どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

甲子園終幕・講評でいっちゃった

2012-08-23 13:18:58 | インポート
「花巻東の大谷投手を甲子園で見れなかったのは、残念」
いちゃった。閉会式での講評の、ほぼ冒頭で出て来たこの発言。聞き逃しませんよ。
これって、高野連岩手県支部についての苦情ですよね。あの花巻東と盛大付属高校の決勝で、ファウルをホームランとした大誤審の件ですよね。ウワサではこの試合の審判は全員審判資格剥奪、岩手県支部は組織替えになるようですが、閉会式でいう事は無いだろう。花巻東の選手たちはどう思っているだろうか。大会長のお墨付きがついたので、なおさら悔しいでしょう。盛大付属は?もの凄く複雑な感情を持ったでしょう。
あとなんか「白河の関をこえられなかった」とか言ってますが、何の事でしょうか。文脈が聞き取れなかったので何とも言えませんが、「白河以北一山三文」という有名な慣用句もありますので、勘違いしそうです。
あまり何も考えていないように感じます。というか誰だ、この原稿を書いたやつ。


PS
さて3人ほどにこの件を聞いたのですが、一番シックリ来るのは本戦の講評として考えると、予選について言及するのがそもそもおかしい、と言うものだった。間違いなくこれが正しい。
確かに社会現象と言うべき夏の甲子園だが、スポーツだとすれば、競技内容についての講評であるべきだ。そして本戦の閉会式の講評なら、本戦に関してのみ言うべきだ。予選は予選で総括されている。
間違っても本戦に出場していない選手の名前は言ってはいけない。(もちろん問題があったのは確かだ)
それがなぜこういった講評になるのかと言えば、もともと政治性があるスポーツだと言う事だ。
さてこの稿だが、今の所私の空耳かもしれないと思ってYouTubeなり探している。
今の所、この3人のうち一人がそんな事言ってたネ、と同意しているが確証が持てない。
何しろ聞いてすぐに書いたからだ。


1945年の天気を考える・結論・平均最高気温気温

2012-08-23 03:53:55 | お天気
さて今回でこれは終わりにする。
実際1945年のお天気なんて誰も気にしない。暑かったんでしょ、それで?と言った所だろう。ただ、盛岡で記録第一位の最低気温を出しているとか私は気になる。それと平均で見ているからやはり高い低いと言っても、たった一日の記憶で猛暑と記憶してしまう事もある。例えば盛岡で1927年7月12日は37.2度で歴代一位だ。同年8月9日の35・8度も歴代10位だ。もの凄い猛暑の年のようだが、月平均ではベスト10に入っていない。
なお今回見ている範囲では、1943年8月が月平均気温25度で歴代7位、この年の最高気温も3日の35.8度で歴代8位、7日が36.3度で歴代5位になっている。
平均で見ると言うのは、マクロで見ると言う立場だ。なのでどうしても酷い目にあったと言うのは出てこない。これが今回の欠点だ。とは言ってもインターネット上では一日の変化とかは出ていない。あったとしても解析は出来ないだろう。ちょっとデーター量がきつくなる。
今日の最高気温だが、あと0.4度で歴代記録に入ったのに残念だった。その代わり、35度台が2時間続いたイヤな日だった。


さて、北から見てゆこう。



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札幌だが、最高気温がとても低かったのが解る。


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盛岡は、8月の最高気温が高めで最低気温が低めだったようだ。それでも平年よりやや暑いと言う内容。7月の最高気温の低さが気になる。



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仙台は7月の最高気温がとても低かった。8月も平年並みだが低めに出ていたようだ。



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新潟は盛岡と同様。7月の最高気温の低さがすごい。


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東京はこんな具合。


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金沢もこんな具合。ちょっと暑いが平年並み。


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松本ですが、特異な動きをしています。7月は最低気温が低かったと言う事です。8月もそうです。



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順番がグジャグジャになってしまいました。長崎の厳原です。最高気温で見れば確実に平年並みです。寒暖の差が大きい日が多かったのでしょうか。



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47年8月の最高気温が気になる。


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大阪も45年夏は平年並み。



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松山も平年並み。しかし西に移ってから45年4月の最高気温が気になる。寒暖の差が大きくなっていそうだ。





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福岡は平年並み。
実はたった今、図に間違いを発見。慌てた。


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八丈島は、45年の夏は平年並み。ただ最低気温が低そう。
しかし孤島は気象サンプルとしていいのだが、マイルドです。多分本土では異常が3度以上だとなるのでしょうが、たぶん孤島は2度あたりなのかもしれません。とはいっても人や植物に打撃がある数字ではないので、やっぱりいいなーとなります。

さて最低目盛りが-4度の地域が増えているのに気がついた人は、えらいです。グラフの面倒な所です。




さてズラズラとデーターだけ出す企画でしたがいかがでしょうか。平均気温だけでは、説得力が無いかもと思って平均最高気温での比較をざっとしてみました。
今までイロイロデーターをまとめてみました。このデーターからいろいろ考えてもらえればうれしいです。もちろん間違いがあるかもしれません。無いようにはしていますが、なにしろインク代をケチって出力を全然しないで本稿を書いています。今回は珍しく東日本の出力をしていますが、これでいいのかと思いますが、データーは気象庁のホームページから探せば確認は出来ますよ。
小学校高学年の夏休みの宿題に使えそうです。ぜひご活用ください。


さて最後に、1945年を中心に見て行きましたが、この40年代の気象変動が余りにも大きいのが特徴です。1941年の冷夏、43年は取り上げませんでしたが猛暑です。45年は厳冬、特に東日本では作物の不作が予想できるほどの7月の低温があります。47年も異常気象です。しかし50年代から気象は安定してゆくのです。
これはもしかするとエルニーニョの発生とかそういったものがあった可能性がありそうだと言う事です。とはいってもエルニーニョは60年代で初めて解った事象なので、私では何とも言えないのですが、このころの天気は異常値が多いのは確かです。
次に感想として、いろいろな観測地のデーターを見たのですが基本拠点になる地域は、しっかりしたデーターが残っているようです。でも変な地点が見えます。例えば長野・松本市です。かなり当時としては先端的にデーターを収集しています。長崎・厳原とか八丈島のような僻地(ごめんなさい)もデーターがあるので驚きました。それでいながら、長野市のデーターが使えなかったとかイロイロあります。
少し考えると、実は軍事と関連しているのではと考えています。松本市のデーターは高地の研究のためだったとか、厳原や八丈島は、防衛拠点だったとかそういった事がありそうです。
ただこれは若干妄想で、実際古いデータを公表できるように精査してデーターベースに落とし込む作業が遅れているからかもしれません。
気象予想と、軍事が同じだった時代もあります。この開けっぴろげなデーターベースを前に、いい時代にいるなと思います。