるこの時代を復刻させ、イベントとして展開しようと企画することになりました。
さて、いかなるイベントに仕上がりますことやら・・・

豊後高田の昭和の町

2010年02月20日 | 諏訪商店街振興組合のこと
          
江戸時代から明治、大正、昭和の30年代にかけて、豊後高田の中心商店街は国東半島一の賑やかな"お町"として栄えていました。
豊後高田「昭和の町」は、この商店街が最後に元気だった時代、昭和30年代の賑わいをもう一度よみがえらせようという願いをこめて、平成13年に着手した町づくりです。
ところで、昭和30年代とは、どんな時代だったのでしょうか?
貧しく不便だったけれど、明るい未来を信じて、隣近所が肩を寄せあい、助けあいながら生きていました。
豊かで便利になったとはいえ、平成の今に比べて、幸せが実感できた時代、生きる手ごたえがあった時代といってもいいでしょう。
時は物の形も人の心もすっかり変えてしまいましたが、豊後高田「昭和の町」には変わらなくてよかった形や心が今なお残されています。
平成の今、懐かしさにしてしまった物も人も、ここではまだ大切に守り伝えられているのです。
お帰りなさい。思い出の町へ。
http://www.showanomachi.com/index.php 豊後高田昭和の町ホームページより
2月19日エキサイト四日市・バザール打ち合わせのため、昭和レトロコーナーの小林さんと堀木さんとで打ち合わせをおこなう。※小林さんの記事は2009・7・5に記載
そこで豊後高田昭和の町のお話が出た。そういえば石川先生からもお聞きしたことがあった。
表参道スワマエは、建て替えなくてもそっくりそのまま昭和レトロですと冗談を交わした。小林さんは面白い方だ。火災でなくなった街道文化村にも出店されていたとのこと。懐かしい四日市商店街の話で盛り上がった。
是非是非訪れてみたい商店街だ。
追記
2月17日には、駅西の街区委員会へ、エキサイトバザール協力のお願いに上がった。
この会議にお邪魔するのも、これで四度目になる。


第8回 諏訪商人塾2009開講

2010年02月19日 | 諏訪商店街振興組合のこと
冷たい風が鈴鹿の山から吹いてきますが、日差しは春を感じるようになりました。3月から4月の夕刻から夜にかけてが、1年のうちで私の一番好きな季節です。
今朝の報道番組で、二十歳代の野球選手(名前忘れた!)が話していたことばが印象的でした。苦労をくぐってきた人のことばです。
優しいという言葉は、人を憂うと書くと・・・・。
さて、2月17日第8回諏訪商人塾2009が開かれました。10店舗の皆さんにお集まりいただき、商店街情報誌作りをおこないました。石川先生を中心に、提出された原稿をひとつずつプロジェクターで写しながら検討いたしました。
今回の案内に「出席できない皆さんは、情報誌に掲載できないかもしれない」とお知らせしたところ「それはない!」とお叱りのご意見を頂戴しました。
先生のお話を覚えています。「チラシは、出来上がりが大切なのではなく、そこにいたるまでの経過が重要なのだ」と言うことです。
自分のお店を見て「売り」や「一店逸品」を考える。出来上がった文章をみんなで練り上げる。当人には気づかない欠点が出されるかも知れません。そこは「恨みっこなし」で話し合う。基本に流れるのは、お互いのお店を“思いやる”気持ちです。
商店街全体が情報誌を通じて元気になることが、諏訪商人塾の目的なのですから。
残された日数はあまりありません。全速で編集作業を進めてまいりたいと考えています。魅力ある「商店街スワッチ」を作り上げるため、皆さんのご協力をお願いいたします。

CTY様と とんてき協会様の取り組み

2010年02月14日 | 諏訪商店街振興組合のこと
エキサイトバザールの取り組み報告です。
2月9日(火) とんてき協会様と、三重県ご当地グルメ大会の会場となるグリーンモール様と、打ち合わせをおこなう。
今回は津についで第2回目の開催。実施日は4月4日(日)午前10時からで、四日市のとんてき・津ぎょうざ・名張の牛汁・亀山みそ焼きうどんの出店が予定されている。各品500円前後で販売されて、これが一番!と思われる箱へ食べた割り箸を入れ、最後に箸の目方を計って勝敗を決める。
経過報告と表彰式は、三滝ステージで4日の午後3時20分ごろ行われる。

2月12日(金)CTY様へ堀木さんと赴く。
CTY様では、エキサイト・バザールに合わせて商店街各所にカメラを設置、リアルタイムにモニターで会場の様子を見ることができるような計画が進められている。
これにより、事前のイベント内容や駅前からの案内役に一役かっていただけそうだ。
今回は、商店街の各所で広範囲にイベントが展開されるため、お客様も迷わず会場を訪れていただける。
うれしい取り組みに感謝感謝!

中日新聞「ひと模様 商い」第二部決断より

2010年02月10日 | おいらの商店街
          
中日新聞「ひと模様 商い」の第2部 決断にしまぐち屋さんのことが掲載された。
<昼下がり、16席のこぢんまりとした店内が、いっぱいになった。
3年前に一度、廃業し、周囲の助けで再起した。
「パパパっと、花火は上がるようになったな」店が軌道に乗っていることを、独特の言い回しで喜んだ。>
思い起こせば3年前、スワマエのススム会長が「空き店舗にうどん屋をやりたい」と言い出した。早速、市の「四日市市魅力アップチャレンジ事業」の助けをいただき内装に取りかかった。
ちょうどスワマエで商売をされていた“ローズリー嶋口屋”の堀木さんが閉店された時だったので、昔の嶋口屋さんを再開しないかと持ちかけた。
堀木さんご夫婦を呼んでお話させていただいた。
「閉店されたすぐ近くでの開業となります。辛くはありませんか?」
「しっかりやります。大丈夫です」
あのときの会話は、忘れることが出来ない。
<取引先に事情を話し、自己破産を決めた。老舗の歴史は一時、途絶えた。
「寂しさがないとは言えやんかった」
半年後、知人の店で働くことを考えていたとき、近くの商店主から「うどん屋をやらないか」と声がかかった。迷わず引き受けた。>
私自身も、支店を閉店したばかりだったので、明け渡した店舗の行く末を間近で見ることは辛いことだろうと思ったからだ。
そしてこう結んであった
<信念がある。「みんなにつくってもらった店だから街の店。みんなの店でありたい」街に人を呼び込もうと、店先をイベントなどで活用したいとも考えている。
そう語るとき、目には商売人の輝きが戻っていた。>
自己破産など、人にそう簡単に言えることばではない。
最後に、取材をした福岡記者はこう書いてみえる。
<「店を閉めることは、人に迷惑をかけるだけ」と語ったことばが印象的だった。商売人が閉店を決断することは並々ならぬことだと、あらためて感じた。その前向きさが積み重なれば、現状を変える力になると信じたい。>
今、ススム氏から「ええ記事書いてもうたなぁ」という電話があった。
2007年3月24日に書いたブログを、もう一度思い起こした。
注 初出の堀木さんは、アビオンの堀木さんのことです。混同されませんよう

中日新聞「記者ノート」より

2010年02月07日 | おいらの商店街
ヤナさんからいただいた新聞のコピーから。1月16日付中日新聞の「記者ノート・自助努力」 大森準さんの記事だ。
大森さんは、安城中央商店街連盟(愛知県安城市)の鶴田伸也会長のことばに同感したとあった。それは
行政等の支援を受けて行う中心市街地活性化事業と、中心商店街の活性化とは切り離して考えるべきだと指摘している。
四日市の中心市街地に、過去そして現在もさまざまな活性化策が考えられ実施されている。イベントしかり、空き店舗対策しかりである。
四日市諏訪商店街振興組合でも、通商産業省の支援をいただいて、スワセントラルパーキング屋上に太陽光発電を設置し、駐車場内の照明をLED化し、そして商店街に防犯カメラを据え付ける事業に取り組んでいる。
しかし、この事業が自分の店の利益に直接結びつかないからと、無関心を決め込む店主がおみえだ。
お店には生活が掛かっているから、まさかそんなことはないと思うが、高齢化が進む商店街では「何とか自分の晩年が送れば、もう店舗はどうでも良い」と考えておみえの方が、居るんじゃないかな?と思えてしまう。
街は大きなマザーシップ(母なる船)だと、私は考える。今日まで我々を育ててくれた恩を忘れて、このまま沈めてしまってはならない。
活性化の策が仕掛けられる一方で、解決には、やはり各店の自助努力が必要と、大森さんは結んでいる。

ポスター完成!

2010年02月03日 | 諏訪商店街振興組合のこと
          
第19回 エキサイト四日市・バザール2010のポスターが、ただいま完成しました。
賑やかで、会場の雰囲気が良く出た作品となりました。ご足労いただいた富士印刷さんとアビオンさんには感謝いたします。
          
2月8日 モリコロ部分を訂正させていただきました これで決定でございます
富士印刷様・三重県環境学習センターの水谷様 手数をおかけいたしました
間違い探しの漫画のようですが・・・・比べてみてください

みんなでエコ!

2010年02月03日 | 諏訪商店街振興組合のこと
           エコゾーン案
エキサイト四日市・バザール2010が取り組む「みんなでエコ」をキャッチフレーズに、エコゾーンの構築が大きな広がりをみせています。
三重環境学習センターの水谷さんと、四日市環境学習センターの山本さんのおかげで、学校・団体・企業・行政の方々の出展をいただくことが出来そうです。
中央のステージでは、ごみゼロソング&ゼロ吉君・モリゾーとキッコロの環境クイズ・エコレンジャーショー等が開催予定で、エココーナーでは、動物のバルーンアート・自転車発電体験・エコ冒険ラリー・竹工作・水をきれいにする展示・携帯回収リサイクル・こどもエコ宣言カード発行・エコキャンドル作り・リサイクル品の販売・ミニプラネタリュウム等が並ぶ予定で準備がすすめられています。
かねがね考えていたことですが、各ゾーンをそれぞれ専門の方にお任せして、チームワークでバザールを作り上げる、そんな理想に近い形が出来上がりつつあるような気がしています。うれしいことです。
皆様のご協力、心より感謝いたしております。
ありがとうございます

           ソーラーカーの試乗