花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

豆腐百珍

2011年06月27日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
週刊文春から
江戸時代の百珍本の中に「豆腐百珍」というのがあり、豆腐を使った料理が百種類書いてある。その中の一種類に作家の畠中恵さんお気に入りのレシビがあるという。
味噌200グラムに、酒とみりん大さじ1杯を入れかき混ぜる。容器の底にこの味噌を薄く敷き、よく水切りした豆腐をキッチンペーパーでくるんでのせる。残りの味噌を豆腐の周りに塗りつけて、1日おくと出来上がり。
この味噌漬けは、卵の黄身やチーズでも結構いけるそうだ。
厚めに敷いた味噌の真ん中にくぼみを作り、そこへ卵の黄身を落とし込んで上から味噌でそっと包む。チーズの場合は、ラップに味噌を薄く塗りチーズを包む。
暑い夏、冷酒をちびちびやりながら、摘まむのはたまらない
だろう・・が、所帯を持ってこの方、台所に立ち料理したのは一度っきり。ハヤシライスのみデゴザイマス。トホホ

小津安二郎の「秋刀魚の味」

2011年06月22日 | 諏訪商店街振興組合のこと
「秋刀魚の味」は昭和37年に作られた小津安二郎の遺作です。
老いて孤独になっていくつらさ、せつなさという主題は「晩春」「東京物語」などでも深い印象を残していますが、それが最も見事な表現に達したのが「秋刀魚の味」でした。
だから暗い作品になるのではなく、お酒の席をふんだんに盛り込み冗談を交えながら、楽しい雰囲気で進行します。
     
恩師のヒョウタン(東野栄治郎)を見かけたことから、同窓生が集まろうということになります
     
ヒョウタンを交えた同窓会。楽しい席で恩師はすっかり酔いつぶれてしまいます。
     
ヒョウタンは娘(杉村春子)と二人で中華料理店をしていることを知り、みんなで記念品変わりにお金を送ろうということになる。
     
たまたまヒョウタンの店であった軍隊時代の部下(加藤大介)に誘われて近くのスナックへ・・・
     
ヒョウタンは娘を嫁に出さなかったことを吐露。笠智衆は、友人の勧めで娘(岩下志麻)を嫁に出す決心をする。
     
式の当日。娘は婚礼姿で父親に分かれの挨拶を・・・
     
無事、式が済み友人宅を辞退した笠智衆に、孤独と寂寥感が襲う。
酒の席で交わされるジョークは、残酷でありさえするけれど、実に温かいまなざしで日常が描き出されています。
私は「東京物語」よりもこの「秋刀魚の味」がいちばん好きでアリマス



原発労働記 堀江邦夫著

2011年06月19日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
今や福島原子力発電所は、明らかに手のつけられない惨状を呈しています。
          
堀江邦夫さんは、1978年9月28日から翌年の4月19日にかけて、美浜原子力発電所、福島第一原子力発電所、敦賀原子力発電所の下請け労働者として働き、自らの体験を持って「原発ジプシー」という本を書かれました。
そして、今回の震災をきっかけに、講談社文庫から「原発労働記」の題で新たに出版されました。この本は、学者や専門家の手によるものでなく、堀江さん自らが現場で体験された記録です。
ここに一貫して感じ取られるのは、電力会社正社員と下請け労働者の間にある強烈な差別意識です。日当5~6千円で働かせ、不十分な放射能検査でこき使う会社のことを考えると怒りがこみ上げてきます。
原子力発電所の点検や修繕のほとんどは、下請け業者に任せられています。発電所内部も、建設当時から点検を配慮した構造に出来ていないと堀江さんは書いてみえます。明らかに人権を無視して、金銭感覚だけで造られたとしか考えられません。これでは、非常時における対応がまったく出来ないことも理解できます。
最後に堀江さんはこう記していました。
「この本のなかでも繰り返し述べてきたような、テレビに映ることも、人々に感動を与えることも、賞賛されることもなく、コンクリートに囲まれた原子炉内の暗い暑い現場にはいりこみ、日々、放射能をその全身に浴びながら、ただひたすら黙々と働く下請け労働者たちがいることを、さらには、彼ら労働者たちの被ばく作業無くして原発は決して動かないのだ、との重い現実にも想いを寄せていただけたら、と思います」

森新会長発足

2011年06月17日 | 四日市商店連合会です
昨夜は、四日市商店連合会の新会長 森 周平新体制になってから初めての役員会でした。
集まったのは5名と、いつもの顔ぶれでしたが、森会長からは意欲的な新しい取り組みが提案されました。
高齢化と商店の減少で人材不足といわれている昨今ですが、商店街の活性化に加わりたいとの思いを持つ方はたくさんみえる。そういった方々の力を借りて、新しい活力ある風を取り入れようというのが新会長の意見でした。
森さんは、会長就任を決心されてから心当たりの方と接触され、すでに数名の方から商連加入の承諾をいただいているとのこと。私も刺激をいただきTさんにあたったところ、快い了解の返事をいただきました。Tさんは、その場で具体的な構想を話され、8月からでも会合の場を持ちたいとのことでした。
同じメンバーで顔をつき合わせていると、どうしても消極的な意見しか出なくなる。懐を大きくして、聞く耳を持つことで打開策が生まれます。
四日市商店連合会の大看板のもと、如何にして新しい意欲を吸い上げ行動に移すか。森新会長の手腕が問われるところでアリマス。

松竹大船映画 吉村英夫著

2011年06月15日 | 諏訪商店街振興組合のこと
歯が痛くて二晩寝られなかった。本日は東海市への視察を断り、歯医者へ出かけた。歯の深いところで化膿しているということで治療してもらい、今はずいぶん楽になった。
          
図書館の本「松竹大船映画」吉村英夫著 創土社 に小津安二郎のことが載っていたので、先日の文化の駅サテライトステーション事業のプレゼンで紹介しました。その文面を掲載いたします。

小津は生涯かけて、人の世がめんめんと続く姿を、親子、兄弟、夫婦にしぼって描きつづけた。家族の生成から別離、またの生成を、無常の相でみつめた。スタンダードザイズの小さな画面に、たった一人の人物が映るショットを多用し、孤独に生きる人と人とはつながりにくいが、悲しく寂しい宿命に耐えねばならないのだと説いた。だとすれば、小津の映像は暗く重いものになりそうである。だが、小津映画はいうほど暗いだろうか。そんなに暗い印象を観客に与えるのか。そうではない。むしろ逆である。(中略)
そう、小津映画を見ての印象は暗くない。巧まざるユーモアと深い情緒は、むしろ温かい。観客は究極の家族の姿を画面の奥に感じて、寂しいながらも、芸術作品に接したとする至福の瞬間を味わう。それが小津映画である。(中略)
突き放した人生観照の態度で人間を描いているようでありながらも、画面には人懐かしさがにじみ出る。どうしてか。そう、小津の人間存在への限りない思いがこもるからである。人間への愛(いと)おしさがあるから、映像から滋味あふれた人間的香気が漂うのである。

吉村英夫氏のこの言葉は、特に戦後、世界の小津と言わしめた作品群、その魅力の真髄を言い当てているようです。「東京物語」「秋刀魚の味」「晩春」「麦秋」「秋日和」どれもみな人生の孤独感が切々と迫ってくる、にもかかわらず、ほのぼの、しみじみとなんども観たくなるのは、このあたりに原因があるようでアリマス。

サテライトステーション事業 プレゼンに出席

2011年06月13日 | 諏訪商店街振興組合のこと
          
6月11日3時35分、総合会館へ外羽理事長と出かけました。
この日は、平成23年度文化の諏訪駅サテライトステーション事業のプレゼン(説明審査会)の開催日だったからです。
かねてより、四日市諏訪商店街振興組合で小津安二郎の映画鑑賞会を企画してみたいと思っていたところ、今回の事業が後押しとなりました。
企画理由は、① 四日市市中心市街地グランドプランに沿った、映画文化を介した市民交流の場作り ② 東日本大震災から起きている変化。スローライフと家族関係の見直し ③ 三重県にご縁のある監督 といったところです。
5名の審査員の前で説明した後、質疑応答になりました。
DVDの普及等で、現代ほど映画が多くの人に観賞されている時代はないと思いますが、四日市の映画文化はそれほど高いとはいえません。審査員の方から「昔懐かしい東映の時代劇をしては」とのご意見をいただきましたが、開催理由が明確であるべきだと考えます。単に懐かしく楽しいだけでなく、名作に触れて自分の生き様に何らかの影響を及ぼすような、人との関係を思いなおしてもらえるような、そんな作品を鑑賞し話し合えるような場作りが出来れば、それこそ文化という名にふさわしい活動だと考えます。
われわれの後、二組の応募の方がみえていました。皆さんがこの事業に合格し、文化の街四日市中心商店街と呼ばれるにふさわしい街になることを、願うばかりです。

大阪ステーションシティ探訪

2011年06月11日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
6月8日 5月に開業したばかりの“大阪ステーションシティ”を見てまいりました。
     
     
     
目玉は大阪駅の北と南にビルを建て、巨大なドームで駅をかぶせたことであります。
ホームの上にかけられた橋には広場が造られていて(時の広場)ここからは古いままのプラットホームが見下ろせます。
     
開発テーマは「水」「緑」「時」「エコ」「情報」ということでアリマシテ、長いエスカレーターをあがり、エッチラオッチラ幾つもの階段をのぼって行くと、屋上には野菜が植わった庭園が造ってゴザイマシタ。暑くてしんどくて「コンナモン 裏の畑にイクラデモアルワイ」と思いましたが、マ、実の成るのは楽しみでゴザイマショウ。
     
ひとやすみして昼食をと10階のレストラン街を覗いてみましたが、ものすごい人混みで、とても並んでまでいただく気になれませんでした。飲食は強い!
NORTH GATE BUILDING北側は、ただ今開発中。日本で元気のあるのは東京のスカイツリーと大阪ステーションではないでせうか。
     
とにかく巨大です。都会で巨大でゴザイマシタ
四日市からの高速バスに乗り、2時間半ほどで梅田に到着。往復4000円で出かけられますので、是非一見のほど・・・

小津安二郎の「長屋紳士録」

2011年06月04日 | 諏訪商店街振興組合のこと
「長屋紳士録」は昭和22年、小津安次郎がシンガポールでの捕虜生活を終え帰国してつくられた第一作です。戦災で一面焼け野原となった東京の片隅に肩を寄せ合って生活する長屋の人々の人情劇です。
     
ある日、人相見(笠智衆)が雑貨屋のおたね(飯田蝶子)のところへ、上野公園に居た戦災孤児を、しばらく預かってくれと連れてくる。子供嫌いの強情女が、これまた強情な少年にてこずらされたあげく、やがて情が移り、ほだされてしまうストーリーです。
おたねは「きたない子だよ、あっちいっといで!」「「今度寝小便をやったら、つまみだすよ!」「あんたのおとうさんも不人情だよ。あんたははぐれたんじゃないよ、置いてかれちゃったんだよ」と最後のギリギリまで、子供嫌いを通します。
しかし、叱りつけた子供の家出をきっかけにおたねの心境が変化して行くのです。
     
動物園へ連れて行ったり、写真屋で記念写真を撮ったりするのですが、ある夜、少年の父親が現れて、少年は引き取られていきます。
肩を落として涙するおたね。それを慰めようとする長屋の面々。
     
ところがおたねは寂しくて、悲しくて泣いているのではないという。
「あたしゃ悲しんでないているんじゃないんだよ。あの子がどんなにかうれしかろうと思ってさ」
「あたしたちの気持ちだってずいぶん昔とは違っているよ。自分一人さえよきゃいいじゃすまないよ・・・早い話が、電車に乗るんだって人を押しのけたりさ、人様はどうでもてめえだけは腹いっぱい食おうって料簡だろう。いじいじしてのんびりしてないのは私たちだったよ」
おたねの流す涙は、子供を捨てた父親が予想に反して良い親だったことを喜び、薄情な自分を恥じる嬉し涙だったのです。
      中野 翠「小津ごのみ」筑摩書房 より
     
映画の中で、笠智衆が楽しい芸を披露します。長屋の連中が集まって酒盛りが始まる場面ですが“のぞきからくり”の口上(不如帰)を謡います。
「父は陸軍中将で、片岡子爵の長女にて、桜の花も開きかけ、人も羨む器量よし、その名は片岡浪子嬢・・・」
宴会の席で、この芸を披露したところ、監督に気に入られて映画に取り入れられることとなったそうでアリマス。
     
戦争直後の東京の風景には、ア然とさせられます。

本日は朔日恵比寿

2011年06月01日 | おいらの商店街
本日は表参道スワマエの「朔日恵比寿」でした。
午前9時に通りに幟を立て、諏訪神社へ参拝をしました。
新鮮野菜100円市は、プチトマト・トマト・ねぎ・ジャガイモ・破竹・たまねぎ等が並んで、あいにくの雨空にもかかわらず午前中に完売。お楽しみ抽選会も景品の追加をするほどの(意外な)盛況でした。
ご協力ありがとうございました。