花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

“幸福の黄色いハンカチ”感想1

2013年09月29日 | 諏訪商店街振興組合のこと

27日は、約50名(最終発表51名)の皆様にお集まりいただきました。サテライトステーション事業が実施できるのも、こうして皆様が参加していただけるからこそであります。心より感謝申し上げます。

さて、早速Tさんから感想をいただきました。

同じ山田監督作品の“遥かなる山の呼び声”でも、北海道を舞台に、刑に服する男とその恋人を演じた高倉健と倍賞千恵子の名コンビ。不器用で一途な夫婦愛をしっとりと見せてくれました。

それとは対照的なカップル・・・互いに失恋したばかりの現代っ子そのものの若者・・・を武田鉄矢と桃井かおりが演じましたが、実にハツラツとした演技で素晴らしかったです。

桃井は無邪気で幼さの残る頼りなげな娘から、日を追う毎に、たくましく抱擁力のある大人の女へ成長していく姿をしっかりと見せてくれました。彼女は現在も存在感のある女優として活躍を続けています。

武田は、この映画の最初から最後まで出ずっぱりで、若さがはちきれそうでしたし“寅さん”にも似た仕草で大いに笑わせてくれました。

この映画で、彼は見事映画デビューを果たしたわけですが、その成功が後のテレビの超人気番組「3年B組金八先生」へと結びついたのだろうと思います。

脇役で出演した渥美 清が、この作品では出世街道から外れた人情味溢れた警察官という設定。とっても真面目な役柄で、薄いチョビ髭を撫でる仕草が妙におかしかったですねぇ。

殆んどが北海道でのロケ、観ている私たちも一緒に旅をしているような気分になり得?をしました。

又、とっておきの撮影秘話(絶食して撮影に挑んだ)が大変面白く、改めて健さんの映画に対するひたむきな努力を知り感心することしきりでした。ありがとうございました。

さて、ラストの、高倉健を迎える倍賞千恵子の姿が遠く離れて撮られているので、表情が解るアップの画像を撮るため後日少数のスタッフで出かけたことは前のブログに書きました。

先日観て、やはり倍賞の表情は分からなくていいと思いました。我々はしょせん若い二人と旅を共にするよそ者です。戻る夫を迎える妻の表情を想像するのも楽しいじゃありませんか。夕張に暮らす二人の幸せを遠くで祈りながら、また北海道の旅を続けることにしましょう。

次回は、山田洋次監督の“息子”です。差別意識に対する叫び!「それがどうしったっていうんだ!いいでねえか!」差別意識に愛が勝った!素晴らしい映画です。何度観ても感動します。ご期待ください。

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古い街並み旧東海道

2013年09月27日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

商工春秋の10月号は“古い町並み旧東海道(日永)です。

江戸時代、四日市は東海道43番目の宿駅として栄えていた。当時の東海道は市の中心部を現在の国道1号と並行するように走っていた。浜田町や日永付近の旧東海道筋には、今も往時の面影を残す町並みが見られている。

今でも、旧東海道沿いの浜田から日永地域の旧東海道沿いには昔を彷彿とさせる屋並みが並んでいます。

本日は、文化の駅サテライトステーション事業「昭和キネマへの誘い」第3回 幸せの黄色いハンカチの上映会でした。

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“幸せの黄色いハンカチ“

2013年09月23日 | 諏訪商店街振興組合のこと

幸せの黄色いハンカチ”は、昭和52年10月1日に公開され、第1回 日本アカデミー大賞・第51回 キネマ旬報賞・第32回 毎日映画コンクール・第20回 ブルーリボン賞・第2回 報知映画賞など数々の賞を受けています。山田洋次監督はこの映画の製作にあたって、アメリカ映画“シェーン”からヒントを得たといわれています。(“遥かなる山の呼び声”(昭和55年製作)の冒頭にもシェーンの曲が出ております)

※ 余談ですが・・・昭和45年製作の“家族”・昭和47年の“故郷”と“遥かなる山の呼び声”を民子三部作と呼ばれております。

山田監督が原作ピート・ハミルの“黄色いリボン”を知ったのは、「男はつらいよ」の撮影の合間に倍賞千恵子が「幸せの黄色いリボン」を口ずさんでいたのを聞いたのがきっかけでした。(この歌と原作とは直接関係ないようですが…)

当時歌手であった“海援隊”の武田鉄矢はこの時が映画初出演。都会出身の桃井かおりはすんなり決まりましたが、地方出身の男の配役が決まらなかったところ、プロデューサーの紹介で武田になったそうです。(赤いきつねさんもお歳をとられました)

撮影当時、武田は運転免許を持っておらず(運転は本当にヘタで、免許取得に20年かかった)、運転シーンはトレーラの牽引によって行われ、ロングで撮る場合は背格好の似た小道具のスタッフの運転によりました。

勇作(高倉健)と光枝(倍賞千恵子)の最後のシーンで、監督はずっとロングで撮っていましたが、「やはり、ここで観客が見たいのは妻の顔だ」という編集担当者の意見があり、後日少数のスタッフと倍賞だけで夕張に赴きロケが行われました。(このシーンは数秒でした)

最後の別れのシーンで、武田鉄矢がどうしても涙を流せないのを見た高倉健が、長期間の撮影に感謝する旨を述べると、武田は感激して涙をぽろぽろこぼしたといわれています。この瞬間に別れのシーンが撮影されました。

“幸せの黄色いハンカチ”は、高倉健がやくざ映画から久々の人情映画出演となり(同じ年に八甲田山を撮っている)、役者としての転機となった作品でした。勇作が久しぶりにビールを飲みラーメンをすするシーンでは、高倉は2日間何絶食して撮影に臨んだということです。

              ウィキペディア フリー百科事典 より

 

やくざ風の男でたこ八郎が出ています。たこ八郎はボクサーの経験があり、その時耳を切ったと記憶しています。赤塚不二夫の処に居候していて、みんなで海へ遊びに行ったとき溺れて亡くなりました。お酒を飲んでいたそうです。ユニークなコメディアンでした。

27日午後6時上映の“幸せの黄色いハンカチ”を、皆さんと一緒に楽しんでください。

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第2回 ジャズフェス開催!

2013年09月22日 | 諏訪商店街振興組合のこと

秋晴れの下、第2回 四日市JAZZ FESTIVALが駅周辺の商店街を舞台に繰り広げられました。

当、表参道スワマエにもステージが設けられ、1番街方面から聞こえてくる歓声を気にしながらの演奏でしたが、さいごのEssy&Keisyさんのステージでは、メチャクチャ盛り上がっておりました。

街がミュージックで溢れかえったそんな一日、昨年のように雨が降らなくて、まずはメデタシ メデタシ

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あの  カレースープが 懐かしい!

2013年09月21日 | レモン色の町

某コンビニのひたすらな努力は、ランチの種類にも表れている。

先日、お昼。一人ボッチのランチにこれを買い求め驚いた。

札幌で食べたカレースープの親子丼番ではありませんか!

マズソー

ここのカレーは、ライスと具に分かれており、食べる時にカレーの具をご飯にかける。多分、このパターンの親子丼番であろうと察する。

半熟玉子とかしわが数個、海苔を散らしたスープ状のものが上の段に入っている。下の段にはご飯。スープ状の親子を啜りながらご飯を食べるか、一気にご飯にぶっかけて食べるか、それは好き好きですが、これはあのカレースープのパターンに通ずる。

口当たりがゴワゴワしておらず、マ、年寄り向きと云うべきか。

欲を言えば、ジャガイモ等の野菜の旨みが欲しかった。

オイシソー

それにしても、某コンビニの販売食材の努力は、高評価に値する。

コンビニランチのレベルアップに大いに寄与した。今までコンビニに敬遠していたおっかあが、ここにだけには訪れている。

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冠婚葬祭 力!

2013年09月20日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

身内のみの家族葬が増え、結婚式も「心から祝ってくれる人たちだけで」と簡素化しつつあります。

頭がよくなる 四字熟語 斎藤 孝著 角川書店の中に「冠婚葬祭」力(りょく)の掲載がありました。

冠は、昔でいえば元服、大人になる儀式。婚は、婚礼。葬は、葬儀。祭は、祖先を祭ること。日本人は、古来こうした人生の節目の儀式を尊んできました。

儀式は、心にけじめをつける役目を果たします。心を新たに入れ替え、魂の力を心に刻み込む。節目を心に残る形で迎えることは、とても大事なことです。

儀式というのは手続です。段取りを踏むこと自体が大切です。本来、儀式は厳粛な緊張した空気を以て執り行われ、その空気が魂を引き締めて活力をもたらす効果がありました。伊勢神宮の式年遷宮も、またしかりです。

一生のなかでの大きな節目を真摯に迎え、きちんと人生の節を刻んで生きていくことは、人間の魂の力に敏感になることでもあります。

「死」というものの捉え方もそうです。身近な大切な人を失ったつらさを、通夜、葬儀、という儀式を経る時間の経過の中で徐々に受け止め、此岸(しがん)=現生と、彼岸(ひがん)=あの世 を身体に刻むようになる。

冠婚葬祭力は、真の意味で身につけておきたい力、生きる知恵です。

人生の節目、節目に儀式という緊張が大切である。区切りとしての儀式が人生に活力を与える、斎藤氏はそう言っております。

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山田洋次監督“息子”

2013年09月15日 | 諏訪商店街振興組合のこと

10月の「松竹キネマへの誘い」は「息子」です。和久井映美のことを知ったとき、永瀬正敏は号泣します。「だからどうしたって言うんだ!いいでねえか!」何度観ても感動する映画「息子」は、10月25日上映です。

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急遽・臨時総会を開催!

2013年09月13日 | 諏訪商店街振興組合のこと

全国商店街振興組合連合会実施の、平成25年度 商店街まちづくり事業 第2次募集“商店街街路灯のLED化”の交付決定を受け、本日9月13日午後1時30分より、四日市諏訪商店街振興組合では、事業承認と借入限度額決定の為の臨時総会が開かれました。

総組合員数 76名、委任状出席 49名、出席者数 13名で合計62名の過半数で実施され、事業承認と借入限度額の3000万円が決定いたしました。まずは、オメデトウゴザイマス

これより、市の商業農水部、商業勤労課様のご指導をいただきながら、速やかに「交付申請書類」の作成と提出に移らせていただき、「交付決定通知書」受領次第入札に移行します。そして、平成26年2月15日には各商店街のLED化事業の完了書類の提出でこの事業は終了いたします。まず まずは メデタシ!

と、なるか?

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衝撃の映画“電光石火の男”3

2013年09月10日 | レモン色の町

おかしなことに気がついた。旧港で丈二はジーナ・中川と話をする。

その後、貞夫と高砂町の喫茶店により、その後仁作の事務所を訪れる。

旧港から西へ向かい、高砂町に寄って相生橋を渡る。

貞夫は先に事務所へ、丈二が来ることを知らせに走る。相生橋を渡り、川沿いに北へ・・・。

丈二の来た後ろには、相生橋と、その向こうに高砂町がある。

大津組事務所へ駆け込む貞夫。その向こうを電車が走る。ところが、ここに線路のあるはずはない。川沿いの北方向は稲葉町である。

つまり、事務所の建物は別のところで撮られたことになる。

セットでの撮影

菅井一郎の仁作と話す丈二・・・。

開通1年後の御在所は、悪天候。お天気になるまで待てなかった当時の忙しいロケ事情があったと思われる。

 

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衝撃の映画“電光石火の男”2

2013年09月08日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

日活映画“拳銃無頼帖シリーズ”は昭和35年に赤木圭一郎主演で4本製作されている。“抜き打ちの竜”“電光石火の男”“不敵に笑う男”“明日なき男”このうちの第2作が四日市を舞台としている。

しかし、1年間に4本とは、乱作である。が、驚くのはまだ早い。通称トニーこと赤木圭一郎は昭和33年日活入社。超売れっ子となった昭和35年には“霧笛が俺を呼んでいる”など12本の映画に主演している。

“電光石火の男”は、赤木圭一郎を主人公に、二谷英明、浅岡ルリ子、宍戸錠、菅井一郎、藤村有弘、吉永小百合(新人)らが出演している。

ムショ帰りで拳銃使いの丈二は、殺し屋の五郎(宍戸錠)と敵対しながらギャング組織と闘う。堅気になりたいと思いつつ拳銃を握ってしまう。キャバレーがあって、楽団の前で外人の踊り子がショーをみせ、キャバレーの奥にはやくざの事務所があるという、昔、外国映画で観たのとよく似たパターンである。

撮影から50年以上経過しており、当時のロケ状況は、地元本町商店街でも今や伝説と化している(浅岡ルリ子が来ていたのだから、すごい騒ぎだったろう)。何度も言うが、今日でも美しい映像で見ることが出来るのは驚嘆に値する。

赤木圭一郎は翌36年2月。撮影所内でゴーカートに乗り、アクセルとブレーキを踏みちがえて時速60キロで倉庫に激突して亡くなる。享年21歳。あまりにも早い死だった。

旧港の風景

現在の旧港

旧港に続く高砂町

現在の高砂町

相生橋から東へ渡る

現在の相生橋付近

橋詰の東北側

親分の事務所は空き地に…

相生橋の南東側

現在は埋め立てられ公園に・・

※ 現在の本町プラザ。当時は熊沢ビルで四日市警察署があった。

※ 湯の山の御在所岳山頂。ここで赤木圭一郎と浅岡ルリ子が会い、そこへ宍戸譲が出現!決闘となる!

 

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