「大人の見る絵本 生まれてはみたけれど」は昭和7年に作られたサイレント映画です。佐藤忠男氏は「小津安二郎の芸術」朝日選書でこの作品についてこのように書いてみえます。
「シナリオは、ジェームス槇となっているが、これは小津安次郎を交えた3人の執筆によるものだ。
当時の批評によると、不景気社会における市民の卑屈さを痛烈に描き出した暗い深刻な映画といわれていた。しかし、シナリオに参加した伏見晃は小津と一緒に「談笑のうちに話をつくった」と語っている。「興行価値などはあまり考えず、のんびりと楽しみながら、しかし夢中で書いたように記憶する」
小津もまた「最初は割合明るい筈だったんだが、撮影中に話が変わっていっちゃってね。出来たら大変暗くて、映画会社はこんな暗い話とは思わなかったと、完成後2ヶ月ばかり封切りを控えたくらいだ」と回想している。
東京の郊外の新しく住宅地になりつつあるところに、父親(斉藤達雄)と、母親(吉川満子)と、息子2人(兄・菅原英雄、弟・突貫小僧)の一家4人が引っ越してくる。この息子はまだ小学生で、映画の初めからほぼ4分の3までは、この2人の子供を中心にした、ギャグがいっぱい詰まった滑稽な喜劇である。引っ越し先には地元のガキ大将がいて、新参者の二人はいじめられる。兄弟は策略をろうし、苦労の末ついに覇権を取ることになる。
そこには何も深刻な社会問題があるわけではなく、観客はただ、ストーリーの語り口の巧妙さとギャグの秀逸さを笑って鑑賞できる。
ところがある日、父親の重役の家で映写会が開かれるというので子供たちも観ることになる。そこに映し出されたのは、この世で一番偉いと信じていた父親の卑屈な姿だった。兄弟は猛然と父親に反発する。
「どうして太郎ちゃんのお父ちゃんだけが重役で、うちのお父ちゃんは重役でないの?」
「太郎ちゃんとこはお金持ちだからだよ」
「お金があるから偉いの?」
「世の中にはお金がなくても偉い人もある」
「お父ちゃんはどちらだい」
最初に書かれた伏見晃のシナリオでは、この後、叙情的な締めくくりとなっていた。
翌日、兄は犬と出かけた野原でぼんやり考え込んでいると、兵隊の一行に出会う。行軍はそこで小休止となり、兵隊の一人が子供にお菓子を買って来るように頼む。兄がお菓子を買って戻ると行軍は出発となっていた。兄はその兵隊にお菓子を渡そうとするが上官に睨まれて受け取れない。困り果ててお菓子を押し戻そうとする兵隊。そんなギャグが二三度繰り返されるうちに、子供はいつしかずいぶん遠いところまで来ていた。家では両親が、昨夕、叱ったことで家出でもしたのか心配していた。しかし、薄暗くなった頃、兄は無事に帰ってきて一同ほっとする。というものだった。
ところが、出来上がった小津の映画ではまったく書き改められていた。
両親は、ハンストを続ける兄弟をなだめる為、いろいろと苦労をする。こうして、こどもたちの無念を強調し両親の情けなさをきわだだせた最後となった。
伏見晃が、楽天的にエンジョイしながら書いた作品を、小津監督は単なる風俗喜劇にとどまるかもしれないというところで、もう一押しテーマを強調して、厳粛なクライマックスをつくり出した。
この軽妙さと厳粛さが、この作品では微妙に交じり合い、きわめて自然に転調する。このパターンは、小津監督の他作品にも多くみられるが「生まれてはみたけれど」は特に、これが鮮やかに成功しているのです」
「大人の見る絵本 生まれたはみたけれど」は11月25日(金)午後6時30分より スワセントラルパーキング2階会場での公開です。ぜひご参加ください。