オギュスタン・ベルクの著作を読み直している。
本にはその人にとっての旬のようなものがあると思うが、ベルクの日本の風景についての著作は、僕にとっての旬だったようだ。
海外の人が書いた日本についての優れた著作を読むと、日本の美しさやすばらしさを少し違った視点で再認識することができる。
風景に関わるフランスの職能「Paysagiste」は、ランドスケープアーキテクトのことだが、日本ではほとんど知られていない。
日本におけるそれとは少し違って、ペイサジストは植物だけでなく、都市景観や都市計画、アーバンデザインにも建築家と同じように主体的に関わる職業のようだ。
日本語にすると「植物を中心とする空間設計家」とも呼ばれているようだが、少し冗長なので、「造景家」と訳してみる。
ペイサジスト(造景家)とは、建築だけでなく、ランドスケープもわかる設計者のこと。
この職能は、自己主張よりも、調整役としての設計の能力が問われる。つまり、突飛なものをつくるのではなく、都市や社会を構成する「風景」に対する責任を負う設計者。
建築も外構も「風景」に関わるという意味では、本来は同じもの。職種で分けるのではなく、両者を連続したものとして一体的に取組むことが自然なのではないだろうか。
これからの環境の時代に、こうしたペイサジスト的役割を担う建築家が増えれば、建築の質が向上するだけでなく、都市や建築はもっとよくできると僕は思うし、そうありたい。
本にはその人にとっての旬のようなものがあると思うが、ベルクの日本の風景についての著作は、僕にとっての旬だったようだ。
海外の人が書いた日本についての優れた著作を読むと、日本の美しさやすばらしさを少し違った視点で再認識することができる。
風景に関わるフランスの職能「Paysagiste」は、ランドスケープアーキテクトのことだが、日本ではほとんど知られていない。
日本におけるそれとは少し違って、ペイサジストは植物だけでなく、都市景観や都市計画、アーバンデザインにも建築家と同じように主体的に関わる職業のようだ。
日本語にすると「植物を中心とする空間設計家」とも呼ばれているようだが、少し冗長なので、「造景家」と訳してみる。
ペイサジスト(造景家)とは、建築だけでなく、ランドスケープもわかる設計者のこと。
この職能は、自己主張よりも、調整役としての設計の能力が問われる。つまり、突飛なものをつくるのではなく、都市や社会を構成する「風景」に対する責任を負う設計者。
建築も外構も「風景」に関わるという意味では、本来は同じもの。職種で分けるのではなく、両者を連続したものとして一体的に取組むことが自然なのではないだろうか。
これからの環境の時代に、こうしたペイサジスト的役割を担う建築家が増えれば、建築の質が向上するだけでなく、都市や建築はもっとよくできると僕は思うし、そうありたい。