花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

映画「英国王のスピーチ」

2011年04月29日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
遅まきながら、シーズの長谷川さんのお薦めで、映画“英国王のスピーチ”を観てまいりました。
英国王ジョージ6世は吃音(きつおん)→発音障害の一種。発音の際、第1音が容易に出ない、繰り返す、引き伸ばすなど円滑に話せない状態。不安・緊張など心理的要素による影響が多い。・・・に悩んでいた。
     
厳格な父であるジョージ5世が逝去。継承した長男のエドワード8世は、王位か妻かの選択で、わずか1年にして弟のジョージ6世に王位を譲った。
人前でうまく喋れない原因は、生い立ちにあるのか?このあたり、イギリス国王が、ごく普通の悩める人間として描かれていて好感が持てる。
悩むジョージ6世は、スピーチ矯正家のライオネルのところを訪ねる。この矯正家に不信感を持ったり葛藤があったりしながら、やがて二人の間には信頼関係が出来て友情が芽生える。
     
映画のラスト。ヒトラーに対抗するスピーチを国民に向けて行なうため、スタヂオに入った二人は、お互い向き合いながら、この偉業を見事成し遂げるのでした。
人前で喋るということは難しいことです。まして感動を与えるにいたっては至難の業です。けれど、リーダーたる者にとっては必要不可欠なこと。うまく話せるようになりたいものです。
     
ウイリアム王子の婚姻でマスコミを賑わせていますが、何かにつけて英国王室には話題が事欠きません。

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中心市街地まちづくり提言書

2011年04月27日 | 諏訪商店街振興組合のこと
     
“四日市市中心市街地グランドプラン まちづくり提言書”が商工会議所様のご努力により完成しました。
これは、平成22年度1年間かけて、石崎均先生を中心に、1番街・諏訪西・本町・諏訪の四つの振興組合、それに行政や諸団体と共同で検討会議を積み重ねてきた成果です。このレポートは各振興組合に配布済みですので、手にとってご覧いただけると思います。
23年度は、この提案書を商店街全体が共有し、実施できる事業を検討・企画・実行する時期になります。
重要なことは、個々のお店の方に認知していただくこと、これがある程度完成してないと「勝手なことをしてぇ」ということになりかねません。
幸い、年度変わりで総会を控えていますので、これを機会に普及・共有化に努めたいと思っております。
諏訪商店街振興組合ゾーンとしては
諏訪広報プロジェクト→個店PRのための広報誌の発行
街なか宝探し事業→一店逸品の研究とイベントやマップによる普及活動
出前商店街→空き店舗を開放した一店逸品市によるアンテナショップ活動
青空市場の開催→平面駐車場を利用した市場を実施
安心・安全街づくり事業→振興組合のエコ事業に連動させた啓発活動
などが今後の取り組み案として考え出されています。
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伊藤さんの来四 最終回

2011年04月22日 | レモン色の町
一昨日、精養軒に勤めてみえた伊藤さんからハガキが届いていました。
      精養軒跡にて
翌日は精養軒の奥様と会われたそうで、昔話に花が咲いた様子でした。
     
バスを降りるとすぐに精養軒さんの喫茶店は見つかりました。奥様とは同じ年代で終戦後の混乱期を苦労して来られたので、話が合い楽しいひと時でした。 昭和32年精養軒在職中の昼食は、売れ残りのパンを蒸し器で蒸して頂いた、そんな毎日でしたが、奥様が「私も食べました。それはお婆さんの指示でした」と言われたのには吃驚しました。旦那様が使用人以上に遊び好きであり、使用人の遊びは寛大であった様です。四日市での良き思いでとなりました。
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石川梵著 鯨人(くじらびと)

2011年04月17日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
石川 梵著「鯨人(くじらびと)」集英社新書

小さな船に乗り、銛1本で巨大な鯨をしとめる、そんな営みを続ける村がある。インドネシア諸島東に位置するレンバタ島のラマレラ村に惹かれた写真家の石川梵氏は、17年間にわたりこの地を訪れともに生活をしながら写真を撮り続けた。この本は、長年にわたる彼と村人たちとの交流と鯨漁の記録だ。
命を懸けて巨大な鯨に挑むラマファ(船の先に立ち銛を持つ人)、カメラを構え続ける石川氏、その瞬間、瞬間の死闘は圧巻だ。
“ラマファ”は自分の為だけじゃない。貧しい人、夫を亡くした人のために鯨と戦うんだ。ラマレラに先祖代々伝わる教えに感動する。
そして、筆者はこう結んでいる。

食うために、生きるために命がけで体を張るラマファ。食われないために死に物狂いで暴れる鯨。その戦いを目の当たりにして感じたのは、太古の昔から人類と他の生き物が延々と繰り広げられてきた生の営みそのもの。
その最も原初の形を目撃したという感覚だった。その行為は野蛮でも残酷でもなく、むしろ神聖であり、崇高にすらみえた。
生き物と生き物との間で交わされる命のやり取りの崇高さに、私はしびれるほど心を動かされた。

しかし、何かが欠けていることに石川氏は気付いていた。それは、人間側からの記録ではなく、哺乳類である鯨側からの記録だった。
石川氏は、鯨のその瞬間の目を撮るために、再度ラマレラ村を訪れるこことなる。
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伊藤さん来四のつづき

2011年04月16日 | レモン色の町
昨日夕方、サントレーの樋口氏が店の前を通られた。
樋口氏はパン組合の役員だったので、もしや精養軒のことを知らないかと尋ねたところ、現在、ご家族が高花平にて喫茶店を営んでみえるとのこと。
高花平には喫茶店が1軒しかない。電話をかけると、確かに精養軒の方とおっしゃる。電話の奥さんによると、伊藤さんをご存知とのこと。ご主人は5年前他界されている。
早速、伊藤さんにメールで知らせたが返事がない。せっかく来ていただいたのに残念と思っていたところ、先ほど店の前で挨拶をされる人があった。
伊藤さんだった。伊丹市へ帰るのは明日で、今日“なばなの里”へ寄られ、諏訪神社で写真を撮った帰りだった。
店に引き入れて、精養軒さんに電話を入れ、話をしていただく。
明日、ご夫婦は高花平へ出向いて、精養軒さんにお会いされることとなった。
四日市が良い思い出になるといい。
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伊藤さん来四

2011年04月15日 | レモン色の町
今日の13時30分頃、商連から伊丹市の伊藤さんご夫妻がみえているという連絡が入った。伊藤さんは昭和32年の半年あまりの間、諏訪劇場前の精養軒さくらパンで働いていた方だ。
早速、辻写真館の奥さんとスワン美容室の老夫婦にあっていただいたが、精養軒の記憶はハッキリとは出なかった。辻さんが生きてみえたらなあと残念に思った次第だ。
      昭和32年4月27日
美空ひばりのファンで、諏訪劇場での公演も見られたそうだ。巻きテープをひばりさんに向かって投げたところ、頭にあたったということで叱られたとことや、若い盛りで、夜遅く店に帰るのに、電柱を登っておまわりさんに叱られたこと、諏訪公園西の夜の街で遊んだ思い出話を聞かせていただいた。
全国をパン職人として渡り歩いたが、最後に持った伊丹市のパン屋では神戸震災に合い、大変苦労されたそうだ。
人生の集大成で、今までのあゆみをたどる旅をしてみえるということだけれど、夫に付き合って共に旅行をされている奥さんが印象的でした。
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義援金を届けました

2011年04月12日 | 諏訪商店街振興組合のこと
     
本日午後2時 エキサイト四日市・バザール会場にて集めていただきました東日本大震災の義援金278,394円を、外羽理事長、水谷専務理事、アビオンの堀木が代表して届けさせていただきました。
四日市市福祉部の副参事、東甚士(あずまやすし)さんと、福祉課の吉田純平さんが対応にあたっていただきました。
義援金は日本赤十字社をとおして、罹災された皆様に届けられます。
どうもありがとうございました。
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政成稲荷大祭

2011年04月10日 | おいらの商店街
     
     
4月9日は諏訪神社の政成稲荷大祭の日でした。
このところ朔日恵比寿復活で、順調に神社詣でが行なわれており、お稲荷さんのお参りにも参加させていただかなければと思った次第です。
なんと前回おまいりしてから五年ぶりでした。
春の宵、気候の良い季節に稲荷大祭は行なわれます。ずーっと昔から変わることなく続けられていたことを思うと、厳かな雰囲気に身が引き締まるようです。
追記
昔、精養軒に勤めてみえた伊藤さんから写真添付でメールが届いていました。
     
50年以上にもなり働いて居たのも 半年でしたが一番思い出に残ります 四日市に来るまでは東京板橋区 静岡県沼津 東京世田谷 埼玉県川口市 長野県大屋、新潟県小出と 昭和29年4月より渡り歩いて居ました 伊丹のパン会社退職後は 新潟を除き全部訪問して来ましたが 現在も続いて居たのは川口市だけでした 場所も判らないのが2か所でした
精養軒はその後廃業したのかな 主人は如何されて居るのかな 小生が居た頃に男の子が誕生して居ました事思い出しました お会い出来るのを楽しみにて居ます

伊藤さんは4月15日と16日に四日市に来られます。

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第20回 エキサイト四日市・バザール終了

2011年04月05日 | 諏訪商店街振興組合のこと
エキサイト四日市・バザール2011を事故もなく無事終えることができました。今回のイベントにかかわっていただいた多くの皆様、来場者の皆様に、心より御礼申し上げます。
桜もお天気もいまひとつで、来場者は61000人と例年より少なめでしたが、自粛ムードの中でこれでよかったと思っています。
会場で集めていただいた義援金は278,394円で、出店者・出場者の皆様からも積極的な寄付をいただきました。早速、市を通して被災地の皆様に送る手続きを進めさせていただきます。
今回ほど開催してよかったと強く思えたエキサイト・バザールは初めてでした。
ありがとうございました。

4日~6日にわたって、アビオンの堀木さんと、お世話になったところへお礼にまわらせていただいております。
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精養軒のこと

2011年04月04日 | レモン色の町
今朝、伊丹市の伊藤様から振興組合宛てにメールが届いておりました。
昭和32年、江田町の精養軒さくらパンに勤めていた方からでした。
聞いたことがあると思い、辻写真さんの写真を探していたら、辻さんの東、あかもんさんの横に精養軒さんの名前の入った店舗跡が載っていました。
     
正面の建物 2階に精養軒の文字が
     
右のゴミ箱?にも精養軒の字が見られます
当時はもう店がなくなっているようです。
右手前に諏訪劇場が建つ位置になります。
伊藤さんのメールでは
「覚えていることは商店街で諏訪劇場があり その当時の有名歌手の実演が再三あり 商店街で歌手が買い物をしていたのをみました」
ということでした。
辻さんが亡くなられて6ヶ月になります。
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