息子たちは教室のHPを見ており、 エドイチ のオックスタン・シチュー に憧れ続けている。そこで、いつかは…と、約束してあったのだが、正直、ぼく自身、あのトロトロのタン・シチューが夢に現れるほどだ。
30年前と少しも変わらぬ佇まい。高台だから見晴らしもいい。昔風の食堂といった店内の雰囲気は清潔で、居心地がよいのだ。わが子たちは、これだけで感動している。90才をずいぶん以前に越えられたおばあちゃんが手折られたのであろう枝つきの桜がガラスの器に生けられており、すかさず娘が感嘆する。
注文は、それぞれタン・シチュー、ポークステーキ、お好みランチ。
「あれーっ、タン・シチューじゃないのかい?」
「お父さんのを分けてもらうからいい」
いろいろ食べてみるのが我が家の流儀。お店の人を泣かすタイプだ。最初の一口で、歓声をあげる末っ子、
「うめーっ!」
ボキャブラリに乏しい。レポーターは無理なようだ。
「この玉葱のフライ、見て、見て…、おいしい!」
おとうさんもどうぞ、とは言わなかった。見るだけ、な。素材のおいしさはもちろんのこと、ソースがくどくなく、いくらでも食べれそうだ。それと、付け合せのサラダのドレッシングとの対比の妙、ハーモニーがみごとだ。官能的という表現を使ったら誤解を与えるだろうか。満腹が到達点なら、その満たされていくという段階にそれぞれの快感がある。
親子の会話といっても他愛のないものである。日だまりでの日向ぼっこをまったり楽しむ猫たちの姿に似てなくもない。心にあった傾きや尖がりが解けていくようだ。息子が庭の隅に大きな楠を見つけた。おばあちゃんのお話では30年前からあったらしい。当時の風景だったのどかな田んぼは埋め立てられ、商業団地に生まれ変わった。それでも視線には緑が多く入る。庭の芝生にも可愛い蒲公英と菫を見つけた。
「暖かくなってきたから、テラスでランチをいただくのも一興やね」
早くも次のお誘いか。
読みかけの ダブルプレー だが、本筋とは別に作者と思しきボブという少年の回想が随所に挿入されている。ぼくたちのこうした日常が子どもたちによい思い出となってくれるよう祈りたい。