蘭とペットと時々 「道楽」

自分の周りで起きてることをしらふで一筆啓上

新潟にて

2010年09月17日 22時49分55秒 | Weblog
快晴
最低気温 18.5℃
時々雲が出るものの一日良い天気

お葬式が入り3日ほど会社を休みました。

新潟での葬儀のため通夜に間に合うように火曜日の10時半ごろ家を出て東名高速・環状8号線・関越道を使う。
環8は少し混んでいたものの関越道はガラガラでオービスと覆面パトカーに気お付けながらの走行。
遅めの昼食を取るのに花かごを作り、積んでいたので日陰を探して結局、関越トンネル手前の谷川岳PAにてスナックコーナーで御蕎麦を。
後で従兄弟の話しでは御土産のモツ煮が美味しいとか、つまみによく買って帰るとか。
斎場に着いたのは16時少し前、まだ、だれも来ていなくて取り合えず花だけ預けいったんホテルに
姉さんは新幹線できたのだが時間的には同じ位に出て着くのもそんなに差は無かった。
通夜は19時より、御坊さんは尼さんを入れて3人、特別な御経を上げてもらったらしい。
50人ほどの仏さまの名前を言い、そのたびに立って御辞儀をするらしい、座敷などですわってではなかなかできないが椅子でのお経なのでやってもれえたとか。

通夜自体は1時間チョットなのだがその後の通夜ぶるまいの後が長かった。
通夜で残る人と喪主、親戚関係でほとんど飲みぱなし、ホテルに帰ったのは23時頃。

泊ったホテルでは部屋風呂は小さいのだが別に陶板浴があり、有料だが宿泊者は一回だけただになる。
24時間入れるので朝のうちに入ってみた、人もいなくて気持ちが良かった。
時間的には45分から1時間ぐらいが目安とか、入る前には寝ころんで45分は長いなと思ったが入って見るとあっという間。気持ちの良い汗をかけた。
妻たちは通夜から帰って来てから入ったらしいがいっぱいだったとか。

告別式は9時から、新潟での告別式は何回か来ているがたまたま早い時間が多い。
御坊さんは尼さんを入れて4人と増えている。太鼓や鐘が入りにぎやかな御経。

火葬場にはマイクロバス一台分の人数で、喪主はお客さんの接待で斎場に残る。
行きがけには自宅により近所の人たちと最後のお別れ。
火葬場では窯に入れて身内4人を残して帰ってきてしまう。お骨は残った4人で拾うそうだ。
火葬場に行っている間も斎場ではお経を上げているらしい、われわれが帰ってからも、もう一度お経。

席を変えて「おとき」と言う食事の席を、これは豪華な食事でお土産も着く。
今回は車を動かす都合で私はアルコールは飲めませんでしたが変わりに妻が。
「おとき」の後はお寺さんにお礼まいり、これまた喪主はいかないのだが身内だけお寺に掛け軸など借りたものを返しに行きお礼のあいさつをする。
これで帰る予定でした、喪主が今晩、面白いものを見せてあげるからもう一晩泊って行ったらと、結局、自宅にもう一泊。
その日の19時頃から自宅そばの地蔵堂で地蔵講なるものに加わってきました。
これまた1時間ほどのお経と念仏?その後に食事会。
お地蔵さんは6体、佐渡にて300年ほど前に作られたもので作られた年号の記録が残っているとか、近いうちに300年祭をやるとか。
また、ほとんど作られてからほとんどお堂の中に祭られていて雨風に当たっていなくて綺麗なままの状態で今に行ったているらしい。
お堂自体も3年ほど前にみんなの寄付で立て替えたらしいのだが天井の絵や小物は以前のものを残している。
食事会の時は身内の者はほとんど接待に周りお酌して廻る。妻も私も慣れていないので末席に座って教授と気の話しや不老長寿の話しを。
お堂を片付けたあとは自宅で喪主夫婦、弟さん夫婦と内の夫婦で飲みなおし、結局2日間飲みぱなっし、不思議と新潟で飲む酒は空気が違うのか教授にもらったウコンが効いたのか後に残らない。

次の日の朝遅い出発、途中関越のサービスエリアで昼寝、環8もすいていて高速の渋滞も無く無事帰宅。
今回はカメラを持っていかなかったのが失敗、お地蔵さんの写真を撮りたかった。

今日の午前中は疲れが出たのか頭がボーとしている、体の動きも悪い。
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