花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

一枚の写真シーズン2 ⑥ 回答

2025年01月20日 | レモン色の町

諏訪公園西の道沿いから北方面に存在していた赤線地帯“春告園”の夜の様子です。

水たまりに 春告園 のネオンサインが映る

諏訪公園の南には屋台が並んでいましたが、

諏訪公園南の屋台

そこを外れて公園の角に差し掛かると薄暗くなった西側には赤線地帯が広がっていました。撮影はその角あたりから北西に向かって撮られたものです。四日市にはこの他に“港楽園”が西方向に広がっていて、夜の歓楽街として賑わっていました。昭和31年5月24日売春禁止法が施行されると、諏訪公園西一帯は、飲み屋、スナックや連れ込み旅館に変貌しました。辻さんが撮られたのは、施行直前の昭和30年頃だと思われます。

名古屋タイムス新聞のカット

何度も掲載しておりますが、諏訪のまちの成り立ちが良く分かる記事ですので、再々再 掲載いたします。

“聖なる教会”真ン向かい 紅い燈ともる特飲街 そのまた隣が幼稚園(昭和28年 名古屋タイムスより)

〇 諏訪連鎖街を昔は新田町といった。戦前、諏訪神社の境内だった土地に諏訪産業という会社が軍隊の払い下げの建物で建売りを始めた(満州引き揚げ者の共同住宅を移築)のが戦争直後、ボツボツ人も入り住んだが、一日で二人の通行人しかなかった日もあって最初に店を開いた人は泣いたそうだ。これが一期生。それから順次二期生、三期生、四期生となるころは今のような盛り場が出来上がった。それ以後は新入生と称するそうだ。現在(昭和28年当時)七十六軒、周辺は商店で真ん中の小道はノミヤが多く、客も社用族が多い。ホセとカルメンは同じ資本のバー、白菊、文楽はよくはやるノミヤ、特徴はヨルバイト(買春)をしないこと、だそうだ。街に立つ女もいないし、温泉マークも周辺にあるにはあるが青線的形態ではないらしい。その方の御用は専らこちらと港楽園、春告園という特飲街(赤線)がある。両方合わせて40軒、女を不当にサクシュするとかいうのでしばしば手入れをされたアブレ赤線業、行き詰まりの狭い路地のズラリと並んで、気の弱い男はとても近寄れない。ほかに諏訪公園前に待合という名の特飲店が数軒、その前にはカトリック教会があり図書館があり幼稚園があり、まことによき対照をなしている。すなわち図書館の窓から干し物が望まれたり、幼稚園の子供が区域へ迷い込んだり、しばしば問題が起こるゆえん、もともとカトリック教会があったのを無理に赤線が出来たものらしい(昭和30年頃までは教会と赤線が並立していた)。かつて、立ち退け、いや退かないでゴタゴタがあったそうだ。(文・川太郎、え・ワシズ泉夫)

K宅別邸跡地を 進駐軍が接収して 一時カトリック教会にしたものと思われ、下の写真では、昭和31年に整地されています。この空き地には その後 移動遊園地が来ていた記憶があります。ネオンがまぶしく夢のようでありました。

中日新聞による空撮

昭和31年当時


一枚の写真シーズン2 ⑥ 問題

2025年01月19日 | レモン色の町

問題です。

辻俊文さんが盗撮されました。夜、おばさんが店頭で立ち話をしています。お客さんを待っているんですかね?ネオンと水たまりに移った文字が回答になりますので 消させていただきました さて、いつの何処でしょうか?


一枚の写真シーズン2 ⑤ 回答

2025年01月18日 | レモン色の町

答えは、三滝通りから市役所方向を撮られたものでした。

四日市今昔写真帖より

写真の説明では、昭和30年頃とありますが、三滝通りを近鉄電車が横断していたのは、昭和30年まで。その後、諏訪駅は廃止となります。下総人様のご指摘による、市役所向こう側の工事用のクレーンですが、昭和33年6月に津地方裁判所四日市支部庁舎が落成しています。時期としては合いそう・・・と思い現在の写真を撮ってまいりました。

ムムム・・・もう少し西かな? カメラがもっと前へ出た方が良いかな?

 


一枚の写真シーズン2 ⑤ 問題

2025年01月15日 | レモン色の町

雨上がり 傘を持つおじさんが歩いていきます。電車が通過する踏切。右の建物は あまりにも分かりやすいので 白く塗らせていただきました。

さて、この風景は 何時頃の 何処でしょう? 四日市市今昔写真帖より


一枚の写真シーズン2 ④ 回答

2025年01月14日 | レモン色の町

いろいろと考えていただきました ありがとうございます

霞が浦海水浴場の入口門ではないでしょうか?とか・・・

四日市今昔写真帖より

昭和27年中央通りで開催された講和記念博覧会の会場には こんな建物はなかった?とか・・・

推理していただきましたが 最終判断の通り 昭和11年 千歳町の埋立地で開かれた 国産振興大博覧会会場の写真でした

満州館です

国防館とか

多くの方の印象に残った大仏さんが並び

この時代の世相をよく 反映しておりました

四日市湊物語⑪国産振興大博覧会 - 花の四日市スワマエ商店街

千歳橋と国産振興博覧会 - 花の四日市スワマエ商店街

四日市で空前絶後! - 花の四日市スワマエ商店街

昭和11年の90年前の出来事ですから 子どものころ見に行った記憶がある方も 本当に少なくなってしまいました 商工会議所の小菅さんに お話をうかがった記憶があります

 

 

 

 

 


一枚の写真シーズン2 ④ 問題

2025年01月13日 | レモン色の町

こりゃ どうじゃ 異国情緒あふれるこの建物は これで四日市です 建物の前に立つ9人の美女 なんじゃろか? あえて建物の看板を消しました これで分からんやろ! 

ワカランやろが! ホエン?ホワイ?ホワット?


一枚の写真シーズン2 ③ 答

2025年01月12日 | レモン色の町

正解は「第二尋常高等小学校」で、後の浜田小学校です。

四日市は“四日市宿”と南隣の“浜田村”から成り立っていました。四日市宿に第一尋常高等学校ができると、浜田村にも第二尋常高等学校が出来たのです。新田町も浜田村でしたので、私も浜田小学校へ通ったわけです。

ぶらり四日市 その二十二 浜田小学校校歌 - 花の四日市スワマエ商店街

浜田小学校 空撮! - 花の四日市スワマエ商店街

玉井兄弟と浜田小学校 - 花の四日市スワマエ商店街

下総人様からコメントを頂戴して 次の写真を思い出しました 浜田小学校の南東の位置に出来ました。

昭和40年 四日市今昔写真帖 より

昭和30年代 十七軒町に突然温泉が出たという特報が入りました そこの完成したお城が 四日市ヘルスセンター です 親父に連れてもらって出かけたり 商店街の宴会に利用したことがありました 天守閣には太鼓があって 叩かせていただきました 真ん中の少し大きなお風呂の他に 周りには小さいいろいろなお風呂がありました 演芸があったり 飲んだり食ったりできて 長島温泉のミニ版みたいだったデス 

平成16年 居酒屋おいしんぼうのところにありました

平成6年のマップから 十七軒町14番の角 おいしんぼうの場所にありました。平成になって生桑町へと移転され「ユラックス」から「湯守座」となっております。


一枚の写真シーズン2 ③ 問

2025年01月11日 | レモン色の町

明治5年(1872年)8月 泗水義塾では、国の学制頒布(がくせいはんぷ)に合わせて江戸末期から四日市各所にあった寺子屋や私塾を統合、上新町の光運寺内に県下初の小学校を造ります。その後、南新地から明治18年7月本陣跡に新築移転、明治30年の市制施行で四日市市四日市尋常小学校になりました。後の中部西小学校である第一尋常高等小学校のことです。

さて③の問題です。よくある学校の遠景ですが・・・どこでしょうか?

二日前の「男の囲炉裏端」の新年会で 戦前にあった牡蠣船は 現在の「かき広」さんの先々代の方がやってみえたということをお聞きしました。牡蠣船とかき広さんが繋がりました。昔の船内の様子をお聞きする時が来るかもしれません。

2024年12月16日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街  牡蠣船の事


一枚の写真シーズン2 ② 答

2025年01月10日 | レモン色の町

増田武夫氏は、昭和三年昭和天皇御大典当時の店の並びを、一軒ずつ聞き取り調査をされ、東海街道と浜往還の冊子を作られました。以前、店へもみえて親父と話していたのを覚えています。下の図は北町の店の並びで、四日市宿の賑わいが偲ばれます。札の辻近くに御菓子司の信濃屋さんが店を構えています。「問」の写真は、この位置から右(北側)方向に撮影されたものでした。

四日市市北町。北町は現在でも地名が残っています。三滝川を超えた東海道の四日市宿の玄関口であり、多くの商店が軒を連ね、活気がありました。また、南町、高砂町と並び花町としても知られていました。札の辻の北町側北西角が第一本陣跡でした。(四日市今昔写真帳 より)

諏訪新道から西方向 遠くに諏訪神社が見える

記録から「学生頒布50年記念県市連合文化展覧会」が諏訪公園で開催されたとあります。この事業を祝って札ノ辻を中心とした東海道と浜往還、そして明治43年からの四大事業で完成した諏訪新道に国旗と紅白の布で巻いたポールが立てられました。

大正期 神社本殿裏の池 右に旧図書館が見える 水谷宜夫氏所有

大正5年には諏訪神社裏の庭園であった“保光園”が“諏訪公園”に改称されて市民に開放されています。ここに木造の図書館が建てられたのは大正5年6月の事、おそらく、完成したばかりの図書館を中心に記念事業が展開されたと想像できます。学制発足について少し調べてみます。


一枚の写真 シーズン2 ② 問

2025年01月08日 | レモン色の町

これはムツカシイ 季節は夏 服装から1世紀は昔の写真か? ヒントは右の「御菓子司 信濃屋」の店舗 そんなこと知っても どこか分かるはずはない 国旗が挙がって 通りが賑やかだ 何があるのか?難問でアリマス 今回はアキラメテくださいね アケチクン  

<特別ヒント>

大正11年の竪町 - 花の四日市スワマエ商店街