花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

ひまわりの湯にて目撃譚

2005年07月30日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
先日、孫の守りで志摩スペイン村へ行った。愛知博の後だけに、あまりの人の少なさに拍子抜けの感がぬぐえない。
しいアトラクションなども増やして、若い子達が、がんばっているのがよく伝わってくる。愛知博の年配の係員の多さと比べると、全員が若い従業員だ。ショーの踊りも本格的ですばらしい。暑さの中よくやっている。
のパレードあたりから、来場者がイベントに集中して、たくさんの人だかりになった。人ごみの中でほっとする。どうしても東京ディズニーランドと比べてしまう。所詮、ディズニーランドには叶わないのだから、もっとオリジナルなテーマで打ち出したほうが魅力あるテーマパークになったのではなかったか。今頃遅いか?
の前に、ホテルの横にある、ひまわりの湯へ入った。そして、驚いた。露天風呂に、若者が全裸で(お風呂だから当たり前か)前も隠さず仰向けに寝ていた。どうしても大きな一物に目が行く。わしの粗チンと比較にならず、それはどっかとおなかの上に横たわっていた。アダルトビデオを見ているような錯覚に落ちる。「おまえ、恥ずかしくないのか。もう少し慎みを持てよ」と、年寄りみたいに注意しようと思ったが、怖いのでやめた。
口で、ワイフと娘に合流。やはり同じようなことを言う。若い子や、外人さんが、前も隠さず大の字に仰向けに寝ていたという。外人さん?ロビーで見かけたあの外人か。ここへ働きに来ているダンサーか?ホンマカ?
ょっとゥ!女に生まれてきたらよかったとか、若ければここで働こうかしらとか、いろいろ考えてしまう武兵衛でございました。
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杉浦日向子さん逝く

2005年07月27日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
杉浦日向子さんが逝かれた。NHKの番組「お江戸でござる」では、楽しいお話を聞かせていただいた。46歳の突然の訃報でした。
浦さんの語る江戸は、懐かしさというよりも、当時の人に惚れぬいて、江戸時代の人そのものになりきろうとした感がある。ちょっと違うか?彼女の創った江戸の町があり、その中では、彼女の作った江戸の人々が、泣いたり笑ったり、喧嘩したり、粋がったりして生活しているみたいだ。
潮文庫「風流江戸雀」は杉浦さんが昭和62年に出された漫画、というよりも現代版浮世絵だ。ここで3人が向島へ雪見にしゃれ込もうというお話がある。あまりの寒さに風流どころか震え上がって帰ってくるのだが、江戸時代の雪の日に、いけたら行ってみたい。無理か?
かできれいな風景だろう。まったくの静寂。家並みが低いため、どこまでも広がる風景。しんしんと降り続け、その下で息を潜めるように生活する人々。いってみたい。
この漫画のあとがきがある。読ませていただくと杉浦さんの遺書のようにも取れる。1987年5月に書かれたものだ。
辺(聖子)さん。輝く金平糖のような序文を、ありがとうございます。胸の星として大切にします。この本を装丁してくださった、長友さん・・(略)・・ありがとうございます。紙の向こうの方、こんにちは、ありがとうございます。そして友人へ、いつも、ありがとう。(略)
の行動の8割は、肝要で忍耐強い編集さんと友人たちと紙の向こうの方のお力によって運営されています。あとの1割9分が江戸からのナニモノかによる遠隔操作で、残り1分が自分自身の生きようとする本能です。
うして、1冊、また1冊と、生存の年月が、手の中で重さを持つ形になっていくのは手品を見るようです。ただ、ただ、感謝あるのみです。
ありがとうございます。
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イベント準備におおわらわ

2005年07月26日 | おいらの商店街
「お諏訪さんにいらっしゃい」の開催日が近づいてくる。本日は作業の日でございます。
後7時から、商店街の道路いっぱいに仕事場を広げて、鳥居作りであります。円筒形の筒をススム会長が仕入れてきた。これに紙を貼って、赤いペンキを塗る。乾くのを待つ暇が無いので、白い紙を貼りしだい色付けです。手勢が揃っていると手早く進む。高さ3メートル30センチの大きな鳥居が手作りで出来上がっていきます。
工課の吉田氏と鳥越氏もよく協力していただきます。韓屋さんもいつの間にかこの事業に巻き込まれて汗だくです。必死の仕事ぶりに、頭と頭がガッチンコ。おいらの頭は硬いからネと笑っています。糊とペンキまみれの夜でした。
のあと数人が集まり、だっくす亭さんで相談会。だっくす亭さんもよくやる。さすがイベントのプロでございます。この方に言わせると、どんな催事でも簡単に出来そうな気がしてくるので不思議です。いろんなイベントに挑戦したいとおっしゃる彼に、商店街からは、当初、新参者と冷たい目を感じていたそうですが、昨今、あまりの熱心さに見る目が徐々に変化してきたとのこと。いいことであります。
店街活性化の特効薬は無い。あるといえば、やる気だけだ。そして終わった後、必ず反省会をして次につなげること。2回3回と続けていくことが唯一活性化への道だと、石田さんはおっしゃいます。8月14日決行の日が盆休みで、人が来てくれるのか大きな不安ですが、月1回のペースで開催しよう。挫折せず続けていこうと意気盛んです。
ゃりんこさんとススム会長は、富くじ景品の自転車仕入れの相談であります。ススム会長が一緒に行くとのこと。仕入れ値が分かってしまいそうですが、大丈夫ですか?往年の女性への元気がすっか消沈した、と自称するちゃりんこさんでした。ホンマカ?
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佃島ふたり書房の良いお話

2005年07月24日 | おいらの商店街
日はマックが来て、商店街で歌を歌ってくれた。8月14日のイベント「お諏訪さんにいらっしゃい」でも歌ってくれる。でも今日は違うお話です。
久根達郎さんの「佃島ふたり書房」の本を書店へ探しに行った。以前読んだ「お書物同心日記」の著者である。講談社文庫で出ているはずだが、売ってない。
いとなると余計読みたくなる。ネットで買うほどでもない。松ちゃんにそれとなく話してみると、ハードカバーで持っていた。持つべきものは友である。早速、お借りして読んでいる。まだ三分の一ほどだが、商売の参考になる箇所があったので、辛抱たまらず引用させていただく。
田郡司は、佃の小さな店「古書売買 ふたり書房」に勤めていた。主人の死と、続く奥さんの死で、梶田は店をやめることになるのだが、娘の澄子が店を再開することになり、梶田は手助け役になる。
る日、店番をしている澄子のところに、秋水という世話物を書く作家が訪ねてくる。老人は梶田がやめたことを残念がり、澄子に一言アドバイスする。
本屋さんという商いは、よその物売りの数倍、商品に愛情を持たなくてはいけませんよ。店主の本への思い入れの深さが、客を呼ぶんです。客は本の身内ですからね。本を邪険に扱う店には寄りつかない。それと、売れなくても店は開けること。本が窒息するからね。本は生き物だから。いや、本当。ためしに話しかけてごらんなさい。顔が輝きます。
のあと澄子は、開店してから、はじめて本にハタキをかける。ゴメンネと声をかけながら。すると店の照明がひときは輝いた気がするのだった。出久根さんは、昭和30年代の佃の町を、懐かしさと、巷に残る江戸の情緒をゆっくりと、やさしく描く。
書店に限らず、商品への愛着は、ともすると自分が忘れがちなことではないだろうか。専門店と自称する以上は、陳列の品に愛情を持ちたい。反省!
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暑いさなか、孫三人を連れて万博へ行く方法

2005年07月22日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
日、酔って良い気分のとき「愛知博でも行くか」と言った為、暑いさなか、孫3人を伴って出かけざるを得なくなった。私と、妻と、娘二人にその子供3人。孫は3歳から4歳。総勢7名の団体である。連れて行ったというよりも、私が連れて行かれたというところか。
日は、幸いにも入場者数が少なかったようだ。夏休みに入ったばかりで、みんなが敬遠したためだろうかと、新聞に書いてあった。それなら、次回のチャンスは最終日だ。混雑するかと思って誰も行かない。そこを狙うに限る。
は暑いので夜にした。しかも入場料が半額だ。まずマンモスへGO。15分ほどの行列で見ることが出来そうだ。あと少しで会場へ入れるというところで、孫のウートが「おしっこ!」「おいおい、入り口でみんな行ったでしょう。何でそのとき行かんの」否、かわいい孫を叱ってはいけない。入り口でストップ。トイレから帰るママとウートを待つ。
ニア新幹線の3D映画も、後5分ほどで見ることが出来そうだ。携帯で呼んでも出ない。水遊びをしている孫のところへ走る。間に合った。会場内へ入ると、今度はウーカが「うんこ!」「おいおい、何で朝起きたら、きちんとせんの。尻に栓でもしとけ!」否、かわいい孫を叱ってはいけない。
の後、しばらく水遊び。心配なので孫の後をついていたら、こちらまで水浸し。おまけに大地の塔で、上から降ってくる水しぶきを見上げていたら、大量の水が落ちてきた。
場内では、車椅子と乳母車の人は親切にしてもらえる。今度来るときは、車椅子に乗って乳母車を押してこよう。しかも最終日に。これで決まりだ。
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夏の恵比須堂だより

2005年07月20日 | おいらの商店街
比須堂にて鳥串を販売している。このところ、売上が好調で、暑い暑いといいながらも川口さんは、張り合いがよさそうだ。
月から表参道スワマエがオープンした恵比須堂。当初はみたらしのみの販売だったが、いまひとつ売り上げが伸び悩んでいた、というより売れなかった。組合員からも文句が出る。毎日がイベントです。各商店はサービス券を出して、お客様にみたらしをサービスしてください、とススム会長は会員様に訴えた。暑さが増すにつれ、ますます売れなくなる。これはピンチか?というところまでいっていた。
る日、会長は鳥の串焼き販売を思いついた。はじめはタレ付きを仕入れてきたが、味が甘いと川口さんはいう。みたらしと一緒に焼くと匂いが移り、煙もすごい。次に焼いただけのを仕入れて、プレートで焼きなおし、エバラのタレをつけて売った。これが結構好評だった。
類は、ももと皮の串がある。皮はタレより塩コショウが良いということになり、焦げ目がつくくらいにしている。「塩を控えめにして、胡椒を利かせたほうが良い」とか近所の兄ちゃんがいろいろアドバイスをする。
んとに売れとんの?と仕入先である川市のイッちゃんは、半信半疑。商店街のみんなで、鳥串で宴会の毎日と違うの?とニヤニヤして信用しない。「スワマエに来てみ。みんな鶏みたいな顔しとるよ」と答えておいた。
日は最高の売れでしたと、川口さんはうれしそう。固定客もついてきた様子だ。飲み物も並べている。「8月の祭りには販売員の増員をお願いします」とやる気満々だ。しかし、損益分岐点までにはまだ達していない。利益を出すことに難しさを実感。価格はみたらしと一緒で1本50円。表参道の名物になりますように。
尿のおいらには、皮串の誘惑と、戦いの毎日である。
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江戸時代が好きです パート3

2005年07月18日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
ベント「お諏訪さんにいらっしゃい」の装飾の中に使えないかと本を見ていたら、江戸時代に読まれた歌があった。桂 米朝コレクション8<美味礼賛>(ちくま文庫)に載っていた。あまり語呂がよいので、ここで問題といたします。
題、次の歌は、どこの土地を歌っているのでしょうか?
、橋に船、お城 芝居に米相場 問屋 揚屋(あげや)に 石屋 植木屋
、大仏に 鹿の巻筆 あられ酒、春日燈籠 町の早起き
、武士 鰹(かつお) 大名 小路 生鰯(なまいわし)、茶店 紫 火消し 錦絵
、水壬生菜(みずみぶな) 女 羽二重(はぶたえ) みすや針(みっしゃばりと発音) 寺に 織屋(おりや)に 人形 焼き物
楽食いを久しぶりに読んで、また笑ってしまった。お金はなかったけれども、のんびりしていた昔は、考えようによっては豊かだったのかもしれないと米朝さんは語っています。
日中から仲間が集まって飲む相談です。誰もお金がないので、酒とつまみ(このときは田楽になる)を調達しようと算段するのです。
戸の町では、月のうち10日間も働けば、何とか食べていけたそうです。湯屋の二階でごろごろしていたり、髪結い床で話し込んだり、ボロをまとったフリーターみたいだったのでしょうかねえ。
店に奉公している小僧さんは、盆と正月くらいしか休みがもらえなかったようで、この差はいったい何なんでしょうか?
ほどの問題のヒントです 江戸・京都・大阪・奈良の中から選んでください。残念ながら、四日市はありませんので、どなたか考えてください。
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「こども四日市」に参加して

2005年07月16日 | おいらの商店街
略 「こども四日市」のスタッフの皆様、昨日はお招きいただき、ありがとうございました。楽しい持間を過ごさせていただきました。「僕たちは街で大きくなった 」というテーマで30分ほど話をして欲しいと、諏訪西振興組合の野村さんからご連絡をいただき、辻さんの写真を中心にご紹介させていただきました。
ちらかといえば、すわ公園交流館での活動には、かかわりが薄かった私でしたが、今回、市の商工課様や諏訪西振興組合の皆様のご苦労の一端を、見せていただくことが出来たと思っております。
などは勝手なもので、自分の代さえ何とかなれば、あとはどうでも好いと思いがちです。そうではなくて、私たちは、流れる時間のほんの一端を担っただけで、大きな変化はありますが、街の歴史は延々と続いていくのです。
ういう意味では、街を次世代へつなげる「こども四日市」さんの取り組みは大変意義のあることです。メリーゴーランドの増田さんのお話で、再認識した次第です。今頃何を言っているのかとしかられそうですが。
の話が長くなってしまいましたが、続いて、野村さんのお話でした。野村さんは、自分の子供の頃の夢を通して、これからの子供たちに、伝えていかなけらばならないことがあるのだということを、教えていただきました。
原さんは、昭和40年代、金の卵ともてはやされて上京してきた若い人たちの悲哀を紹介いただきました。まだまだ若い方々が、故郷を離れ寂しい思いをした。高度成長期の裏には、そんな現実がこの四日市でもあったのですね。
日、野村さんから連絡をいただきました。今後、街のみんなで元気だった昔を語り合い、将来の街づくりにつなげていこうと。
いに賛成です。機会があれば参加させていただきます。今後とも、よろしくお願いいたします。   草々
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難しいお話の続きでござんす

2005年07月13日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
澤桂子氏著の「生きて死ぬ智慧」が売れていることをネットで知り、思い切って買ってみた。前の続きでござんす。
若心経を科学者の立場で解説している。宗教と科学は、矛盾しているようだが、この本を読むと「空」の思想が、科学的見地から、抵抗なく理解できる。(私は出来たつもりかナ?)
宙は原子で構成されている。たまたま他より密度が濃いところが、私であったり貴方であったり物体であったりするのだ。原子は空間を漂っているから、絶えず変化している。したがって、実態がない。「空」である。
れわれは、自己と他者という二元的な考えを本能として持って生まれている。ところがお釈迦さんは、自己も他者もない一元的「空」の教えを悟り、そして広めた。二元的に物事を考えてしまうから、苦しみが生まれるのだと。
子の存在を知識として持つ現代人には、そんな考えもあるのか?と思うことも出来そうだが、お釈迦さんが大昔に気づいたということは、やはり大天才であったと、柳澤氏は語っている。
の考えで世の中を見つめると、少しだけ気が楽になる。あなたも私も原子で出来ていて、たまたま密度が濃くなったところがあなたで、こちらで濃くなったところが私なんですよ。原子は絶えず動き回っていて、変化してるんです。
どまることがないものに、執着するなんて、無駄なことではありませんか?
きょうは、おーはずかし!
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超多忙でごっくろ~さ~んっと

2005年07月12日 | おいらの商店街
日は、諏訪商店街振興組合の理事会と、お諏訪さんにいらっしゃいの実行委員会が重なってしまった。それまでは鳥居の製作に頭を悩まし、身辺にわかに忙しくなった。
スム博士の作ったダンボール製、巨大鳥居が、持ち歩いているうちにグワグワとうねりだし、真ん中の継ぎ目で折れてしまった。とりあえず二つに離して、骨組みからやり直しだ。ススム博士がチラッと覗きにみえたが、すぐ引き返して行って、すぐに製作材料一式(ガムテープ)を持参。「さすが、武兵衛。お任せします」の一言とともに、再び立ち去った。
し心細い気もしたが、ススム博士には衣装の製作という宿題を抱えてみえる。したがって、袖にすがるのも大人気ないと、再び孤独な戦いに挑戦している。ボツボツやれば見通しも立ってくるのだ。砂時計の砂は、決して一時には流れない。何を言っているのかわけが分からない。
興組合の理事会では、森理事が、良い提案をされた。数人の理事で構成する研究機関を作ってはどうかということだ。今まで三役に任せた状態(特に専務)の仕事を、全体で運営することはよいことだ。武兵衛の仕事が増えるのもよいこと????だ。北川理事は、まだ仕事増えるの?とうれしそう???それより、鳥居が気にかかる。
事会が済んで、お諏訪さんにいらっしゃいの実行委員会に遅刻して行った。済んだ頃を見計らったつもりが、宴たけなわだった。これは、帰りが遅くなりそうだ。遅く帰ると、テレビの前で居眠りをしていたお母アンが、薄目を開けて「なぜ飯を食うのだ?」という目でにらむ。そんな個人的なことは、どうでも良い。本日の会議は、遅刻の罰として、発言は控えた。というよりも、わけが分からなかった。
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