花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

一枚の写真シーズン2 ⑯ まぼろし探偵からの回答

2025年02月18日 | レモン色の町

「ハハハハハ! 紅こうもり君からの問題は じつに簡単だった」

中町 昭和8年~19年 樹林舎刊 四日市の今昔 より 水谷宜夫氏 提供

旧東海道と交差し(浜往還)当時は中町銀座と呼ばれて多くの店舗が軒を連ねていた。西方を望むこの写真の、最奥には老舗御菓子屋『栄昌堂』がある。

昭和13年の地図

ここは東海道の札ノ辻から港へ伸びる「浜往還」。東海道と並んで最も賑わいのある通りだった。中町銀座も当時は西中町と東中町があったのだ。

増田武夫氏による浜往還 昭和3年

注目すべきは、写真中央にドッカリと建つマーケット「大正バザー」。キリンビールや玉突きの看板もあるところから、マーケット以上の店舗だった。しかし、戦争の激化と共に閉店の命令が下された。店内を見たかった!


一枚の写真シーズン2 ⑮ 紅こうもりからの謎

2025年02月17日 | レモン色の町

「前回の月光仮面からの質問は、ひとまず宿題といたします」曰く、どくろ仮面。

ここは(曙町?)いったい(大協石油?)

どこでせう(日本板硝子前?)

ということで、紅こうもりからの質問です。

ここは、いつの どこでしょう?「わかるかな?まぼろし探偵くん」

だれですか?『リスク体温計』と読む人は?

だれですか?『伊藤は 着物』と読む人は?

 


一枚の写真シーズン2 ⑭ 月光仮面からの問題アゴン!

2025年02月16日 | レモン色の町

Kさんからの情報。『幻の大怪獣 アゴン』には、四日市ロケが敢行された風景が所々に見受けられるというものだった。

『幻の大怪獣 アゴン』は、昭和39年 『ウルトラQ』と同時期に製作されたが、提供がつかずそのままお蔵入り、ようやく昭和43年お正月番組として1月2日~5日フジテレビ系で4回に分けて放送された。

幻の日本特撮怪獣ドラマ“アゴン”。40年の歳月を経て、遂にDVD化。深海より突如出現し、放射能物質を求め、咆哮する大怪獣アゴン。迎え撃つ自衛隊との行き詰まる攻防戦。そして日本は炎と化した!ゴジラとパターンが似ております。

ゴン登場!阿含宗とは関係ありません!アトミック  ドラゴンからきているそうです。

尾上町に住んで居たKさんは、小学6年生の頃自転車であちこちを走り回った。そのため当時の下の画像にある原子力研究所は、大協石油正門の風景に違いないとおっしゃる。

スポーツカーで入る

正門看板が付け替えられている

続いて諏訪新道を西から東へ疾走するパトカー。

タカラヤ家具店のビルから三﨑屋、長谷川洋服店、岩崎ミシン店

福田メガネ、酒重・・・

服部教育品店

谷楽器店、岡本総本店と並ぶ

映画 電光石火の男より

鞄のタケコシ角でパトカーを見に出る人々

パトカーは諏訪新道を左から右へ走り抜ける(昭和43年マップ)

ところで、次に出る風景は何処だろう?忘れていてはなりませんゾ 月光仮面からの問題です

さてこの風景は?電光石化の男によく似た景色が出ていたような?手前の白い建物は社宅?とすると曙町か?パイプが渡されているが 何処か?

日本板硝子前の通りか?

三滝川南側の堤防のようにも見える

三滝川河口の南側付近、大協石油付近のロケが多いような気が致しますが・・・・

 

 


一枚の写真シーズン2 ⑬ ジョーカーからの返事

2025年02月14日 | レモン色の町

相合橋ではなくて、相生橋でした。

大正13年西詰

高砂町と袋町の間の納屋運河に架けられた相生橋は、港新道(12間道路)の完成と同時の大正13年10月に竣工した。中央部の車道は砂利だけで未舗装、両側の人道は板張りのまま。対岸の白い洋館九鬼紋十郎氏邸。明治23年創設の初代相生橋は、このすぐ右手(北側)に架かっていたので、対岸に橋の跡と、旧袋町の狭い通りの入り口が見える。

相生橋が出来たのは明治23年でした。稲葉翁の築港事業も一段落、市の四大事業で諏訪新道が敷かれることとなります。諏訪神社から四日市驛までは順調でしたが、四日市驛から相生橋までの十二間道路は大正期の完成となります。

明治39年の消印がある相生橋(ロシア兵)俘虜通過の光景 水谷宜夫氏提供

昭和35年の日活ロケの風景

電光石火の男

現在の相生橋です

 


一枚の写真シーズン2 ⑬ バットマンからの質問

2025年02月12日 | レモン色の町

昭和40年8月5日には、駅西にあったはずの「労働基準監督所」。この建物の西側を通って中部中学校へ通学(昭和36年~昭和39年)していたので、それらしき建物の記憶はある。早速、たいじゅさんからメールがあり、調べていただいた。おつきあい、ありがとうございました。

右に建つ2階建てが監督所・・・昭和40年8月撮影とあった。

『労働基準監督署』は昭和30年~35年まで浜町にあったが、昭和36年に表記がかわり「四日市市都市計画復興土地区割整理地内」となり、推測ではこの時、この場所に移転しているのではないだろうか。 昭和42年になって『諏訪西441-2番』の記載が確認できる。そして、昭和46年になると高架事業の為か西浦へ引っ越すが、その間の10年ほどが、駅西にあったと推察される。

昭和43年の住宅マップより 

労働基準監督署が昭和36年から46年まで建っていた。ここで大きな勘違いを思い出してしまった。

昭和43年の住宅地図

労働基準監督署はもっとにあった。ヒェーッ!これで謎が解けた。すべて私の勘違いだった。ゴメンね ゴメンね ゴメンして チョーダイ すると、労働基準監督署と勘違いしていた(駅の敷地内に建っていた)のは三重交通の建物だったか? 敷地内だから地図に記載がなかったのだ!

(勝手に)気分を変えて 昨日の中日新聞に穴太のことが出ていた

ここで気付いたのは「・・昔は(穴太(あのう)には)七堂伽藍が立ち並んでいた・・」の記述である。北勢線の中間駅であり、桑名と阿下喜間の途中に位置する田舎かな?くらいにしか印象がなかったが、歴史があって寺院が乱立する境内では、さぞや地元のヤクザによる博打が盛んだったのだろう。そんな金の臭いのする土地なら、穴太徳が生まれて当然と思った。穴太徳は後に、鈴鹿の荒神山で吉良の仁吉と一戦交えることになります。

余談が過ぎました。さて、今日のお題は

ヒント:対岸に見える白亜のお屋敷は、九鬼門十郎(訂正:紋十郎)氏が邸宅 さて、いつのどこか?


一枚の写真シーズン2 ⑫ 清八ヶ答

2025年02月10日 | レモン色の町

先ほど写真を撮ってまいりました

初代諏訪駅跡を東進する下り列車

電車の後方に見える二代目諏訪駅を出発して四日市駅(現:JR四日市駅)へ向かう緩行列車。二代目諏訪駅は昭和17年~31年まで使用された。現在のスーパーサンシ付近から(昭和31年撮影吉田 勬氏)樹林舎刊「四日市の昭和」より

彼方に見えるのは「北岡時計店」さん。踏切の側には時計塔が立っていたとお聞きしました。遥かにまあるく見えるのは、時計塔ではないかと思います。こうして眺めるとゆっくりカーブしていたんですね。一番街の真ん中を電車が走っていたことを話すと、驚く方が見えます。随分昔のことになりますから・・・。

初代諏訪駅跡と書かれていますが、昭和17年以前は、東海道沿いに諏訪驛はありました。旧四日市を語るに諏訪驛の様子が描かれています。


一枚の写真シーズン2 ⑫ 喜六ヶ問題

2025年02月08日 | レモン色の町

喜六と清八 関西落語の「伊勢参宮神賑(いせさんぐうかみのにぎわい)」に登場の二人組であります。

本日、四日市は朝から雪が降り続いています。日の差す間もありますが、またもやすっかり曇って雪です。

鵜森神社

諏訪神社

前回の問題、駅前には、円形デッキが着工中。

本日の問題。ヒントは遠くに見える まあるいものなーんだ?

オマケ:前回の出題者、神戸の長吉と穴太徳は稲葉翁伝の血煙荒神山に登場されるお二方です。再々掲載ですが、忘却の彼方の方は再度ご覧ください。

血煙荒神山その1.前奏曲 ①

2021年8月30日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

血煙荒神山その2.前奏曲 ②

2021年8月31日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

血煙荒神山その3.荒神山へ

2021年9月1日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

血煙荒神山その4.決戦!仁吉倒れる!

2021年9月3日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

血煙荒神山その5.仁吉と稲葉翁

2021年9月4日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

血煙荒神山その6.荒神山観音寺

2021年9月5日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街


一枚の写真シーズン2 ⑪ 穴太徳の答

2025年02月07日 | レモン色の町

辻さんのが残した写真 昭和30年5月 もちろん新しい近鉄駅ができる以前の中央通り 西方向

昭和32年 駅舎の二階である近鉄ストアから東 市役所方面を撮った写真 昭和32年

昭和33年3月 雨の中を 駅前バス停から駅へ向かう人々

そして辻さんは この写真を撮った日を 記録されていました

昭和33年7月


長吉が 閑話休題

2025年02月05日 | レモン色の町

ありがとうございました たいじゅさんからコメントが届きました。八王子線と湯の山線が並ぶ写真の入手先は、ブログ『地方私鉄1960年代の回想』からでした。謹んでお詫び申し上げます。こちらのブログも是非ご覧ください。

昭和40年とすると・・(右に建つ労働基準監督所?)

地方私鉄 1960年代の回想: 三重電気鉄道 内部・八王子線

写真を撮られた日は、昭和40年8月5日となっています。では、昭和43年発行の住宅マップには労働基準監督所が建ってないのはなぜでしょう。この3年間のブランクはどうしたものでしょう?

昭和43年の住宅地図のハズ

まあ、ええか。オラが人生に何の影響もないわい。わい わい


一枚の写真シーズン2 ⑪ 神戸の長吉が問

2025年02月04日 | レモン色の町

頭を悩ませていただき 家庭内に不穏な空気の流れるを防ぐため 今回は安易な問題に 致しそろう

道路に直線が走ります この頃の舗装は 地面に区切りを入れて セメントを流し込んでいたようです

さて、いつごろの どこごろか? どこごろの いつごろか?