本日の中日新聞デス
生徒さんの活躍を受けて 商店街はしっかりと受け止めて行かなくては ナリマスマイ 楽しく・・・
“逃走中”ならぬ“広報中”がテーマで、四日市商業高校の生徒さんがスマホ片手に商店街を走った。市の委託を受けた四日市商店連合会の事業である。ここ数年、高校生との事業は続けられているが、ある日“シャンソン”さんが、東京でのメディア関係の仕事を生かして、出身地四日市の為にお役に立ちたいと事務所に申し出た。そこで高校生徒の取り組みに関わってほしいとお願いしたわけだ。2回の商業高校での講義を終え、11日午後、15名の商業高校の生徒さんが街に集合した。そして説明の後、15分の時間制限で3人一組になり商店街へと散った。“四日市商店街広報大使”に命じられたミッションは「ヨッカイチ」「ワールド」「チル」「エモい」「行ったことのあるお店」の五つ。(年寄にはワカラン!)そして、生徒さんたちは走り出した。
ちょっとびっくりした。今までは、「生徒さんのやる気を引き出すにはどうしたらいいの?」が課題だった。しかし、生徒さんたちは、生き生きと楽しそうに走り回っている。これだった。広報大使のスターになってもらう。“ごっこ”を楽しむ。商店街活性化という“結果”を期待するのではなく、楽しんで元気を街に振り撒いていただけばいいのだ。“結果”を出すのは個店や街の努力である。生徒さんは火付け役であればいいのだ。そんな“目からうろこ”の日でした。
“広報中”ならぬ“候補中”の年寄り集団でも作ろうかナ。
日本テレビのTさんに お尋ねしました
ご返事は 23日(日)午前1時から3時までの間のどこかで 商店街ドミノを放送予定です
放映時間ですが 生放送なので 未定である ということ
個人の顔は消すように努力しますが 不行き届きの場合は申し訳ありません
ユーチューブにアップは禁止 DVDでお渡しすることもできないということでした
少しでも長い放送時間を期待して待つしかなさそうです
四日市31万人市民が「楽しみにしています!」とだけは伝えておきました
結果報告 冒頭の人間ドミノと 故 元 井上市長が出たシーンのみでした 失望感 超絶大!
只今、四日市商店連合会の事務局から連絡が入りました。
日本テレビ放送の24時間テレビで、8月23日(日)の午前1時から3時までのどこかで20年前に行われた“四日市商店街ドミノ”が再放送されるようです。
こうご期待! 申し訳ありません コピーと貼り付けでお願いします
https://blog.goo.ne.jp/hotokeya/e/1fef889746da597d5b4e41a2ea282a17
2月29日代表役員で、開催中止を決定させていただきました。規模を縮小してでも・・・といった提案も出ましたが、運営の混乱を考えるとそこまで踏み切れませんでした。苦渋の決断ではありますが、一旦中止させていただき、何らかの形で年内には実施させていただければと考えております。皆様のご理解をよろしくお願い申し上げます。
尚、今までお支払いただいた出店料等は、順次お戻しさせていただきます。少しお待ちいただくことになりますが、宜しくお願い申し上げます。
この春より㈱CTYに甕破り山車保存会の取り組みや「はなれからくり」の妙技等を半年にわたり追っかけ取材をしていただいた。
このたび完成し放送されることになったので、放送日をお知らせします。是非ご覧ください。
<放送日> 平成30年11月1日(木)~15日(木)
<時 間> 地上波12チャンネル
火・木・土曜日 16:30~
水曜日 23:00~
金曜日 19:00~
<内 容> 四日市空襲で一度は焼失した西中町の甕破り山車。復活に尽力した保存会の取り組みや最大の魅力。「はなれからくり」の妙技に迫る。
天皇の即位式は、高御座という八角形?の幕の下で行われる。確かに御所にあるということを聞いたので、次回の即位式はここであるのでしょうか?と尋ねると、高御座は、東京へ運ばれるということ。今上(平成)天皇の即位の礼の際にも、自衛隊のヘリで隠密裏に輸送されたということだった。
長州、薩摩の過激集団が、天皇を担いで明治維新を起こしたという説を展開する原田伊織著「明治維新という過ち」がベストセラーになり文庫化されている。今まだ読破してないので、感想は避けるが、御所についての記述があった。
天皇の住まい=御所の佇まいは、観光名所として直接目にした人も多い事だろう。一つの永い歴史を持つ民族の最高権力者の住まいである。
それにしては、その塀の低さはどうしたことかと気づいた人もまた多い事であろう。余りにも無防備である。こういう例は、恐らく我が国以外にはあるまい。都の庶民にとって、天子様とは文字通り「お天道様」のような崇高な存在ではあるが、決して権力者ではなかった。自分たちが神仏の加護を得て平穏に生きていられるのも、神々との懸け橋であられる天子様がそこにおられてこその話なのだ。この国にとってもともと天皇とは、そういう存在である。これを侵すものがどこにいようか。したがって、高い塀も、城壁のような防御施設も御所には要らないのである。
天皇自らが、討幕そして維新を指図したかといえば、NOであると書いてあります。面白そうなので、もう少し頑張って読んでみます。
怒り狂って、京都への突入を画策する攘夷派を前に、あまり気乗りがしない高杉晋作は「俺がまず、乗り込んでやる」と先行し、桂小五郎と一緒になって、祇園で毎日酒を食らっていました。
8月20日行われた商店連合会視察旅行では、京都の祇園で昼食をとりました。
軒を並べるお茶屋。この奥に仕出し屋がある。
祇園花街には、お酒や料理を味わいながら舞妓さんや芸子さんの芸を楽しむ「お茶屋」、舞妓さんや芸子さんが住まいする「置屋」、そして料理を作る「仕出し屋」から成り立っています。お茶屋は、一見さんお断りで、紹介がないとは入れないということ。これは、仕出し屋から自転車で一品ずつ運ばれてくる料理で充分なおもてなしをするためです。今回は団体でしたので、多分、軽自動車だったのでしょう。カナ?
舞妓さんは20歳位まで。振袖でだらりの帯、季節の花やかんざしをつけています。髪は一度結うと1週間はそのまま、寝る時も箱枕を使うそうです。会員である別所さんの孫さんが舞妓さんで商連一行を迎えてくれました。「どうして舞妓さんに?」の問いかけに「やってみたかったから」と現代っ子らしい返事、思い切ったことが出来るものです。
一方、芸子さんは大人の姿。着物の袖は短く、帯もお太鼓結び、頭には日本髪のかつらをかぶりかんざしを使う際にもシックなものになります。
お茶屋の並ぶ花見小路と八坂神社から西に延びる賑やかな四条通りの角に一力亭があります。歌舞伎の仮名手本忠臣蔵で有名。近藤勇、大久保利通、西郷隆盛も利用していました。昔は四条通沿いに玄関がありましたが、明治時代に市電が通り、路が広げられて賑やかになった為、表通りから控えて、花見小路側に変わったということでした。
花見小路側から見た一力亭
昔、このあたり一帯は八坂神社の境内だったそうで、明治時代に行われた廃仏毀釈の影響で名前が「祇園社」から「八坂神社」に変更されたということ、花街一帯は祇園社の境内でした。それが祇園の名前の由来だそうです。
解説は、9月28日発行の「ブラタモリ13」から盗ませていただきました。スンマセン
蛤御門の変について「幕末史」半藤一利著 新潮文庫
池田屋事件と蛤御門の変はセットになっています。新選組は、攘夷派の浪士が池田屋に集まって、放火と惨殺を行うという計画を知り、襲撃をかける。切り込んだ新選組は近藤勇ほか7名。周囲は桑名藩と会津藩が取り囲んでいました。新選組はだれも傷つかず、攘夷派は、闘死10人、重傷3人、捕縛者9人。これで長州藩を主体とする攘夷派の中核部分が壊滅します。そこでいきり立った長州藩は、長州にいる三条実美ら七卿と藩主親子の無実を勝ち取る理由で京へ出兵します。
7月18日の朝、家老の福原越後他3名は、御所を目指します。対する京都は「長州来る」と会津兵を中心に、京に残っていた薩摩、桑名の藩兵が御所を守り、長州兵を迎え撃ちました。まず、木島又兵衛の一隊が蛤御門に殺到、大激戦となります。さらに前関白の鷹司さん宅の前でも激戦が繰り広げられ、もともと「朝敵になる」とこの戦に反対だった久坂玄瑞は「利あらず」と悟って切腹したのでした。25歳でした。
蛤御門の変(禁門の変)は、7月19日午前6時に始まり、午前11時に終わって京の町は丸焼けになりました。約2万8000戸が焼失、253の寺社、51の武家屋敷が焼けました。21日になって下火になりましたが、市民は住むに家なく、昼は死体にたかる蠅、夜は蚊に責められたといいます。残敵討伐を割り当てられた新選組は、100人が山崎の天王山へ向かい、ここでも大激戦となります。40名が亡くなりました。
蛤御門での死者数は、長州側265人、迎え撃った会津60人、薩摩8人、越前15人、彦根9人、桑名3人、淀2人でした。会津は本気で戦い、長州の完敗でした。
「ほどよく距離を置きなさい」湯川久子著 サンマーク出版
中国北宋代の儒学者 司馬温公はこう言っています。
「大金や資産をいくら多く残しても、
子や孫たちは、これを上手に守り使うことは出来ないものである。
子孫をいつまでも栄えさせようと思えば、
世の人々にために自らが陰徳を積むことこそが、
子孫が幸せに暮らす基となる」
(湯川先生 談)子の行く末を案じて財産を残そうとしても、突然降ってきたお金は人をなかなか幸せにしないということ。
言い換えれば、お金を残すよりも、自分で自立して生き抜く方法を学ばせることの方が重要で、そのためにも、自ら社会のためになることを続けていくことが大切だということ。この考えには、私も大いに賛成です。
海外では多くの富豪が、子供に遺産を残さない選択をし、多額のお金を寄付していることもたびたびニュースになります。
もう直ぐ、秋の四日市祭りです。司馬温公様のご尊顔を、改めて拝謁いたしたいと存じます。しかし、少しはお金もないとネエ。