一番の目的だった《白山陶器》さんを後にして、波佐見の中尾山を上方へ上ります
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川沿いの欄干ですらこんな風情。
藍色の焼き物を施した手すり。
そして、古伊万里の壺が圧巻だわ。
思わず観音様にお参りするみたく、手を合わせちゃいそう(笑)
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坂道の左右に広がるのはたくさんの窯元。
煙突のある景色が素敵です。
この山合いに煙がたなびいたら、たまらないだろうなぁ
さて、次に行ったのは『中尾山交流館』というところ。
ここは、時間がなくていくつもの窯元を巡れない人でも、一度にたくさんの作家さんの波佐見焼が見られるところです。(もちろん販売もしています)
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こちらでお店のお姉さまにお話を伺いました。
ワタシ、正直『波佐見焼』って2年前まで知らなかったんですね。
有田焼だ、伊万里焼だってのはあまりに有名で知っていたけれど、波佐見焼は知らなかった。
波佐見焼ってなんなんですか?
こんな失礼な質問にも笑顔でその歴史を話してくれるお姉さま。
波佐見焼は江戸時代からここ波佐見町で作られていました。
でも波佐見町には駅がなくてね。(注:現在もない)
陶器を出荷する際には最寄りの「有田駅」からの鉄道を使うしかなく、
そこで対外的には『有田焼』とひとくくり(有田からの陶器ということで)にされちゃってたの。
同様に、海外(オランダとか)に出す際には「伊万里港」を使っていたでしょ。
だから世界的に有名なのは『IMARI』になっちゃうわけ。
細かく見ればその中には波佐見焼もあったのだけど、
世間的に名がとどろいたのは『有田』であり『伊万里』だったのね。
ここ数年、ネットなどの情報網の発達で、波佐見焼の認知が広がり、
また町おこしもあったりで、波佐見焼を外に周知していこうということになった。
だからあなたが波佐見焼を数年前まで知らなくってもそれは自然なこと。
地元の人じゃないんですものね。
これまで波佐見焼も有田焼の一部であり、有田焼と呼ばれてきたのよ。
同様に、海の外に出たら有田焼も伊万里焼と呼ばれてきたのよね。
ふんふん。
波佐見焼=有田焼であり、でも厳密には波佐見焼≠有田焼なんだね。
なるほど~
よく、ネットで「波佐見焼はカジュアル」みたいな文字を見ていたんですけど、
それはどういうことですか?
それはね。
佐賀の有田は「鍋島藩」というところに属していて、
長崎の波佐見は「大村藩」なの。
大村藩は鍋島藩に比べて石高(こくだか)が少なくてね、庶民的だった。
鍋島藩はお金持ちの藩だったから、そこで焼かれた陶器はブランドになり、
お隣りの波佐見焼は生活に密着した日用品の窯元が多かったのね。
どうりで、波佐見焼の器は少し単価がお安いの。
(今後はそうではないかもだけど)
庶民から生まれ、庶民の生活に密着していた波佐見焼。
なんだかそんな奥ゆかしき背景も好きだなぁ~
ワタシがこんなお話を伺っている間、オットは壁に書かれた歴史文を読み、彼は彼で登り窯についての質問をしていました。
実はモアイ君、何気に「陶芸好き」なんだよね
波佐見に限らず日本には、萩だ、備前だ、九谷だ、益子だと、土ごとの焼き物があるね。
萩焼のように特徴があればまだしも、
この先「これは有田でこれは波佐見
」と見分けられるわけじゃないけれど、
それでもこんな風に一つの産地(陶土)を知ることができたのは小さな学びであり喜びだなぁ
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川沿いの欄干ですらこんな風情。
藍色の焼き物を施した手すり。
そして、古伊万里の壺が圧巻だわ。
思わず観音様にお参りするみたく、手を合わせちゃいそう(笑)
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坂道の左右に広がるのはたくさんの窯元。
煙突のある景色が素敵です。
この山合いに煙がたなびいたら、たまらないだろうなぁ
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さて、次に行ったのは『中尾山交流館』というところ。
ここは、時間がなくていくつもの窯元を巡れない人でも、一度にたくさんの作家さんの波佐見焼が見られるところです。(もちろん販売もしています)
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こちらでお店のお姉さまにお話を伺いました。
ワタシ、正直『波佐見焼』って2年前まで知らなかったんですね。
有田焼だ、伊万里焼だってのはあまりに有名で知っていたけれど、波佐見焼は知らなかった。
波佐見焼ってなんなんですか?
こんな失礼な質問にも笑顔でその歴史を話してくれるお姉さま。
波佐見焼は江戸時代からここ波佐見町で作られていました。
でも波佐見町には駅がなくてね。(注:現在もない)
陶器を出荷する際には最寄りの「有田駅」からの鉄道を使うしかなく、
そこで対外的には『有田焼』とひとくくり(有田からの陶器ということで)にされちゃってたの。
同様に、海外(オランダとか)に出す際には「伊万里港」を使っていたでしょ。
だから世界的に有名なのは『IMARI』になっちゃうわけ。
細かく見ればその中には波佐見焼もあったのだけど、
世間的に名がとどろいたのは『有田』であり『伊万里』だったのね。
ここ数年、ネットなどの情報網の発達で、波佐見焼の認知が広がり、
また町おこしもあったりで、波佐見焼を外に周知していこうということになった。
だからあなたが波佐見焼を数年前まで知らなくってもそれは自然なこと。
地元の人じゃないんですものね。
これまで波佐見焼も有田焼の一部であり、有田焼と呼ばれてきたのよ。
同様に、海の外に出たら有田焼も伊万里焼と呼ばれてきたのよね。
ふんふん。
波佐見焼=有田焼であり、でも厳密には波佐見焼≠有田焼なんだね。
なるほど~
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よく、ネットで「波佐見焼はカジュアル」みたいな文字を見ていたんですけど、
それはどういうことですか?
それはね。
佐賀の有田は「鍋島藩」というところに属していて、
長崎の波佐見は「大村藩」なの。
大村藩は鍋島藩に比べて石高(こくだか)が少なくてね、庶民的だった。
鍋島藩はお金持ちの藩だったから、そこで焼かれた陶器はブランドになり、
お隣りの波佐見焼は生活に密着した日用品の窯元が多かったのね。
どうりで、波佐見焼の器は少し単価がお安いの。
(今後はそうではないかもだけど)
庶民から生まれ、庶民の生活に密着していた波佐見焼。
なんだかそんな奥ゆかしき背景も好きだなぁ~
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ワタシがこんなお話を伺っている間、オットは壁に書かれた歴史文を読み、彼は彼で登り窯についての質問をしていました。
実はモアイ君、何気に「陶芸好き」なんだよね
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波佐見に限らず日本には、萩だ、備前だ、九谷だ、益子だと、土ごとの焼き物があるね。
萩焼のように特徴があればまだしも、
この先「これは有田でこれは波佐見
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それでもこんな風に一つの産地(陶土)を知ることができたのは小さな学びであり喜びだなぁ
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