金曜ロードショーで、山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」を観た。これで4回目。飽きずに良く観るものだと我ながら関心。細部にわたり作品の完成度が高いのだ、きっと。
清兵衛の娘が寺子屋に駆け込むシーンがある。席に着くや否や論語の素読(そどく)を始める。とにかく大きな声で暗記するまで読む。意味が分からないまま丸覚えしてしまう。
意味が気にならないわけがない。しかし、教えてもらえないのだ。我慢する。その間に、早く意味も分かるようになりたいと思う心がつのる。教えないことが、かえっていい教育になっているのである。
外山滋比古著「思考の生理学」ちくま文庫
昔は、なんとしても学問をしたいという気持ちがなければ話にならなかった。意欲のないものまで教えるほど世の中が学問に関心を持っていなかった。
剣の修行をしようとしても、簡単には教えてくれない。入門して1~2年は掃除や風呂焚きの仕事ばかり与えられる。やがて学習意欲がつのってくる。師匠の流儀を盗もうとするようになる。こうして受動的に流れやすい学習を積極的にすることに成功していた。
現代は、教える材料も教師も整っている。はじめからすべてを親切に教えてくれる。出来上がるのは学習意欲に受動的なグライダー型人間で、エンジンを積んだ飛行機型人間は、現代には育ちにくいと外山さんは述べているあたりは、おもしろい。
それにしても、「たそがれ清兵衛」の最後の決闘シーンは壮絶だ。余吾役の田中泯はすごかった。「まあ飲め」と酒を勧める。「わしを見逃してくれ」と言いつつ、相手が竹光と知って切りかかってくる。
屋内の戦いでは、剣が短い清兵衛が有利だった。「暗い・・・」と言いつつゆっくりまわって倒れる余吾。ハエの飛ぶ音と共に、忘れがたいシーンとなった。
清兵衛の娘が寺子屋に駆け込むシーンがある。席に着くや否や論語の素読(そどく)を始める。とにかく大きな声で暗記するまで読む。意味が分からないまま丸覚えしてしまう。
意味が気にならないわけがない。しかし、教えてもらえないのだ。我慢する。その間に、早く意味も分かるようになりたいと思う心がつのる。教えないことが、かえっていい教育になっているのである。
外山滋比古著「思考の生理学」ちくま文庫
昔は、なんとしても学問をしたいという気持ちがなければ話にならなかった。意欲のないものまで教えるほど世の中が学問に関心を持っていなかった。
剣の修行をしようとしても、簡単には教えてくれない。入門して1~2年は掃除や風呂焚きの仕事ばかり与えられる。やがて学習意欲がつのってくる。師匠の流儀を盗もうとするようになる。こうして受動的に流れやすい学習を積極的にすることに成功していた。
現代は、教える材料も教師も整っている。はじめからすべてを親切に教えてくれる。出来上がるのは学習意欲に受動的なグライダー型人間で、エンジンを積んだ飛行機型人間は、現代には育ちにくいと外山さんは述べているあたりは、おもしろい。
それにしても、「たそがれ清兵衛」の最後の決闘シーンは壮絶だ。余吾役の田中泯はすごかった。「まあ飲め」と酒を勧める。「わしを見逃してくれ」と言いつつ、相手が竹光と知って切りかかってくる。
屋内の戦いでは、剣が短い清兵衛が有利だった。「暗い・・・」と言いつつゆっくりまわって倒れる余吾。ハエの飛ぶ音と共に、忘れがたいシーンとなった。