花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

失われた海水浴場⑨二枚の絵葉書

2023年08月26日 | レモン色の町

今週のGGシニアさんの動画は、オラお得意の「映画館巡り」でゴザイマス

(1) 「四日市の映画館/諏訪劇場/ロッポニカ四日市/三重劇場」 - YouTube

さて、本題に入ります 今回も お休みが多い割には 熱がこもっております さて、

“霞ケ浦別荘地帯“と題したこの絵葉書。後ろに川が流れていて、遠くにも松並木がみえます。そして、その間は広い池のような広がりが望めます。椙山満氏の”四日市市史“によると

海蔵川口の北は、また潮風のざわめく松原とその西寄りに小松の茂る広大な砂原があり、その先は海が入江になって入り込んで広い砂地を形造っていた。明治20年代に大きな台風に見舞われ、それまで一直線にあった海岸松原が大きく欠損して入江になったと言われている。昭和4年、この入江の周囲の天然の広場を使って霞ケ浦競馬場が開設されると同時に、海蔵側から競馬場の東に沿って堀切川の河口までは、地元の白須賀の農家の人たちが海苔粗朶(のりそだ)を海中に立てて、寒い冬でも胸まであるゴム長靴を履いて海苔作業をしている姿が見られたものである。そして、堀切川を境に北側の小松原は、大正12年から開設された高級住宅地、いわゆる霞ケ浦の別荘地帯、その隣は有名な“霞ケ浦遊楽園”という海水浴場だった。とかいておられます。

つまりこの“霞ケ浦別荘地帯”と題する写真は、分譲されて間もない別荘地を、堀切川と遠くに海蔵川を背景にして、北側の遊楽園側から撮られたと想像できます。昭和4年開設の競馬場はまだ出来ていません。

昭和53年の地図を参考に

もう1枚の“霞ケ浦遊楽園”と説明されたジオラマのような写真。中央に象徴的な“千人風呂”が建ちますから、隣の“アサヒビール”の大きな看板は“大食堂”になります。

昭和初期

隣の無料休憩所には“ライオン・・”の文字が、歯みがきでしょうか?“海遊館”を西入り口側から撮られた写真です。前の“霞ケ浦別荘地帯”と同じく、低空飛行で撮影されたもので、同じ時に写されたと推測できます。

“千人風呂”を海水浴場側から撮影された写真です。