花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

喜びも悲しみも幾歳月 感想2

2013年12月30日 | 諏訪商店街振興組合のこと

Hさんには、またまた大感動していただけました。

「有難うございました。重厚な名画でした。五十数年前の昔、私は社会人駆け出しのチョンガ時に有名との評判で騒がれた当映画を観ました。オツムの軽さが災いして、単に目に映ったそんな程度の感じで流れていきました。老いぼれの現在とはまるで差があります。夫婦愛和、夫婦婦随、内助の功。日常の生活、買い物にも困る不便な辺地、僻地で全く表情に出さず夫に尽くす妻。これは現在では考えられないことです。場面にも出たとおり全国に150とか180とか灯台が設けられ、昼夜いとわず海の安全の為に命をかけての使命。私は非常に心を打たれました。夫婦とはかくも偉大な絆で結ばれるものなり。教えられました。私は、己の現状がとても恥ずかしく、今や遅しの反省と後悔です。有難うございました」

 

Hさんからの感想です。

いつも吟味され選んでいただいた映画を」みせて頂き、ありがとうございます。

昔の映画は・・・と思っていた私も、今では、毎回楽しみで、封切り時に観た映画も50代になってみてみると、又、新鮮ですネ・・・・

皆様の御感想もとても本格的で、足元にも及びません。

今回の「喜びも悲しみも幾歳月」は、安乗灯台が舞台の一つということで・・・私の主人が、安乗灯台のすぐ近くの出身で、私も、結婚してから何度も訪れています。今回の映画は、私が生まれたころの作品で、その頃の安乗灯台がみられるとワクワクしていました。やはり、今より自然のままで、海・・・海岸なども整備されていなくて・・・でも自然のままで、良き時代の風景だと思いました。

灯台守の御夫婦の日常を描いているとは思っていました。人生の中には山あり谷あり、いろいろあることを描かれていると予想していましたが、長男(中村賀津雄)が亡くなることに関して、なにかとても心に残るものがありました。私も息子を持つ親としてだからでしょうか・・・

又、現在すでに亡くなられている俳優さん達の若かりし頃の姿は、とても驚きがありました。

前回の「野菊のごとき君なりき」もとても感動致しました。素朴な映画の中には、考えさせられる、深いものがありますネ!

いつもありがとうございます!

 

Kさんからも感想をいただいています。

「前回“二十四の瞳”を観たときにも、多少感じたのですが、木下監督の作品は、今回も長編ドキュメンタリー観ているような感じがしました(自分だけだと思いますが)。多分、たくさんの説明文が映画の中に入っているせいなのかもしれません。

ただ、主役の二人が、結婚当初から老境に到るまで、見事に演じられたのは素晴らしいと思います(すごく上手に老けていった)。

あと、嵐の中の船は特撮でしょうか?」

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朔日恵比寿スペシャル!

2013年12月27日 | おいらの商店街

本日、朔日恵比寿スペシャルでした。スタッフの皆さん、今年一年、頑張っていただきました。ありがとうございました。

 景品の回転皿の見本におせち料理をつくっていただきました。オイシソ~ Tag tagさんありがとうございました。

抽選会 1等はカニです 午後、小さな女の子に当たりました!ヨッカッタ 良いお正月を!

野菜の100円市は、いまひとつの売れ行きでした。残りはしまぐち屋さんが買い取りデス。

お店の売り上げに直結するイベント「朔日恵比寿」今年も1年ご愛顧ありがとうございました。

 

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四日市の中央通り

2013年12月25日 | おいらの商店街

四日市商工会議所様発行の“商工春秋”1月号を飾る“絵はがきに見るよっかいち”は「四日市の中央通り」です。

四日市の中央通りは、文字通り中心部を走る幅70mの大通り。東のJR四日市駅から西に向かって伸びる通り沿いには市役所や裁判所、近鉄四日市駅などが並んでいる。

通りの中央は市の木になっているクスノキなどが繁り、グリーンベルトになっており、両側にあるビル群と調和した美しい街並みを見せている。

右にジャスコ

駅前の噴水

昭和40年7月15日 辻写真館の故辻俊文さんが撮られた駅前の写真です。

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キャンドルナイトinすわ公園

2013年12月22日 | 諏訪商店街振興組合のこと

今年もキャンドルが諏訪公園を中心に灯されました。諏訪振興組合もエコ事業の一環で参加、キャンドルをスワセントラルパーキング周辺にも飾っていただきました。

2007年9月16日午後10時頃に起きたサンシ前商店街の火災。空き地となったまま6年3か月の月日が経ちました。

来年こそ再建に向けた明るい見通しが立ちます様、祈りを込めて激写いたしました。一筋の光明がご覧いただけますでしょうか?イナット

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「喜びも悲しみも幾歳月」上映

2013年12月21日 | 諏訪商店街振興組合のこと

第1部が終わって休憩中の様子デス   マ いわゆるトイレ休憩でアリマス

昨夜は「文化の駅サテライトステーション事業・昭和キネマへの誘い・第6回 喜びも悲しみも幾歳月」を上映させていただきました。上映時間の関係上開始が5時だったことと師走の寒い日であったため、参加していただいた方は48名とやや少なかったように感じました。というのは贅沢でした。お越しいただいた方に感謝でアリマス。

早速Iさんから絶賛のご感想を頂戴いたしました。

男木島灯台(瀬戸内海)

文句なしの「スバラシイ!」の一言です。

こんな映画が今みれるとは。国民一人一人が、今見なくてはならない映画だと思います。昔の映画は「教える力」がありました。木下監督一人の力ではなく映画はみんなの力を借りてできる「総合芸術」です。主人公夫婦も力まず淡々と、長い年月を自然に演じ、私にとって忘れられない映画の一つとして残ります。「映画の力」をみせつけられました。日本が世界に誇れる映画です。イヤー昔は良い映画が多かった!と思う今日この頃です。」

Iさん、ありがとうございました。昭和7年に新婚で観音崎灯台に着任した有沢夫婦と共に長女雪野が嫁いでいくのを見送り、小樽の日和山灯台に着任するまでの半生を観させて戴きました。まさに壮大なドラマである長い年月を、木下監督はうまくまとめの仕上がりでした。」

安乗崎灯台(志摩)

毎回感想をいただくTさんからです。

主題歌があまりにも有名になり、今なお歌い継がれているこの作品。映画は今回初めて観ました。

私は約6年前に安乗灯台を訪れましたが、撮影当時の写真の新聞記事がパネルにして塔内に展示してありました。奇しくも12月20日の三重県のニュースでは、安乗灯台が“お身ぬぐい”の様に、清掃、点検、整備をされたと報じていました。

さて、木下監督は本作品で、原作、脚本、監督の三役を務めたわけですが、全国に数多く存在したという灯台と灯台守りについて、一体どの様な思い入れがあったのでしょうか。北から南まで十カ所以上でロケをし、戦時中に殉職した方々をも紹介していますね。

主人公の灯台守り夫婦は、戦前、戦中、戦後の激動の時代を真摯に生きてきた極く普通の人達です。(大多数の人達がそうであったように)

戦争を心から憎んでいた監督は、終戦の日の場面で、灯台を覆い隠していた草の蔓をバッサリ切り落とす演出をしています。そして「二十四の瞳」の中でも、やはり主演の高峰秀子に戦争の愚かさを語らせていました。

終盤、老境にさしかかった夫婦が二人きりの生活を再スタートさせる場面での佐田啓二の言った台詞「これからはいい事がいっぱいありそうな気がするよ」に、監督の思いが集約されていたと思います。

俳優陣について・・・・

◎夏川静江(宝塚出身)の身のこなし懐かしい日本女性の美しさを見せてくれています。彼女は「二十四の瞳」でも、大石先生の母親役で、見事な和裁の腕を披露していました。

◎中村加津雄は、兄 中村錦之助の陰で地味な存在でしたが、後年味わい深い役者となり、最新作の「利休にたずねよ」では、大徳寺の老僧を重厚に演じていました。

今回も寒い中、会場の準備と片づけをしてくださった、世話役の皆様には厚く御礼申し上げます。」

Iさんが、有沢夫婦の娘役だった女優 有沢正子について聞いてみえたので調べてみました。

ミス松竹に選ばれ入社した有沢正子は高峰秀子にそっくりの美貌で注目されました。1960年大映に入社。山内敬子の芸名で活躍しましたが、翌年大映を退社、名前も有沢正子に戻りました。その後テレビにも出演しています。結婚、離婚をしていますが、娘の篠山葉子は、1986年の「新喜びも悲しみも幾歳月」で、母と同じ灯台守の娘役に出ています。

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菜根譚

2013年12月18日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

“菜根譚”は中国の洪自誠が説いたもの。結構良い言葉が載っており興福寺館主の多川俊映氏が“心を豊かにする菜根譚33語”と題して祥伝社文庫で出版してみえました。ま、ちょこちょこっと拾い読みです。

・現代語訳・世渡りをするには、先を争うときに一歩を譲る心がけを持つことが尊い。この自分から一歩を退くことが、とりもなおさず後に一歩を進める伏線になる。人を遇するには、厳しすぎないように、一分は寛大にする心がけを持つことがよい。この人のためにすることが、実は自分のためになる土台となる。

・原文書き下し・世に処するに一歩を譲るを高しとなす、歩を退くるは即ち歩を進むるの張本なり。人を待つに一分(いちぶ)を寛(ひろ)くするはこれ、福(さいわい)なり、人を利するは実に己(おのれ)を利するの根基なり。

この世知辛い時代に、何を悠長なことを言っておられると思いがちですが、こんな時代だからこそ、ときには大きなひろい心で事にあたらねばならないと思うのです。

もういい歳ですから執着せず、次の世代につなげるチャンスがあれば、ドシドシ譲っていくことです。カナ?

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東海道分間延絵図より四日市

2013年12月15日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

 四日市宿は、1724年から1801年の大和郡山藩時代を除き天領(幕府領)でした。今の中部西小学校の処に陣屋(代官所)がありました。

陣屋を北側の橋から眺めた図

 

竪町側(南)から黒門をくぐります。突き出た土手を回り込む様に進むと表門があり、中には大きな松の木がそびえています。「神祖御駒繋松」と呼ばれ徳川家康が本能寺の変の際に三河へ逃げる途中、此処に馬をつないだといわれています。左に建つ長屋風の建物には手代や下男が住んでいたところか?右の建物が政務を執るところだったと想像できます。

さて、前回も紹介の「東海道分間延絵図」を覗かせていただきます。

東海道を1里ごとに立つ“一里塚”は、盛り土の上に槇の木が植わっていると書きましたが、榎(えのき)の間違いです。(スミマセン)

この一里塚は、四日市には4か所ありました。

右に一里塚が立ちます

富田(現在の近鉄富田駅の北。三幸毛糸富田工場沿い・近鉄線の高架付近)です。

三ツ谷町(海蔵川の北側)。現在、塚の標識は海蔵川の堤防付近に寄って立てられています。

日永(西唱寺の南・ここの一里塚は江戸から100里目にあたるというスゴイことです)。図の左に西唱寺と一里塚が・・・。

采女(急な杖衝坂を上って少し進んだところ)の4か所でした。右に進むと杖衝坂に至ります。

これは追分の図です。ここにあった道標は、日永神社に移されて現在に至っていますが、東海道現存最古の道標というコレモスゴイことだそうです。一度自転車ででも出かけてみたいものです。

 

 

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もっと知り隊検定講習会

2013年12月13日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

四日市商工会議所さんの主催で“四日市もっと知り隊検定講習会”が開かれている。

第1回

第2回

毎週水曜午後7時開催で、3回連続の2回目までが終了している。1回目が“宿場まち四日市”2回目が“商・工のまち四日市”。どちらも盛況で60名ほどの方が集まっていた。

解説は、四日市市立博物館 学芸員の廣瀬 毅さんで、このお話がとにかく面白い。本町のMさんと身を乗り出すように聞かせていただいた。

1回目は、1800年頃に描かれた“東海道分間延絵図”をたどりながら東海道を富田から采女へと歩きます。

富田には“焼きはまぐり”を食べさせる店舗があった。桑名ではなかったの?と疑問がわくが、当時富田は桑名藩の領地。羽津あたりまでが桑名藩だった。

羽津の志氏神社前に、道路を挟むように二つの石が置いてある。現存するが“夫婦石”といわれ、石を撫でると良縁に恵まれるとされ、当時は結構有名だったそうだ。

三滝川の土橋を渡ると四日市宿で、辻のあたりに陣屋・脇本陣・問屋場があった。宿場で重要なところは問屋場で、荷物の取次や馬の手配などを行っていた。

辻を東へ港の方へ行くと海岸近くに小さな橋がかかっている。廣瀬氏によると、どうやらこの橋が東海道53次の四日市に出てくる橋と想像できるということだった。

浜田村の家並みが途切れたあたり、松並木の広い真っ直ぐな道がある。今でもそこだけが広く、昔は山車の帰り山がここに集結した。道が広いのは山車が並ぶためと思っていたが、そうではなく、家並みが途切れていたため。

他にも一里塚が盛り土の上にマキや松の木が植わっていて、遠くからでも望めたことなど、昔にタイムトラベルして楽しませていただいた。

また2回目の“商・工のまち四日市”では、街の発展に尽くした先人たちの話だった。この話から四日市の街に誇りを持ち大切にしていきたいと強く感じました。

詳細は追って・・・・・・・

是非3回目の「湊・港まち四日市」12月18日午後7時より8時30分。四日市商工会議所1階ホール(申し込みが必要デス)にご参加ください。そして。もっと知り隊検定(平成26年2月2日10:00~)にも挑戦してください。

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エキサイト四日市・バザール始動!

2013年12月07日 | 諏訪商店街振興組合のこと

第23回エキサイト四日市・バザール2014 第1回実行委員会(準備会)が開かれました。以下、議事録を掲載いたします。

 開催日時・平成25年12月6日(金)午後7時より8時30分

開催場所・スワセントラルパーキング2階会議室

参加人数・委員14名

審議事項

1.実行委員長交代の件

7年間にわたって実行委員長を務めてきた水谷武生は、次期実行委員長に諏訪商店街振興組合 副理事長 服部晃典を推薦した。当面、運営内容を理解していただくまでは従来通りの実務を務める。交代の理由はイベントにマンネリを感じ始め、そろそろ刷新が必要と感じたため。

2.開催日時の件

 第23回 エキサイト四日市・バザールの開催日は、平成26年4月5日(土)・6日(日)の二日に行うことが決定した。

3.開催要旨の件

 開催テーマを“こどもと環境と観光(仮称)”とし、子供たちを重視したイベントを展開する。諏訪新道おもしろバザール会場のエココーナー&体験型コーナー、及び観光・物産ゾーンでは子供向け内容の検討を進める。三滝ステージでは、子供たち(幼児から高校生まで)による練習の発表の場とし、踊りや演奏等のパフォーマンスを展開する。また、CTYに特別協力を依頼し、キャラクターショーやゆるキャラショーを目玉として企画する。

4.出店費の件

 消費増税を考慮に入れ、新道おもしろバザールゾーンは、1小間・2日間で8,500円。三滝通りさくらまつりゾーンは、1小間36,000円とした。

 ・年内に、第1回催事委員会(三滝ステージの内容の検討)と各関係機関・団体等の挨拶回りを行う予定です。

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映画“喜びも悲しみも幾歳月”

2013年12月04日 | 諏訪商店街振興組合のこと

次回、文化の駅サテライトステーション事業 松竹キネマへの誘い 第6回は、木下恵介監督 昭和32年作品“喜びも悲しみも幾歳月”です。上映時間が3時間弱に及ぶため、開始時刻を午後5時といたします。ご了承ください。

ジオラマのオマケです。向こうには中部西小学校が望めます。そういえば、ここは江戸時代に陣屋があった場所でした。

 

これは、普通の写真みたいにも見えます。むつかしい~~~

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