いつもココロに太陽を!

~ Me Hana O Ka La I Ka Pu'uwai ~

私と乳がんの2週間

2019-01-23 | 健康づくり
去年の11月に、市のがん検診を3つ、立て続けに受診しました。
胃がん・子宮頸がん・乳がん。

診断結果として『異常なし』の通知が来るのを、いつも当たり前に思っていたのですが・・・





去年の暮れ、もうあと数日で新年の声を聞く頃に、いつもより大きな封筒が届きました。
朝食を終えて開封してみたそこには、私のマンモグラフィーの画像(両乳)と『要精検』の文字。

これって、精密検査を受けなさいってことだよね?

通知には「あなたには乳がんの可能性があります」とは書かれておらず、
精密検査を受けてください。がんと決まったわけではないので、怖がらずに早目に受診してください
と書かれていたと記憶しています。

わかる、わかるよ。
乳がんと決まったわけじゃなく、もっと詳しい画像を見たいから病院に行ってね。ってだけのことだって。

でも、十分に怖い。
怖がるなと言われても、その瞬間からもう怖くてたまりませんでした。

その日は平日。
私はこれから仕事で、モアイ君は休日でした。

ここからの彼が早かった。
私が仕事に行っている間に、市内の病院(資料に推されているところ)に片っ端から電話をかけ、今日受診できるところを探しました。
もし、通院なんてことになるなら、なるべく私が自転車でも通えるところの方が望ましく、市の向こう側、あっちの遠くではバス通いになってしまう・・・
等々。

結果、駅前に、乳腺科を抱える大きな病院があり、その日の午後だけ週1回の先生が滞在していることをつきとめ、私は仕事の終わったその足でモアイ君の運転する車で再検査に臨んだのです。


あ、結果を先に書きます。
精密検査の結果は『異常なし』とのことでした。





暮れが押し迫り、銀行には長い行列ができるような頃、乳腺科を受診しました。
受付で送られてきた画像と紹介状のような封筒を出し
「あ、再検査に引っかかっちゃったんですね」と受付のお兄さんに言われました。

そう、これまでよく聞いていた言葉です。
「私、健康診断でサイケンって言われちゃってさぁ」
「引っかかっちゃったんだよねぇ」
誰ともなくそんな風に話すのを、自分には関係ないと何度も耳にしていた気がします。

私がいつも3つの検診を受診し、異常なしの小さな封筒を受け取るのはもはや当たり前だと思っていたから。





私の横には小さな子供を連れた30代のお母さん。
私と同じ色の大きな封筒を出すのを見たとき、「かわいそうに」と自分のことを置いて思ったのを覚えています。

怖がるなと言われても、
私と彼女に今、乳がんがすぐそこまで近づいてきている感覚・・・可能性。

がんになったらお姉ちゃん(私には2人の姉がいます)が悲しむだろうなぁ、とか
なんでがん保険に入っておかなかったんだろう、といった後悔がどんどん浮かびました。





そう、がん保険。

『要精検』の封を開けた時、最初に考えたのは「どうしよう!がん保険に入ってない!」ということでした。

真っ先に考えたのが治療費のこと・・・

ここ数年、がん保険の必要性をずっと感じ、資料を取り寄せ、担当さんに相談までしていたのに、
いざその時まで結果として契約をしていなかった自分のルーズさ。
TVでアヒルちゃんがガン保険の大事さをあれだけ説明してくれていても
「入らなきゃ~」と言って入っていなかった自分。

治療費の心配をしたというより、備えておけば安心だという簡単なことを備えておかなかったことへの後悔がとても大きくのしかかりました。
ほら!言われた通り、女性3大疾病が来ちゃったじゃないの!という怒りにも似た気持ち。

私が仕事に行っている間に、モアイ君は担当の方とも話しをしてくれて、仮に乳がんと診断されてしまったら、以降がん保険に入ることはできない(当たり前ですが)ことを確認してくれました。

正直に言うと、急いでがん保険に入り、精密検査を3か月先まで延ばそうか・・・と考えなかったわけではありません。
でも、それはきっと正しくないこと。
命にかかわることなら目先の利益で動いては危険だし、病気になったなら何を差し置いてもその病気と闘うことを最優先にするのが最善であること。
そう思い、保険会社さんにも正直に話して、今後の方針なりを確認しました。
(今入っている保険でもカバーできる部分はあるわけですし)





診察室で先生(女医さんでした)と画像を見ながらお話をし、
「ん~、こことここが怪しいって市の方は言ってきているのね」と2~3ヵ所のポイントを指し示してもらいましたが、私にはそこが怪しいのかどうかなんて全く分かりません。



乳腺はマンモでは白く写り、がんも白く写るそうです。

乳腺がすべて脂肪に置き換わっていれば脂肪は黒く写るのですが、乳房内に乳腺として残っていると白い画像に写る。
私には乳腺が(そのまま)多く散在しているそうです。

「先生、こんなに太っていて、それでも乳腺が脂肪に代わっていないんですか?」
そりゃ尋ねたくもなりますよ。
太ったことで確実に昔より大きくなったおっぱい。
時々邪魔だなぁと思うこともあるのに、それでも脂肪だけで形成されているわけじゃないのね・・・

先生による触診と、マンモグラフィーを上と横の2方向から撮影してその日は終わりました。
(市の検診では1方向だけです)

次の検査は年が明けてすぐに超音波(エコー)とのこと。
これを予約して帰りました。


もうね。
おせちを用意しようが、家族で集まろうが、心の中は乳がんのことで頭がいっぱい。
悩みを抱えるとは本当にこのことです。

日々は誰にも同じように毎日流れ、仕事もあり、家事もあり、悩みながらもお腹は空くし、お笑いを見れば笑っている自分がいる。
けれど心の隅にはずっと『要精検』・・・

久しぶりにキツイ年末を過ごした気がします。
でも、それを耐えられるだけの強さも、やはりこれまでの経験の蓄積から持っているんですよね。

あの時はもっと苦しかったよ。
あんなこともあったじゃないか。
やはり生きてきたことは無駄にはなりません。

何よりオットの「大丈夫、大丈夫」が気休めにもなりました。





年が明けてすぐ。
病院が混みだした頃です。
オットが仕事でいなかったので、私は自転車で病院に向かい、超音波の検査に臨みました。

ほら、私、妊娠もしていないからね、「超音波」って言われても最初何のことかわからなかったんですよ。
「エコ―のことですか?」って聞いちゃったくらい(笑)
あ~あれね、ジェルみたいの塗ってスリスリするやつだ。

両胸をはだけ、温かいジェルを塗って、放射線科の先生が胸を見ていきます。
ずいぶん長いこと同じ個所を何度も何度も見るんだなぁ。
(もちろんありがたいことですが)

外から乳首まで行って止まり、また外から乳首まで行って止まり・・・
寝るだけの太い神経があれば寝ちゃえるくらい長い間、そのパッドのようなものは私の胸の上や外周を行ったり来たりしました。

やがてピッという撮影音。
その都度レシートのようなものが機械から出ているようです。

「あー、やっぱり写っているんだ・・・」
この撮影音は本当に怖かった。

願わくは一枚も撮影がなかったらいいなーという私のアホな考え。
実際は「ない」ことも画像で証明しなければならないための撮影なのに、ピッと撮影のボタンが押され、それが「右胸の方が回数が多かったな」とか、もう色々考えてどっぷり落ち込みました。





3日後。
モアイ君も一緒に結果を聞きに行きました。
暮れの診察と同じ、私は仕事を終えてからの午後の問診です。

お昼を食べてからにしようとレストランに行っても、出るのは深いため息ばかりで、やはりいつもの食欲がありませんでした。

●異常ありませんでした。
●ここにがんがみつかりました。

どちらも同じ先生の口から発せられる結果になるわけです。

「あった」と言われればもうそこから治療が始まり、3年もダラダラ保留にしていた保険にももう入ることができない。
貯金を崩そうがお金を借りようが、痛かろうが痒かろうが治療に向かうしかなくなります。

「なかった」と言ってもらえれば、私は一から襟を正す。自分の人生をもっと大切に生きようと心を改めます。

この差は本当に天と地なんだなぁと、深いため息と共に何度吐き出したことでしょう。



そして結果として今回は『異常なし』となりました。

マンモの画像も、市検診の画像と並べて比較し、あの時白くぼやけてよく見えなかった部分(がんが潜んでいるかも知れない部分)が今回は黒くはっきりと、がんがいたら白くわかりやすい状態に写っていたこと。
怪しい個所を何ヵ所も撮影してくれたエコ―の画像にもがんらしきものが写っていなかったこと。

先生とは引き続き、自分でできる触診をまじめにすることと、市の定期検診(もしくは病院のドッグ)を受診し続けることを約束しました。





帰りの車内、オットが保険の担当さんに電話して、さっそくがん保険に入る算段を取り付けてくれました。
「無事である」ことを証明する診断書も病院からもらいました。

私は「やったー!」という気分には程遠く、数日間「疲れた・・・」と脱力状態のようでした。
私の性格は浮かれるよりも放心状態になるんだなぁと改めて知りました。


今回、生まれて初めて、がんが私の至近距離まで近づきました。
「再検査ぐらいで大げさな」と思われるかもしれませんが、これまで無事を証明するための検診でしかなかったものが、異常を見つけるための検診であったことを初めて深く知ったのです。

背中にポンと「ここにいるよ」とがんにタッチされたような気がしました。
そしてそのがんは「異常なし」で遠くへ行ったのではなく、私の肩に手を置いて「ここにいつもいるからね」という存在になりました。

ラジオのCMで
『万が一ではありません。2人に1人ががんの時代』
というのをいつも耳にしていたのに、それでもバカな私は万が一の病気だと思っていました。





封を開封した日から結果を聞くまでのちょうど2週間。
体感的には長い2週間でしたが、オットがどんどん話を進めてくれたおかげで最短で済んだことにもなります。
私ひとりでは暮れ~年始をまたいでもっとモタモタしたことでしょう。

とても貴重な体験でした。
もちろん、しなくていい体験でもありますが、保険に対して不真面目だった私のお尻に火をつけてくれる出来事になりました

がん自体は予防できなくても、備えがあれば立ち向かう気力が違います。
後悔から闘病に入るのと、保険会社を従えて闘病に入るのとでは、雲泥の差がありますよね。

そして、がんがとても身近に感じられたことも大きな成長でした。
乳がんは自分でも見つけられる唯一のがん。
その他のがんも、自覚症状を感じた時に、躊躇せずに病院へ行こうと思えるようなりました。

もしあの時「みつかりました」と言われていたとしたら・・・
世の中にそんな方がたくさんいらっしゃることもわかっています。
私のブログを不快に思われるかもしれません。
あの時、私と一緒に受付をしたあのお母さんはどうなっただろう?
私は今もそんなことにも思いを巡らしています。

私は助かったんだ!
そんな風に思えない自分(の性格)。
深く脱力し、後悔し、そしてこのように書きました。
できることは備えることだけ。
でもそれは誰もができることなのです。
今すぐなら。

人間って、自分が体験したこと以外、どうにも理解できないものです。
想像はできても、やはり体験に勝る理解が得られないことを、私は知っています。
何歳になっても私自身がそうだからです。
だからこそ、少しでも想像してほしくて書きました。

がんは身近にあるんだってこと。
それを私も心に刻んで、暮らしていこうと思います。