Sさん、ご感想をお送りいただき 感謝いたしております。
「しみじみと味わい深い映画に、大変感激いたしました。
もったいないほどの時間を過ごさせていただき、ありがとうございました」
昭和33年頃は、第2次世界大戦が終わり、世間が高度成長に向かう頃でした。一方、朝鮮戦争や冷戦時代ときな臭い時代でもありました。封切り当時、小津作品はブルジョア的だとか言われ批判も受けたようですが、戦争体験をした小津さんが訴えたかったことは、平穏な中で営まれる生活が何より大切だという反戦の意思を示したかったのだと、吉田貴重監督は語ってみえます。
川島町のOさんの感想です。
「今の社会では家族、親戚のつながりが希薄になっています。
いつも小津映画を観ると、昔の温かい人間のつながりを感じ、とても懐かしい思いがします。
私は娘が居ませんが、父親にとって娘ほど可愛い存在はないのでしょうか。娘を愛するあまりかたくなな態度をとっている父親の気持ちが理解できました。
カメラワークでワンショットの場合、いつも出演者の目線がカメラ向きです。これは小津作品の特徴ですが、記念写真を撮っているわけでもなし、いつも不自然さを感じています」
澤井信一郎監督は、小津生誕100年を記念したシンポジウムで、こう話しています。「国際シンポジウム 小津安二郎 生誕100年記念「OZ 2003」の記録 朝日新聞社」より
「小津さんに親しい感じを持ったのは監督になってからですが、最大の興味は撮影技法にかかわることでした。
カットバックという撮影技法があります。二人が会話をしています。まず、Aという人物が話しているところを撮り、次にBが話しているところを撮る。次にAを撮り、またBを撮る。そういつまでも撮っていられんということで、たまにはキャメラを引いて二人を撮って、またAのセリフ、それからBを撮る。
このカットバックの手法が如何に凡庸で、退屈で、知恵のないものかということが、私の助監督時代に体に染み付いたような恐れとしてありました。
私の妄想でしかありませんが、小津さんもまたカットバックに悩んでいたのではないでしょうか。
カットバックの嫌いな小津さんが、なぜ格闘の末、カットバックの名手になったのか?
二人が話し合っているとき、Aは左を見る、そしてBもまた同じ方向の左を見るのです。二人の目線は逆方向に行く。これを「逆ポジションに入る」と言います。皆さんは小津さんの映画を観るときに、向かい合ったり、直角に座った人が同じ方向を見ているのは既にご存知でしょう。逆目線の相似形による、一種の様式美のためのカットバックを考えついたのだろうと思います。
逆目線のカットバックの一番いいところは、二人の人物が同じポーズになるためにあまりギクシャクしなくて、スムーズなカットつなぎになる。この効果を狙っていたのではないでしょうか」
「晩春」の電車の中のシーンなど、はっきりとこの特徴がうかがえます。