花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

商店街で強奪事件発生

2005年08月31日 | おいらの商店街
31日諏訪栄商店街は騒然となった。銀行に押し込み強盗が入ったというのだ。
日、当店は棚卸し。進まぬ気分で店頭の商品とにらめっこしていると。午後2時前だったろうか、通りをばたばたと数人の人が走っていく。商店街徒歩競争のイベントか?万引きを追いかけているのかと思いきや、前で警察官が、ご婦人に聞き取り調査を始めた。
ったくりかと思い、耳を傾けていると、青い服に白のシャツ、年は20代から30代だと携帯で連絡している。その後恵比須堂へ用があったので行ってみたら、3人の刑事さんと出合った。屋上からアーケードづたいに上を調べているのだそうだ。通りのあちこちにも警察官の姿が目立って物々しい。
さんに聞くと、銀行に押し込み強盗が入り、追いかけられて商店街に逃げ込んだらしい。その段階では1千万か2千万はつかんでいるのではないかとのたまう。どうして2千万なんですかと聞くと、百万がこのくらいの厚さだから、両手でつかんで2千万。かなり曖昧だ。
時間ほど経過して、H商店のお兄ちゃんに聞くと、駅前の銀行に強盗が入り、カウンターを乗り越えて現金を請求したらしいと実演つきの説明だ。周りのお客は訓練と勘違いして静観していた。現金強奪に成功したか否かは分からない。強盗はスターアイランドと近鉄百貨店の間を自転車で逃走。東へ曲がって商店街へ逃げ込んだということだ。
こへ隠れたのか、サスペンスの好きなうちのワイフは、犯人はすでに遠くへ逃走していると推測して自信満々だ。今にも前を通る警察官に報告しかねない勢い。
千万持っているから、半分やるからかくまってくれと、逃げ込んだ商店主に頼み込んで商店街のどこかに隠れているか。俺なら、1千万ならOKだけど100万ならお断りだと言うとか、挙句の果てにお前1時過ぎにいなかったから犯人か?黙ってやるから半分よこせだとか、意見百出でした。
々に活気付いた商店街でございました。街のうわさですから、どこまで真実に近いのか?明日の新聞が楽しみでございます。
追伸
一句できました  強盗がこわいにかこつけ 早く閉め
活性化になってないがや
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イベント「お諏訪さんにいらっしゃい」反省会開催

2005年08月30日 | おいらの商店街
29日、まっさんにて、先日行われたイベント「お諏訪さんにいらっしゃい」の反省会の席が設けられました。集まったのは13名。街の新旧入り乱れての顔ぶれが揃いました。
粋に街を思う気持ちが嬉しいですよね。街がよくならなければ自分の店も良くならないことを、皆さんよく理解していただいています。えらそうなことを言いますが・・・。それに皆さん謙虚です。俺がイベントを成功させてやったんだ、なんて気持ちが入ると、多分うまくいかなくなるでしょう。多少の気負いは必要ですが。
省点は多々ありました。アルバイトさんの有効な動かし方。そして富くじの件。この二点に絞られそうです。貴重な失敗を次の成功につなげていかねばなりません。
ベント効果はその日だけのものです。街の活性化のためには、催事を定期的に開催して、来街者の興味を引き続けていく必要があります。お客様に、失望感を持たせないためにも。
速、諏訪栄商店街のグリーンモールとスワ栄さんが名乗りを挙げてくれました。10月1・2日あたりの、秋の四日市まつりに合わせて「収穫祭」を行いたいということです。ススム実行委員長の談によると、東海の三大祭に挙げられた四日市祭りは、たくさんの豪華な山車でも有名でしたが、渡り蟹やなしなど、季節の特産品でお客さんをもてなしたということです。
農社さんの新鮮な野菜、松岡さんのうなぎ、貝増さんの焼きハマグリと材料は揃っています。豚汁やマツタケおにぎりなど、こだわり食材でお客様に舌鼓を打っていただこうという趣向です。
には元気が似合います。第二回の「お諏訪さんにいらっしゃい」は転機となる秋のまつりの、重要な盛り立て役になることでしょう。
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恐怖の閉所恐怖症

2005年08月29日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
当店の従業員のおばさんが、旅行に行くから三日ほどお休みを取らせて欲しいといってきた。話の経過からお聞きすると、ご主人が変なのだ。とにかく変なのだ。
ちらへ出掛けるんですかと聞くと、東北とおっしゃる。2泊3日の旅である。
森まで初めての飛行機旅行。ご主人と水入らずで?と聞くと、友達と行くと答える。「主人は飛行機に乗れないんです」
はつらいよ」の映画で寅さんが乗れない飛行機に乗り、ふらふらでタラップを降りてくるシーンがあった。ご主人は、飛行機だけでなく、バスも電車も船もだめ、目がぱちぱちして気分が悪くなるそうだ。橋を渡ってもめまいがすることがあるとのこと。
ピードに対する恐怖心からかとお聞きすると、映画はよく観るらしい。自分への危機感が過敏なのだろうか。自分で運転する車は良いらしく、徒歩以外の唯一の移動手段だ。しかし高速はだめで、下の国道を走る。信号で停車するとほっとされるそうだ。お仕事は設計関係。デリケートで神経を使う仕事だからか。
ろんな過敏症の方が見えるそうで、トンネルのダメな方もみえるそうな。閉所恐怖症か。みんなでドライブに行っても、トンネルの手前で自分だけ降り、山越えをして、出口で待たせたみんなと合流しなくてはならない。昔の関所破りを彷彿とさせる。
所恐怖症といえば、家の下水が定期的に詰まる。猫たちが興味深そうに眺める中、床下へひとりでもぐる。廊下の下を懐中電灯の明かりを頼りに、兵士のように這い進む。それが怖い。今地震でも起きたらどうなるんだろうかと思ってしまう。上でのんびりと鼻くそをほじくるワイフに、大きな声で合図を送りながら必死の作業だ。自分はもしや閉所恐怖症か?と考えてしまう。
い家なので、年に2回は床下にもぐる習慣がついた。心配したこともなさそうで、いまやワイフのいない狭い床下のほうが落ち着く。仰向けに寝て廊下の床に穴を開け、そこからの景観でも楽しもうか。否、ワイフが通ると、かえって気分が悪くなりそうだ。
ッ!今通過したのは、あれはいったい、ナンジャ!
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理容店で聞いた奇妙な話

2005年08月28日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
一昨日、理容店へ行った。商店街のことや、とりとめもない話をしているうちに、面白い話を聞いた。否、面白いようで深刻な話だった。
髪が日々寂しくなるにつれ、月に一度は出掛けていた理容店が疎遠になっていき、このところ2~3ヶ月に一度となっている。うまく出来たもので、上部は秋の風状態だが、ふもとに下りてくると雑草が伸び放題だ。K君のお世話にならざるを得ない。
イラはご幼少の頃からK君の床屋に通っている。いま、1回が3,700円だから年間約18,500円。今の金額に換算すると、生まれてこの方100万円ほどの金をK君に貢いでいることになる。かえしてくれ!なんて野暮なこともいえまい。
題は自然と、頭髪のことになる。鬘(カツラ)の話になる。植毛は1本が25円だとか、もったいないから余分なところの毛を移植してはどうだとか。当然そのあたりから下ネタになる。「白髪混じりのカールのかかった髪の毛なんて変やね」と笑った。
こでK君はこんなことを話した。現在はやめてしまっているが、とある鬘屋さんが女性のあそこの鬘を作ったことがあるという。世の中、まったく毛の生えてこない方もみえるそうだ。今は水着などの関係できれいに剃ってしまっている人も多いのに、わざわざ買って付けるとは殊勝なことだ。発注から製作、購入そして着脱までの経過を思い巡らすと思わず声が大きくなってしまう。
かし、当人にとっては深刻な問題だ。自分がそんなだったら恥ずかしくて温泉にも行けない。裸になるたびに萎えてしまいそうだ。ふさふさとして臭気を放っていたほうがナニがお粗末でもいくらかましだ。
ほど思い悩んだ挙句の注文だったのだろう。いろんな悩みや劣等感があったものだ。別注品だからかなり高額だったと思う。オイラだったら、もったいないからマジックでも塗っておくか。
ウモロコシの毛では、踊りでも踊りたくなりそうだ。また余計な想像をしてしまった。
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花まんま トカビの夜

2005年08月26日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
第133回直木賞受賞の「花まんま」朱川湊人著をオール読物9月号で読ませていただきました。
んだのは「花まんま」のうちの短編「トカビの夜」。トカビとは、朝鮮のお化け、小鬼のようなものらしい。昭和40年代、主人公がまだ子供で、大阪の長屋のような通称、文化住宅に3年ほど住んでいたときの出来事だ。
鮮人の子供チュンホと友達になるが、病弱であったためにその友達は死ぬ。その直後、長屋周辺でチュンホのトカビが出現するのだ。屋根の上を移動したり、窓から覗いたりする。チュンホの家族を差別していた長屋の住民は、幽霊の出現を恐れる。
人公のユキオは、友達ではあったが遊びの中にも差別意識があったことを気にしていた。ある夜、窓から遊びに来たチュンホに、自分のおもちゃを貸して遊ばせてあげる。満足したチュンホはそれ以後、現れなくなった。
かしい時代を背景に、トカビの現れる幻想的な風景が展開する。霊とか呪いとかが、いまや映画でも大流行だが、霊って存在するんだろうか?と考えてしまう。
日、お客さんのところで「霊魂を信じますか?」なんて質問をぶつけられ途惑ったことがあった。その人は日本に国籍を移して20年以上になるフィリピン人の奥さんだった。「写真にはっきりと霊が写るんですよ」と話す。一緒にいた店のI君は迷わず「見える人には見えるが見えない人には見えない」と分かったような返事をした。オイラは「信じますよ」と答えてしまった。
れど、幽霊とか呪いということばになると、信じることに抵抗がある。急いで復習してみる。ええっと、魂は宇宙の生命体の一部で、死とは魂が宇宙の生命体に還元されること。浮遊している原子がたまたま濃くなったところに自分とか他人が存在する。ぴんとこない。やっぱり科学的に片付けようとしてしまう。
魂なんて、存在するとかしないとかの問題じゃなく、信じるとか信じないとかの問題なんだろう。
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少年の組み立てふろく

2005年08月23日 | レモン色の町
7月はじめに「思い出の組み立てフロク」というのを書かしていただいた。図書館に「少年のふろく」串間努著(光文社刊)を探してきたので読んでみた。
れは「少年」昭和36年9月号の組み立てふろくだ。少年レコードプレーヤーとなっている。ソノシートを置いて、鉄の針を乗せ手で回す。33.1/3回転という回転数を指で回せというのだから、とんでもない無理難題だ。それでも、それらしい音が出るだけで十分満足だった。耳をくっつけじっと聞き入る。
腕アトム」か「鉄人28号」の歌だったのか記憶にない。ガシャガシャっという音からゆっくり回転を早めていくと聞き覚えのある曲らしき音になってくる。それを通過してもっと早くまわすと、漫画みたいな声になる。きゅるきゅるっという音になり、それでおしまい。
気よくまわすことが出来ないことがわかるとそれでおしまいである。ようやく鑑賞に堪えない代物であることを悟る。それでも完成したことに満足する。
時、黒い樹脂で出来たレコード盤は高価だった。指紋が付くとか、針を変えなくてはいけないとか言われて、簡単にはいじらしてくれない。しかし、ソノシートの出現で、音楽鑑賞が身近なものになった。
生の頃には、ウエスタンや映画音楽のソノシートがはさんである本が出て、よく買ったものだ。薄いビニールで出来ているだけあって、何度も聞けないといわれていたが、シートが破れるほど聞いた覚えがない。
貴の結婚式のときだ、親戚が談笑している隅で、自分が気に入ったクラシックレコード(それも非常にポピュラーな曲)を、BGMのつもりでせっせとかけていた。ようやく、おばさんが「いい曲やねェ」と誉めてくれて内心得意になっていた。
とで気がついたことだが、33回転の曲を45回転で鳴らしていた。誰もクラシックのわかっている人がいなかったということだ。
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江戸小咄

2005年08月22日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
大変しつれいですが、本日書くことがありませんので、江戸小咄でも・・・
嫁の乳
嫁が有った。しごく器用でよく働き、おやぢの月代(さかやき)をそってやる。
髭をそるとき、美しい肌への乳が、おやぢの唇へ触った。おやぢ、我を忘れてなめる所を、息子が見ていて大いに腹を立て。「さてさて親人にはあるまじきなされ方。女房の乳をなめてのたわむれ、ご所存のほどが承りたい」と決め付ければ、親父開き直って「おのれはおれのが女房の乳を、五年くらったではないか」
吉原
このごろは久しくおいでなんせん、お心変わりかという。
「イイヤ、心変わりではないが、さんざん痔が起こって、それゆえ来なんだ」
「それは、さぞお困りなさんしたでござんしょ。殊に出痔のいぼ痔のはしり痔のと、色々あるそうでござんすが、おまえのは何痔でござんす」
「おれがのは親仁(おやぢ)だ」
神田祭
田舎の客、なじみの女郎と差し向かいで話している。女郎、おならが出そうなゆえ「ぬしや神田祭をみなんしたか」
客「たびたび江戸へ出れど、神田祭はまだみねエ」
女郎「賑やかな祭りでありんす。まず練り物、屋台ばやしして、このように太鼓をたたきんす」と、火鉢のふちをむしょうに叩き、その音にまぎらせ、おならをぽんとはずせば、客あきれた顔で「それほど結構な賑やかな祭りに、このようにあとから肥やしを持ち行くはどうだろう」
ネタが多い!お・そ・ま・つ
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隠し剣鬼の爪 跡?

2005年08月21日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
少し古い映画で申し訳ないが、山田洋次監督の「隠し剣鬼の爪」をDVDで借りてきた。山田洋次は底抜けに優しい心を持った人だ。
作は藤沢周平の「隠し剣鬼の爪」と「雪あかり」から取っているそうだ。忘れてしまっているので、もう一度読み直そうと思う。この映画の内容は二つに分かれていて、前半がきえのこと、後半が挟間弥市郎との決闘になる。
北の小藩、海坂藩の下級武士である片桐宗蔵(永瀬正敏)は、かつて片桐家の女中であった、きえ(松たか子)を町で偶然見かける。きえは油問屋へ嫁いだのだった。ところがすっかりやつれている。気にしたままその場は別れるが、2年後、きえが病床に臥せっているうわさを聞き、嫁ぎ先の伊勢屋へ乗り込む。
のまま放置されたきえを助け出し、宗蔵は家へつれて帰る。この場面の宗蔵の態度には涙が出てくる。山田洋次監督は、なんと優しい心を持った人だと感心する。
になる場面があった。宗蔵のところで療養中のきえに、はるばる妹のおぶんが訪ねてくる。おぶんはまだ幼い。庭で姉の居ることを尋ね、あがりがまちでぞうりをそろえて脱ぐ。置いてある雑巾で片方ずつ足を拭くと、その場に正座して、ぺこっとお辞儀をして中へ進む。家の中は、奥の部屋で姉が寝ているだけで、後は、まかないの老婆が居眠りをしているだけなのだ。つまり、人目を気にしてお辞儀しているのではなく、身についた習慣で自然に行っているのだ。このなんでもないシーンを山田監督は少し離れたところから丁寧に撮っている。
どきこんなことをする子供はいない。オイラの幼少の頃、足拭きはあったが、よその家で正座してお辞儀などしない。昔のいいところが、どんどんと無くなっていくような、古いものは否定されていくような、そんなことがあっていいのか?と、年寄り臭いことを考える武兵衛でした。
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蛭!

2005年08月20日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
蛭(ヒル)の攻撃に合うという、恐ろしい体験をしてしまった。18日、孫たちを連れて鈴鹿の山へ食事に出かけた、その先で出会った事件だ。
鹿山系のふもとにある料理旅館へ昼食を摂りに行った。食事まで時間があったので、近くの川で孫たちを遊ばせた。自然の涼感は気持ちがいい。岩場を渡れない孫たちを抱いては流れの向こうへ移していた。
この料理は、川魚を調理してくれる。新鮮で値打ちだ。ビールを飲んでいたら孫たちがすぐ横で騒いでいる。見ると、2センチほどの下半身を膨らませた物体が、のた打ち回りながら廊下から外へ出て行こうとしている。ナメクジにしては色が黒く異様だ。
おばさんがそれを見て、蛭だといった。ヒル!音感からして気味が悪い。なんでこんなもん飼っておくんや!おばさんに講義しようと思ったら、誰かが持ち込んだものだという。このメンバーの誰かが、蛭の餌食になっているという。それはいったい誰だ!
ばさんは触ってはいけないと孫たちに注意して、塩を持ってきた。塩に埋もれた蛭は、どす黒い血をにじませて萎んでいった。赤黒く染まった塩を見ていると、蛭が気の毒に思えてくる。「吸われると、血が止まらないんですヨ」おばさんはそう言って少し笑ったような顔をした。
供たちが犠牲になっていなければと思いつつビールを飲んでいると、オイラのズボンに血のあとがついていた。ヒエッ!犠牲者はオイラか。くるぶしのところが出血している。拭いても拭いても血はにじんでくる。酔いはさめてしまって脱力感すら感じる。ワイフが持っていたバンドエイドを貼った。塩の中の血とズボンについた血を合わせても、出血の量はたいした事はなさそうだ。しかし・・・
供たちでなくてよかったねえ。おばさんを交えてみんなで笑っている。孫たちが、わしのバンドエイドをめくっては、珍しそうに傷跡を覗きに来る。
んだぁ!子供たちがよければこのわしはどうなってもいいのか。わしが蛭の餌食になったことが、そんなに面白いのか。なんとなく興奮してきた。血を吸われた後遺症が、早くも出てきたのか。やがてくる満月の夜が恐ろしい。やたらビールを飲みたくなった。後遺症で週2回の休肝日が守れなくなりそうだ。
のおかげで、明日も飲もうと決めた。そうだ、昼(ヒル)に飲もう。
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魔界の使者ヘルボーイ

2005年08月19日 | おいらの商店街
一昨日の夜、ススム会長が、これから四日市一番街商店街振興組合の会議に行くのだと入ってきた。先日のイベント「お諏訪さんにいらっしゃい」の報告をするから、写真をプリントして欲しいとのことだ。
ベントの成功で、さぞかし気分のいい会議になるのじゃないの?とお聞きすると、そんな感覚は持ち合わせてなさそう。それよりオイラを震撼させたのは、10月に同じ駅前商店街にあるグリーンモール発展会で、秋の収穫祭のイベントを打ちたいと言い出したのだ。
スム会長のイベント病に、ますます拍車がかかった模様だ。ついては、会計を引き受けてくれないかとおっしゃる。今回の決算を、領収と首っ引きで作っているのだが、3000円現金が多くて悩んでいたところだっただけに「ちょっと考えさせて欲しい」と答えておいた。
が、突然変わって申し訳ないが、夜中に目を覚ました。レンタルのDVDを返す日が明日なのだ。観ないまま返すのももったいないので、睡魔と闘いながら観賞した。
ルボーイ」。敗戦色の濃くなったナチスは、魔界との間に穴をあけ、悪魔による世界征服を狙う。作業途中で連合軍により阻止されるが、角をつけた真っ赤な赤ちゃんが拾い出され、超常現象調査防衛局の手によって、ヘルボーイと名づけられて大切に育てられる。60年後、成長したヘルボーイはナチスの残党が使わした悪魔と戦うことになる。
っちこっちのストーリーや場面をくっつけ合わせたような映画だったが、自分の容姿にコンプレックスを持つ主人公の性格が、楽観的で野暮ったいのが面白かった。
後に、防衛局の青年が話すことばが印象的だった。

人格や個性は何で決まる。
かつて友人(ヘルボーイ)は自問した。
出生や育った環境なのか?
いや、何を選択するかで決まるんだ。
出生や環境でなく
人生をどう生きるかで・・・・

ススム会長、いいことばと思いませんか?
コメント (2)
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