昭和30年頃、10メートルと離れてない商店街の中に魚屋さんがあった。箱とお金を持って朝一番で卵を買いに行く。なぜ魚屋に卵なのかよく分からなかった。木箱の籾殻に埋まった卵が少し顔を出している。おじさんは、箱に少し籾殻を敷いて卵を並べてくれた。
お茶碗に卵を割る。醤油をたらしてかき混ぜる。ご飯を目いっぱい入れて、その上からも醤油をかける。卵の香りを楽しみながら、卵の見えるすれすれまでご飯を食べる。そしてもう一度ご飯をその上から入れてかき混ぜる。一個の卵で一膳半ご飯が食べられた。
お袋は、店番で忙しかったせいか料理に時間をかけなかった。吸い物を作ってそこに家族の数だけ卵を割り込む。よく煮ると卵は硬くなる。吸い物を半分くらい飲んだ後、中の黄身を溶いて、その汁で白身をいただいた。吸い物が二度楽しめた。
お袋は、中学生になると弁当のおかずに苦慮した、と思う。卵焼きとスターエスハムが定番だった。前日の、肉とねぎを炊いたおかずの残りがあると、そこへ卵を割り込み煮る。ご飯に梅干を入れて弁当の出来上がりだった。
行楽のお供に、ゆで卵は駅の売店でよく買い求めた。縦に並んだゆで卵の下に、セロハンで包んだ塩が入っている。こぼさないように塩を広げ、コンコンと割った卵につけて食べる。中から顔を出す黄身はお日様のようだった。
田舎の親戚の家に遊びに行ったとき、鶏小屋から産みたての卵をとってきた。一個しかない。四人が昼のおかずにするには足りない。そこで「卵焼きの素」を溶いた卵に入れて何倍にも増やした。あまり卵焼きの味はしなかった。
卵の上と下に、針で小さな穴を開け、啜って飲んだ。旨くはなかったが、なんとなく元気が出てくるような気がした。殻は絵の具で色をつけ、細かく砕いて、厚紙に貼り付けた。夏休みの宿題が苦労の末出来上がると思ったが、完成の記憶はない。多分あまりの面倒さに挫折したと思う。
卵とバナナは今でこそ安価で買えるが、当時は生活に密着した高級食材でありました。
お茶碗に卵を割る。醤油をたらしてかき混ぜる。ご飯を目いっぱい入れて、その上からも醤油をかける。卵の香りを楽しみながら、卵の見えるすれすれまでご飯を食べる。そしてもう一度ご飯をその上から入れてかき混ぜる。一個の卵で一膳半ご飯が食べられた。
お袋は、店番で忙しかったせいか料理に時間をかけなかった。吸い物を作ってそこに家族の数だけ卵を割り込む。よく煮ると卵は硬くなる。吸い物を半分くらい飲んだ後、中の黄身を溶いて、その汁で白身をいただいた。吸い物が二度楽しめた。
お袋は、中学生になると弁当のおかずに苦慮した、と思う。卵焼きとスターエスハムが定番だった。前日の、肉とねぎを炊いたおかずの残りがあると、そこへ卵を割り込み煮る。ご飯に梅干を入れて弁当の出来上がりだった。
行楽のお供に、ゆで卵は駅の売店でよく買い求めた。縦に並んだゆで卵の下に、セロハンで包んだ塩が入っている。こぼさないように塩を広げ、コンコンと割った卵につけて食べる。中から顔を出す黄身はお日様のようだった。
田舎の親戚の家に遊びに行ったとき、鶏小屋から産みたての卵をとってきた。一個しかない。四人が昼のおかずにするには足りない。そこで「卵焼きの素」を溶いた卵に入れて何倍にも増やした。あまり卵焼きの味はしなかった。
卵の上と下に、針で小さな穴を開け、啜って飲んだ。旨くはなかったが、なんとなく元気が出てくるような気がした。殻は絵の具で色をつけ、細かく砕いて、厚紙に貼り付けた。夏休みの宿題が苦労の末出来上がると思ったが、完成の記憶はない。多分あまりの面倒さに挫折したと思う。
卵とバナナは今でこそ安価で買えるが、当時は生活に密着した高級食材でありました。