嶋口屋角の世古道を 沖の島へ というより諏訪新道へ向かって歩いてみた
現在は、旧東海道を縫うような形で直線に国道1号線が走っている。昭和初期 旧道沿いに諏訪北と南驛があって 嶋口屋世古道は 高等女学校へ通う近道だった。
①当店から嶋口屋世古を東へ 狭い!
②すぐ1号線に出る 狭い!1号線を無視して東へ
③1号線を渡って呉服町へ入る 戦後 諏訪新道と並んで賑わった 現在は道幅が拡幅されているが 大正期は狭かったはずである
④呉服町の突き当り 直角に曲がったところがここ1650番になるのではないか?
⑤左に曲がると諏訪新道へ出る その先 三滝通りを超えて沖の島へ この広い四間道路は明治末期の四大事業で完成した 旧四日市港と諏訪神社を直線で結ぶ道となった
問題の1670番―2は三滝通りあたりか?左下が三重機械の土地 嶋口屋の世古を直線に敷いたその先に1670番―2があった 三重軌道は直線を引いたその先を手に入れたかったのか まるで線路を敷くように
???狭い世古道は 列車の専用道路としか考えられない???そりゃ無理でしょう
嶋口屋の世古道、タケオ様のお店を訪問する度(スワパーキングに駐車するため)いつも通るようにしています。電柱に貼られた「嶋口屋」の文字が往時を感じさせますよね。新設の国道1号線により分断されているため世古道としてはほんのわずかな長さですが、もし現代でも当時のままの長さで残っていれば昭和感漂う情緒豊かな通りになっていたのではないか(飲み屋とかスナックとかが連なっていそう(笑))と想像します。ここに三重軌道が…?いや無理でしょ。…ごもっともです(笑)。