2月5日(日)午前11時と午後2時の二回にわたり、諏訪神社で節分豆まきが行なわれる。さてこれから本文。小さい頃、姉に連れられて近鉄富田駅からバスに乗り継ぎ、北山の親戚の家によく遊びに行った。
駅前でバスを待っていた風景を思い出すが、半世紀も前のことだから、今はすっかり様変わりしてしまっている。踏切から望む駅西の風景は、四日市高校以外一面の田畑だった。その中を、バスは土ぼこりをあげて走った。
30年ほど前のことになる。オイラがこの高校に通っていた頃のことだ。公立ではかなり優秀な学校だったが、成績はケツから数えたほうが早かった。3年生の頃になると富田の商店街にも馴染んだ。もっぱら食する場所である。行き着けは四軒あった。
富田駅前の小さな食堂は、東改札口の隅にあった。駅の公衆トイレがすぐ前だったので、いつもあたりには臭気が充満していた。そのため、入り口の戸はしっかり閉ざされていて、冷房が完備していた。きちんとしたメニューで、多分、土曜日の昼などにカツ丼を食べたと思う。先生などもよく利用していて、わりに小ぎれいだった。
もう一軒は、駅前商店街の通りにある、富士ヤというお好み焼き屋だった。一軒の店舗を二つに仕切り、それぞれが細長い店で食堂とお好み屋をやっていた。今でも精肉店・キッチンとして健在だ。ここは生徒の放課後のたまり場で、女生徒のほうがよく利用していた。テーブルは別々だが、男子は女子連中を気にしながらお好み焼きを焼く、楽しい場所だった。
商店街通りを東へ進み、右に曲がったところにある、うどんの別久さんは現在でも営業中だ。格子のあるのしもた屋風で、地元の人しか気づかないような店構えだ。オイラはここでカレーうどんのうまさを初めて知った。数回ほどしか入った覚えがないが、決まってカレーうどんだった。
あと一軒の場所がはっきりしない。そこは小さなおでん屋だった。ここも一見して普通の古い家で、入ると小さなテーブルにおでんが煮えていた。取り囲むように椅子が六脚ほどある。夜の居酒屋が主な商売だったのだろう。学生のオイラには異様な雰囲気に思えた。おばさんが初めに出てきて皿を出し、後はいなくなった。よく見ると、串に色が付いていて、最後に色と本数で勘定をしてくれた。多分、カバンに串を入れて持って帰ったら分からなかったろう。
生徒が多かったから、放課後になると富田の町は学生があちこちでたむろって居た。
思い出したが、期末試験が終わり四日市で映画を見た。駅前の四日市シネマで「輪舞」という洋画をやっていた。男女が好き同士になり、次にそのどちらかが別の相手と好き同士になる。その繰り返しで四つほどの物語がつながっていた。
ベットシーンもある少しエッチな映画で、劇場内を見ると三分の二ほどが高校生だった。女生徒も多かった。観ていた叔父さんが大きな声で「こんな映画、高校生に見せてもええんかよ」と騒いでいた。成人向き映画ではなかった。
駅前でバスを待っていた風景を思い出すが、半世紀も前のことだから、今はすっかり様変わりしてしまっている。踏切から望む駅西の風景は、四日市高校以外一面の田畑だった。その中を、バスは土ぼこりをあげて走った。
30年ほど前のことになる。オイラがこの高校に通っていた頃のことだ。公立ではかなり優秀な学校だったが、成績はケツから数えたほうが早かった。3年生の頃になると富田の商店街にも馴染んだ。もっぱら食する場所である。行き着けは四軒あった。
富田駅前の小さな食堂は、東改札口の隅にあった。駅の公衆トイレがすぐ前だったので、いつもあたりには臭気が充満していた。そのため、入り口の戸はしっかり閉ざされていて、冷房が完備していた。きちんとしたメニューで、多分、土曜日の昼などにカツ丼を食べたと思う。先生などもよく利用していて、わりに小ぎれいだった。
もう一軒は、駅前商店街の通りにある、富士ヤというお好み焼き屋だった。一軒の店舗を二つに仕切り、それぞれが細長い店で食堂とお好み屋をやっていた。今でも精肉店・キッチンとして健在だ。ここは生徒の放課後のたまり場で、女生徒のほうがよく利用していた。テーブルは別々だが、男子は女子連中を気にしながらお好み焼きを焼く、楽しい場所だった。
商店街通りを東へ進み、右に曲がったところにある、うどんの別久さんは現在でも営業中だ。格子のあるのしもた屋風で、地元の人しか気づかないような店構えだ。オイラはここでカレーうどんのうまさを初めて知った。数回ほどしか入った覚えがないが、決まってカレーうどんだった。
あと一軒の場所がはっきりしない。そこは小さなおでん屋だった。ここも一見して普通の古い家で、入ると小さなテーブルにおでんが煮えていた。取り囲むように椅子が六脚ほどある。夜の居酒屋が主な商売だったのだろう。学生のオイラには異様な雰囲気に思えた。おばさんが初めに出てきて皿を出し、後はいなくなった。よく見ると、串に色が付いていて、最後に色と本数で勘定をしてくれた。多分、カバンに串を入れて持って帰ったら分からなかったろう。
生徒が多かったから、放課後になると富田の町は学生があちこちでたむろって居た。
思い出したが、期末試験が終わり四日市で映画を見た。駅前の四日市シネマで「輪舞」という洋画をやっていた。男女が好き同士になり、次にそのどちらかが別の相手と好き同士になる。その繰り返しで四つほどの物語がつながっていた。
ベットシーンもある少しエッチな映画で、劇場内を見ると三分の二ほどが高校生だった。女生徒も多かった。観ていた叔父さんが大きな声で「こんな映画、高校生に見せてもええんかよ」と騒いでいた。成人向き映画ではなかった。
