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パソコン教室アイラブハイパークラブです。
教室に流れるBGMなどを紹介します。

Little Cabin Home On The Hill

2005-04-10 22:16:42 | 音楽
我が家でもいよいよ新学期が始まるらしい。お休みモードから、一転、学業モードだ。休み中、子どもたちにはずいぶん助けられた。遠距離の通学は大変だとは思う。みなし体育系だから大丈夫か。

年度末、年度当初、転職、就職、進学、春の商戦と、この時期、教室はにぎわった。

多忙だと余計なことを考えなくてよいな、と、ありがたがっていたら、大変だぁ、旧友K氏宅の無線LAN構築を後回しにしてしまっている。温厚なK氏の顔を思い浮かべる。それだけで心が休まる気がする。ホラクリにしたままでこんなこと言ったら申し訳ないとは思う。どんなときにも動じる気配を見せず、頭脳も、情緒も、クラウンか、シーマのエンジンのごとく余裕を湛え、悠揚迫らぬ風貌の得がたい人物である。二人で机に向かっていると、黙っていてもオーラが走る。ひと様がみれば、いささかホモ的雰囲気が醸成されつつあるやに思えるそうなのだが、なに、二人ともいたってノーマルだ。しかも「ど」がつくほど…。

子どもたちが成長するにつれ、家庭のパソコンも複数台になり、プリンタの共有が迫られる。お互いのプライバシーを尊重するためにも、家庭内LANは有効だ。

ルータなどの機種選択にあたって苦慮したのは、通信速度と邸宅内の遮蔽物の存在。教室が有線だから何も問題がなく済んでいるが、無線環境にとって文字どおり壁がある。

そこで、研究の結果、新規格・MIMO(マイモ)の導入が望ましいと決断した。最大108Mbpsという高速性、遮蔽物があっても速度減速がきわめて少ない安定性を買った。

問題は予算だ。途方もなく莫大なものではないが、取り急ぎ見積を伝えよう。不動のK氏が眼をむくか、うなるか、見ものだ。

曇天の日曜日、無性にビル・モンローさんが聴きたくて、True Life Blues: The Songs of Bill MonroeをBGMにした。とりわけ、ジョン・ハートフォードさんの「Little Cabin Home On The Hill」がよい。休憩時間に、マンドリンのコードを合わせてみた。コードDで、バックビート、ミュートも申し分なくできた気がする。初めてだ。ひとりしみじみ感動にひたった。



8.8%…巨人恐怖の“死”聴率

2005-04-09 23:18:28 | 本と雑誌
たぶんあなたの不機嫌な訳は、鼻炎のせいばかりではないだろう。移ろいやすい気候のせいでもあるまい。

ジャイアンツの体たらく、それにつきるのでは…。

開幕6試合目で、早くも視聴率8.8%<ZAKZAK>もうなづける。あの豪華な投手陣、そうそうたる打撃陣の顔ぶれを見て、誰もあんな無様な試合を見せつけられるとは思わなかっただろう、ファンにとっては。まして、たった一点リードされただけで、
「あっ、いかん、今日は負けや」
と、即断しテレビを切ってしまう気質のひとたちが、初戦からの低迷に堪えられるはずがなかろう。

野球の見方を教えてあげたい。たとえリードされようが、ピンチのときこそ、テレビの前にかじりつき、気合で応援するものなのだよ。
「心臓に悪い?」
とんでもない、われわれ阪神のファンからしたら、今まで心臓が動いてくれているのが奇跡と思えるほど、屈辱や侮辱に耐えてきた。
「ぼくがいなければコイツラ頑張れんのやから…」
この執念が負け組みを支え続けているのだ。

それをなんだ、弱いからといって、見放すとは…。野球ファンの風上にもおけない。もっとテレビ見て、応援すべし。さもないと
タイガースの中継が打ち切られてしまうではないか。今季の今岡はいい。今岡が活躍すると、巨人が低迷する相関関係。球史が証明している(のではないだろうか、と小一時間)。

家族の中でたった一人のタイガースファンは、今、張り合いがなくて、ダレテいるぞ。まあ、今日は勝ったみたいだが、終盤ヒヤヒヤさせられるあたり、道は遠い。


海女によろしく

2005-04-08 23:52:57 | 本と雑誌
百聞は一見にしかず。実際、その現場に立ち会わないと、分からないものだ。

昨日のヘビーなY氏宅のトラブルは、「モジュール ATOK13W.IME」の不具合によるものと判明した。正しくいうと相性の問題だ。一太郎とエクセルが共存する環境は意外と多い。一太郎派の日本語入力、当然のようにATOKが既定の言語に設定してある。今まで何ともなかったのに、ある日、突然おかしくなるというのは、不思議だ。環境の変化といえば、Windowsのアップデートをこまめに励行していること。となると、M社の陰謀かと疑いたくもなるだが…。

とりあえず、既定の言語をMS-IMEにし、様子を見る。どうやら、行けそうだ。メールの返事も書けそうだ、と喜んでもらえた。氏のサイト、海女文化村へようこそ!は人気サイトで、内外問わず、学術関係者やマスコミからの問い合わせも多い。メールの返事が書けなくて憂えていたのだ。

そのY氏のご母堂が亡くなられてもう二月になる。ブログの話から、母上が書いておられた日記が14冊も見つかった、という話を聞き、見せてもらった。一年、一冊。14年間。毎日の暮らしが鉛筆で書かれた文字で埋めつくされている。
種を蒔いた日、お孫さんたちから贈り物をもらった日、誰それから何かをしてもらった日…。律儀で、義理堅い大正の母の足跡だ。日記は記憶の小径をたどるばかりか、そのひとの行動の規範のようなものを透けさせる。背筋がピンと張った生き方だ。筆圧の軽い滑るような文字が入院する前日まで続いていた。温かい字だ。初めて目にするのに、懐かしさを覚える書体だった。
ぼくの親と同い年、妹同士も同い年、お孫さんとぼくの娘までが同じくという縁、ことのほか優しく、温かく遇してもらえたと、感謝するばかりだ。

大正生まれの父が生きていれば八十歳か。ぼくのブログはまだ30日、走り書きでも自分と向き合う時間になっていることは確かだ。


I know who holds tomorrow

2005-04-07 23:17:14 | 音楽
まるごと一日、エアコンを使わず、それどころか日中窓をオープンにしたまま過ごした。いよいよ春だ。そんな気がする。初めてデート・デビューする少女のように、ずいぶんとじらせてくれたものだ。桜も慎みをなくしたように咲き誇り出した。

が、浮いた気分に水をさすかのように、教室には難問・奇問の質問メールが飛び込んで来ている。なあ、誰か、蜂の巣を蹴っ飛ばさなかったかい?

深刻なところでは、旧友Y氏だ。ワードであれ、メーラーであれ、開くには開くのだが、文字を入力しようとすると、即、「不正な処理をしたため…」のメッセージが出てクローズしてしまうというもの。お手上げらしい。
次に、S子さん。フロッピーの文書を開くと、「書き込みができません」のメッセージが出て、次に進めないのだそうだ。挙句、「認証ウィザード」が出てくるとのこと。OSのアップグレードを正月にしたと聞いているので、その影響か。それにしても、何で今頃? さては、それからパソコンを使ってなかったのか。
Y加さんからは、ノートPCを会社用で使うので、ワードとエクセルのユーザ情報を女性名から会社名に変えられないか…、というもの。これは、「ツール」メニューの「オプション」と行って、「ユーザ情報」タブ(見出し)で解決できないだろうか。
T氏から、エクセルの範囲は異なるが、同じ数字が並ぶ合計のオートサムで値が違って来るとの問い。数値のつもりでも、数字のなかに文字列として入力してしまったのはないだろうか? フロッピーを届けてくれるらしい。
大ちゃんからは同じメールが何通も送られてくるとのこと。これはお得…ではないわな。ツールメニューの「アカウント」と「オプション」の確認しても変な設定にはしていない。つまり、サーバーにメッセージのコピーは置いていない、ってこと。あれっ、メーラーの不具合か。

パソコン教室である以上、ぼくが絶対に吐いてはならない言葉がある。それが、"I don't know”

でも、でも、「う~ん…、それ、宿題ね」
は許されていいような。
「ウオー、なんてこったい、オリーブ。待ってろ、今行っからな」
胴回りだけはタクマシイオジサンは、今、ホウレンソウを探してるところだ。

こんなとき聴きたい曲がある。リアン・ライムスのユー・ライト・アップ・マイ・ライフだ。とりわけ、「I know who holds tomorrow」には心が癒される。チャペルで聞くのがふさわしい歌なのだが。


電源ボタンを押してパソコンを終了?

2005-04-06 23:11:28 | 音楽
今さらではあるが、
パソコンを終了するのに電源ボタンを押す人はいない
とは思う。しかし、家族や職場に、幼子がいたり、例え大の大人であってもパソコンおんちの人がいたら、ひょっとして起こりうる。
また、ご親切にもキーボードに電源ボタンがついているのがあって、これが何かの弾みで誤って押してしまうことがあるのだ。
ことに決算期や年度当初というのはあわただしく、パソコンの席にかじりついてばかりではいられない。そんな時、親切なひとがいて、
「あら、電気代がもったいないわ」
と電源ボタンを押すなんてことがあったら。まして、データの保存をしていなかったら。たとえ話ではなく実際にある話だ。

そんなこともあろうかと教室のPCにはちょっとした設定を施してある。ただし、XPでないとこの手は使えない。

コントロール・パネルから「電源オプション」をダブルクリック。
プロパティダイアログボックスの「詳細設定」タブを選択。
「コンピュータの電源ボタンを押したとき」の下のボックスに注目。
「入力を求める」を選択。

これで、電源ボタンを押されたとしても、
「スタート」メニューから「終了オプション」を選んだときのダイアログが表示されるようになる。
いきなり電源が切れる危険性は回避され、少し猶予が生まれるはずだ。慣れない人はきっと言うはず、
「変な画面が出てきた!」
そして、引くことになる(なってほしいのだが…(^^ゞ)。
ぜひともお奨めしたい手ではある。

今日、初めて桜が咲いているのを見た。でも、まだ一箇所でだけだ。これからが楽しみだ。さっとんところ、これから忙しくなるだろうから、早めにコートをクリーニングに出そうと決めた。


デスクトップのアイコンが消えた

2005-04-05 23:56:51 | 音楽
「デスクトップのアイコンが突然消えてしもたんや!! ぜ~んぶ。なんもアラヘン」

突然の電話がそう告げる。お相手は、ぼくが昔から<社長>と呼んで敬愛するT氏。その呼び名にぴったりの、ナイスなジェントルマンだ。
「新しく買ったパソコンをいじり倒していて…、なってしまったんです」
さあ、大変。
「アイコンの整列をかまっておったんですよ」
年下のぼくにまで丁寧な口調だ。

何が起こったのか? 皆さんはおわかりだろうか?

Windows XP には、コンテキストメニュー(右クリックすると現れるメニューのこと)に、「デスクトップ アイコンの表示」というのがある。正しく言うと、「アイコンの整列」のサブメニューとしてあるのだ。これは98にもMEにもなかったと思う。うっかりこれをクリックした社長、平素の冷静さからは考えられない動転があった模様だ。そりゃそうだろう。デスクトップのあまりな殺伐さ。何もないのだ。初めて体験すれば、許容範囲を超える動揺も当然だ。

もう一度右クリックすると、「アイコンの整列」のサブメニューに、「デスクトップ アイコンの表示」のチェックが外れているから、クリックすれば解決するのだが、しばし間があり、案の定、
「うぉー、出て来た、出て来た」
で、無事復帰だ。

パソコンを操作していると、よくこうした事態が起こりうる。迷子の子どものようにさ迷うようなことは再三だ。そこで、グリム童話ではないが、自分のたどった道に目印をつけよう。なに、ひとつ前の操作を記憶するように努めるのだ。つまりクリックのテンポを少し緩めよう。これだけで迷子率は激減する。

さて、今回のアイコンが消える現象を有効に活用する手もあるかと思う。デスクトップにお気に入りの壁紙を貼れば、立派な絵画だ。日頃、よく使うアイコンは「クイック起動ツールバー」に収めてしまえばよい。なにアイコンをドラッグするだけだ
フランスの有名な下着メーカー オーバドゥ (フランス語で「朝の詩」の意)のページに、Downloadsがある。これをクリックすればみごとな芸術作品にお目にかかれる。日本人には真似のできないセンスだ。残念ながら圧縮ファイルになっているので解凍しなければならないが、パソコンのイロハとしてぜひゲットされてはいかがだろう。ただし、オフィスで使えば評価が下がることは確実だ。

今夜のBGMは、「 ロンダ・ヴィンセントのRagin Live 」から、Kentucky Borderline。最高だ。


デュアル・ブート

2005-04-04 23:00:18 | 本と雑誌
昨夜は春の嵐だった。雨こそ大したことはなかったが、雷には悩まされた。稲光というのは気味が悪いものだ。遠方に思える落雷でもスーパーウーハを大音量で鳴らしたような地響きがある。窓ガラスが揺れるのだ。もちろんパソコンの大敵は停電だけではない。電信柱のトランスが直撃されれば、コンセントはおろかモデムだってお釈迦になるという例をいくつも見てきた。夕方にはまだ間がある時間に、照明が不安定になる一瞬が幾度かあり、授業に関係のないパソコンの電源を落し、メール・サーバーも休ませることにした。メッセンジャーがオフラインになっていたのはそういう理由だ。

正直、ブログの更新もストップするやに思えた。MOGEさんからは無理しないようメールをもらっていささか気分は楽にはなったのだが、ショウもないものでもネタに恵まれているうちは惜しく思えてならない。ずいぶんヤル気だ。書かねばと思うと、ふだん見過ごしてしまうことでも、注意深く観察するようになる。
「聞いてるの?」
「えっ? ウン…」
こんな生返事する機会も減る。いつもそうだったのか、と疑問を抱いていただく必要はない。あなたのお話だけはしっかり聴いているのだから。

で、早仕舞い。娘がとぐろを巻いているコタツにもぐりこんだのだが、おそらくこの冬初めての「炬燵」体験だ。すっかり忘れていた、コタツとなると、決まってうたた寝をしてしまうことを。1時間も眠ったろうか、娘の領域をひどく侵したのだろう、イエローカードをもらってしまい、目覚めてしまった。
「もうチット!」
「ダメ!」
が、リフレーンされて、まあいつものじゃれ合いだ。

で、教室に戻ってブログの方は何とか昨日中にアップできた訳だが、この雷の中断により、今日はとんでもない破目になってしまったのだ。

ノートン氏の更新サービス期限が昨日までだった。2ユーザー用だったので、Windows 98 SEとXPの2台のPCで更新手続きをしなければならない。これを始業前に、急ぎで。さらには、XPのマシンはデュアル・ブート(一台のPCにOSがXPとME、2つのOSがインストールしてあり、起動時いずれかを選択してたちあげることができる)なので、ME側にも更新作業。

実は、シマンテックのサポートに聞いて確かめたのだが、1本のノートンさんは1台のパソコンで利用できる。つまり、ぼくはOSごとに1本必要と解釈して、MEの分も購入していた。
「デュアル・ブートなんですが…?」
「一台のPCに1本という風に解釈しています」
じゃあ、よいのだ。実のところ、MEの方は期限切れを迎えた段階でそのまま放置し、なるべく使用しないようにしていたのだ。で、今回、無事、XPと同じ更新サービス延長キーを入力し、復活させた訳だ。その後、何せ半年ぶりだから、Winsowsの更新がたくさんあり、なお、再起動中にフリーズを起こすこと再三で、大いに悩まされることになった。アップデートのたびに固まるというのは欠陥(もちろんOSの)ではなかろうか。今日はノートPC持参の生徒さんばかりだから、スキャンディスクをかけることができた。が、延々4時間というのはあんまりだ。その他メンテナンスを試みた。これで、完璧! しかし、これだけの労力と時間を費やしても、パソコンが増えたわけではないのが切ない。

じゃあ、何故OSが二本か? 
 多くの事業所でMEのマシンが今なお現役
 教室にはゲームソフトが豊富
これが理由だ。

トゥームレイダー 」で再び遊べるようになったことをここに宣告する。放課後のクラブ活動も充実したぞ。

教訓…たとえ「更新サービス期限」が過ぎてしまっていても、更新手続きは可能だ。


大きな樹の下

2005-04-03 23:59:34 | 本と雑誌
日曜の朝だから、長女と次男は朝寝を楽しんでいた。昼過ぎにメールを送ると、空腹で死にそうという。惰眠をむさぼってばかりでも腹は減るのか。前から約束してあったブランチをとろうとリクエストがあった。これも孝之の「私事」のおかげだ。な、孝之く~ん。

息子たちは教室のHPを見ており、 エドイチ のオックスタン・シチュー に憧れ続けている。そこで、いつかは…と、約束してあったのだが、正直、ぼく自身、あのトロトロのタン・シチューが夢に現れるほどだ。

30年前と少しも変わらぬ佇まい。高台だから見晴らしもいい。昔風の食堂といった店内の雰囲気は清潔で、居心地がよいのだ。わが子たちは、これだけで感動している。90才をずいぶん以前に越えられたおばあちゃんが手折られたのであろう枝つきの桜がガラスの器に生けられており、すかさず娘が感嘆する。

注文は、それぞれタン・シチュー、ポークステーキ、お好みランチ。
「あれーっ、タン・シチューじゃないのかい?」
「お父さんのを分けてもらうからいい」
いろいろ食べてみるのが我が家の流儀。お店の人を泣かすタイプだ。最初の一口で、歓声をあげる末っ子、
「うめーっ!」
ボキャブラリに乏しい。レポーターは無理なようだ。
「この玉葱のフライ、見て、見て…、おいしい!」
おとうさんもどうぞ、とは言わなかった。見るだけ、な。素材のおいしさはもちろんのこと、ソースがくどくなく、いくらでも食べれそうだ。それと、付け合せのサラダのドレッシングとの対比の妙、ハーモニーがみごとだ。官能的という表現を使ったら誤解を与えるだろうか。満腹が到達点なら、その満たされていくという段階にそれぞれの快感がある。

親子の会話といっても他愛のないものである。日だまりでの日向ぼっこをまったり楽しむ猫たちの姿に似てなくもない。心にあった傾きや尖がりが解けていくようだ。息子が庭の隅に大きな楠を見つけた。おばあちゃんのお話では30年前からあったらしい。当時の風景だったのどかな田んぼは埋め立てられ、商業団地に生まれ変わった。それでも視線には緑が多く入る。庭の芝生にも可愛い蒲公英と菫を見つけた。

「暖かくなってきたから、テラスでランチをいただくのも一興やね」
早くも次のお誘いか。

読みかけの ダブルプレー だが、本筋とは別に作者と思しきボブという少年の回想が随所に挿入されている。ぼくたちのこうした日常が子どもたちによい思い出となってくれるよう祈りたい。


Fever

2005-04-02 23:46:59 | 音楽
久しぶりに大佑、駿のジャニーズ系コンビが揃って教室に顔を出した。本人たちには、最近、この枕詞が気に入らないらしい。二人とも高校一年生の4月が始まっている。精悍で、頼もしく成長している。変なスレがなく、まっす伸びようとしているところが好ましい。

実は、駿は出品者(正しく言うと、お父上なのだが…)、ぼくが落札者。ヤフオクで200を超える評価をもらってはいるが、こんなことがあるのだ。だったら、直のお取引でも良かったのに…。
「いえ、正式なお取引で、いやらしさがありません」
そりゃそうだ。が、どこまでも堅い男である。口調もすっかり商売人の口調じゃあるまいか。立派な出品者様側の弁である。

大祐は、お祝いにもらったノートパソコンのセットアップだ。エンジニア、駿のサポートのもと、手順どおり作業を進めていく。駿の手堅さがありがたい。指示も適確だし、おさえるツボを外さない。この後、自宅でケーブルでのインターネット接続、メール設定、アンチウィルス・ソフトのアクティブ化まで、駿が面倒を見てくれるはず。地域にこんな男がいると重宝だ。

ワード、エクセルのMOUS検定一般を中学生のうちに合格している大祐は、学業でこれらを活かしていくはずだ。特にレポート作成など、アウトライン・プロセスに強みを発揮する。どのようにチューニングして行くのか、楽しみにしている。日々の学習とは、ある種、データベースの構築に他ならない。淡々と努力を怠らない大祐なりの創意工夫が随所に伺えるだろう。ぜひともご教授願いたいところだ。

若い個性から刺激を受けるのは快い。君らは弾んでいる。ぼくは足元を確かめる。今日のBGMは、アン・マレーの「 Croonin' 」だ。弾ける思いをリズムカルに歌い流す、「Fever」が楽しい。


プリンス・オブ・ペルシャ

2005-04-01 17:34:04 | 本と雑誌
すでにニュースでご覧になった方もおられるだろうが、今日、事件があった。

姪っ子が帰省するというので、駅まで迎えに行ったときのことだ。時間を聞き違え、ずいぶん早く出向いてしまったようだ。
愛・地球博の影響だろうか、観光地であるのどかな当地にも、外国人の姿が目立つ。

駐車場に車を止めようと苦労していると、時ならぬ悲鳴と怒号が上がった。ひときわ意味不明の怒声が響き、その後、ドタドタと駆け回る足音だろうか異様な物音がこちらに向かってくる。思わず降りて様子を伺おうと車のドアを開けた瞬間、強烈な衝撃音と同時に、ドアに何かが当たる強い衝撃があった。驚いたどころではない、反動で助手席まで飛ばされそうになったほどだ。

訳が分からぬまま、外に出てみると、ボンネットサイドに全身黒づくめのスーツ姿の男が腕にアタッシュケースを大事そうに抱えて昏倒している。
今の衝撃
突発的な事故
加害者はぼく…
思わず青ざめ、男に近寄ろうとした。

そのとき、迫り来る複数の足音が止まり、服装から判断して中近東の人らしき小集団が、駅員らとともに気絶した男の胸もとから鞄を奪い取った。唖然とするぼくに駅員が言った。
「ひ、ひったくりだったのです。こちらのお方の鞄を奪い、停めてある車まで逃げようとした矢先、あなたのドアにぶつかったのです。お怪我はありませんか? お手柄ですよ」

鞄の持ち主を見やると、喜色満面でぼくに微笑んでくれている。となりには全身のシルエットを隠したようないでたちの女性も何人かいて、頭部から顔にかけてもかぶり物をしている。へジャブだ。彼女たちはぼくに感謝を示すかのようなしぐさをしてくれている。

事情聴取の間、彼らがアラブの富豪の一団であることが分かった。被害者の男性はぼくに言葉と表情で精一杯の謝意を表してくれているのだろうが、なにせ意味が通じない。途方に暮れるぼくに、通訳だろう人が、
「お礼を受け取ってほしい、と望んでおられます」
「いえ、とんでもない。いいのですよ、そんなこと」
と、辞退した。ひとりの女性の手から分厚い封筒が男性に渡され、それをぼくに手渡そうとする。札束のようだ。立てて置けるほどの厚みがある。さらに、固辞した。

「わたしの国では受けた恩義はきちんとお返しするのが慣わしです、さもないとわたしの名誉が保てません」
「いえ、受け取れません、ただの偶然なんです」
ぼくは力を込めた。幸い車は傷んでいないし、大破したとしてもそう惜しまれないシロモノだ。

男性の顔は困惑しきっている。その彼に、傍らの若い女性が耳打ちしている。その言葉らしきものに愁眉を開いた男性がこう切り出した。
「隣にいるのはわたしの娘です。娘が申すには、あなたのような方は日本のに違いない。あなたのような方と添い遂げられるなら、自分の一生は幸せに違いない。今回の事件は、神様の思し召しのように思えてならない。ぜひあなたの妻にしてほしい、と望んでいます」
「わたしは妻帯していますので」
と、驚いたぼくが強く言い切ると、
「わたしの国では4人まで妻を持てますし、娘が一生困らない額の持参金もおつけします」
「ここは御国ではありません、日本です。それにわたしは妻を愛しています。4人分どころか、百人分も妻を愛しているのです」
と、きっぱり断った。

頭部をすっぽりへジャブで覆い、彫りの深い目元しか覗けないが、その黒目がちな眸はあくまで清み、知的な眉とともにエキゾチックな印象を強く投げかけてくる。通訳によってぼくの意志が伝わったとき、哀しみを色濃くにじませ、それでも訴えるような強いまなざしをそそぎ止まない。なぜかぼくまで無性に悲しくさせる視線だ。

その後のやりとりに紆余曲折があり、嘆き悲しむ娘の複雑な愁嘆場はあったものの、ぼくの姿勢は変わらない。そうこうするうちに姪の到着する時刻になり、ぼくは解放された。

「おじちゃん、何かあったの?」
「うん、 プリンス・オブ・ペルシャ のね、お姫様の縁談が壊れたようなのだ」

姪っ子は不思議そうに駅にたむろする異国の集団を眺めつつ、いつもどおり無邪気に車に乗り込んだ。

と、まあ、今日という日は、こういうことを書いたり、吹聴したりしても、許される日ではなかろうか。