変わった記事があった。恋人と買い物に出かけた女性が買い物をし続けて、あまりもの事に喧嘩になり男性がショッピンングモールの手すりから飛び降り自殺したと言うものだ。記事はニューズウイークだ。「クリスマスの買い物にキレて自殺した中国人」
女性は5時間買い物を続けたようだ。引用する。
一生かけても履ききれない靴と言うので、フィリピンのイメルダ婦人を思い出したが、イメルダは広大なウオーキングクローゼットを持っていた。ショッピングモールに買い物に行く人ではなかった。
この報道では彼女がクリスマスを無制限に買い物する日だと勘違いしているフシはある。確かに親類縁者に送るクリスマスプレゼントだったかもしれない。その長大なリストがあったとすれば5時間の買い物は解らない訳でもない。だが長大なリストがあれば格付けもある。それに則ってネットで買い物をするだろう。そしてかなりの金持ちのようだ。百貨店の外商部を呼びつけて終わる話しだろう。
彼氏を追いつめるほどの買い物とは何か。それはやはり、彼女の買い物だったのだろう。
いちいち同意を求めつつ買い物をしたのだろうか?一生かけても履ききれないほど靴とはどの程度の量だろうか。
一流陸上マラソンの選手のように一試合一足みたいなものもあるが、服にあわせて一足とすれば、彼女はどの程度の服を買ったのだろうか。ここも気になる。
もちろん誰の財布で買い物をしていたのかも気になる。この場合は彼の財布なのかもしれない。だがそれは解らない。
しかしこういった風景は、以前どこにでもあった用な気がする。特売ワゴンに群がるオバサンの群れだった。今はどの程度あるのだろうか。マンガに書かれていたようなつかみ合いはもうほとんどないと思う。と言うのは他の選択肢があるからだ。ユニクロなりシマムラだ。GAPだけに人が殺到しているのは見た事がない。新規開店程度だろうか。
日本では服が一通り揃ったからだと言われている。だからバーゲンが効きにくくなったとも言われている。もう服もいっぱいある。断捨離と言う言葉も流行ったが、必要がないものは買わないし捨ててしまうというのが今の日本だ。
だが、がんばったご褒美と言う言葉はまだ滅びていない。普段は安いもので我慢しているが、仕事で忙しいのを乗り越えた時とか、高級品を買って自分の記念品の贈り物にする。一つずつ増えてゆくのは自分の努力と成長の証として残る。
まあこれは、衝動買いに対する防波堤として我々が獲得したものの一つだ。そんな心の持ち方が必要になるほど、世の中は物で溢れている。
この話しで一番自分が感じたのは、この欲望だ。その強さに少しあこがれを感じた。それは私の久しく感じた事のないあこがれだ。
そこまで傍若無人に振る舞いたい。だが決して出来ないし、やれない。
お金ではない。あったとしても出来ないしやりたくもない。多分普通はそうだ。私だけではなく先進国ではどこもそうだろう。
彼女は多分なのだが、愛を試したのかもしれない。彼氏との買い物がうまくいかなかったのかもしれない。彼氏は淡白だったのかもしれない。彼女の買い物に対して最初は褒めたりしていたが、飽きて来たのだろう。そうしてクリスマスの買い物は死の行進になっていったのだろう。互いに譲れなくなったのかもしれない。
試みたにしては作戦も戦略もない、落としどころも用意していない。ひたすらに買い物に向かってゆく。その姿に怖れおののいた彼は、自殺したのだろう。
そこに餓鬼がいたのだ。
むさぼるような買い物。彼を圧倒させた買い物。愛すらも省みる事のない買い物。
飢えていたのだろう。だが何に飢えていたのだろうか。彼の忠誠心だろうか?それとも単なる物欲なのだろうか?見た目の社会的地位だろうか?
しかしショッピングモールで5時間買い物出来る人だから、決して飢えている訳ではない。満たされている人たちでも飢えている。
これは中国ならではの話しなのだろうか。それとも急進している国、日本もかつてそうであったように、途上国ならではの話しなのだろうか。
どこにでもある話しのような気がする。
強欲はどこにでもある。ただ餓えがはっきり見えている話しはあまりない。
女性は5時間買い物を続けたようだ。引用する。
「一生かけても履ききれないほど靴を買ったし、もうそれ以上買う意味はないと、彼は彼女に言った」と、ある目撃者は証言している。「彼女は彼に対して、ケチ、クリスマスを台無しにする気か、と大声でなじった。かなり激しい言い合いだった」
一生かけても履ききれない靴と言うので、フィリピンのイメルダ婦人を思い出したが、イメルダは広大なウオーキングクローゼットを持っていた。ショッピングモールに買い物に行く人ではなかった。
この報道では彼女がクリスマスを無制限に買い物する日だと勘違いしているフシはある。確かに親類縁者に送るクリスマスプレゼントだったかもしれない。その長大なリストがあったとすれば5時間の買い物は解らない訳でもない。だが長大なリストがあれば格付けもある。それに則ってネットで買い物をするだろう。そしてかなりの金持ちのようだ。百貨店の外商部を呼びつけて終わる話しだろう。
彼氏を追いつめるほどの買い物とは何か。それはやはり、彼女の買い物だったのだろう。
いちいち同意を求めつつ買い物をしたのだろうか?一生かけても履ききれないほど靴とはどの程度の量だろうか。
一流陸上マラソンの選手のように一試合一足みたいなものもあるが、服にあわせて一足とすれば、彼女はどの程度の服を買ったのだろうか。ここも気になる。
もちろん誰の財布で買い物をしていたのかも気になる。この場合は彼の財布なのかもしれない。だがそれは解らない。
しかしこういった風景は、以前どこにでもあった用な気がする。特売ワゴンに群がるオバサンの群れだった。今はどの程度あるのだろうか。マンガに書かれていたようなつかみ合いはもうほとんどないと思う。と言うのは他の選択肢があるからだ。ユニクロなりシマムラだ。GAPだけに人が殺到しているのは見た事がない。新規開店程度だろうか。
日本では服が一通り揃ったからだと言われている。だからバーゲンが効きにくくなったとも言われている。もう服もいっぱいある。断捨離と言う言葉も流行ったが、必要がないものは買わないし捨ててしまうというのが今の日本だ。
だが、がんばったご褒美と言う言葉はまだ滅びていない。普段は安いもので我慢しているが、仕事で忙しいのを乗り越えた時とか、高級品を買って自分の記念品の贈り物にする。一つずつ増えてゆくのは自分の努力と成長の証として残る。
まあこれは、衝動買いに対する防波堤として我々が獲得したものの一つだ。そんな心の持ち方が必要になるほど、世の中は物で溢れている。
この話しで一番自分が感じたのは、この欲望だ。その強さに少しあこがれを感じた。それは私の久しく感じた事のないあこがれだ。
そこまで傍若無人に振る舞いたい。だが決して出来ないし、やれない。
お金ではない。あったとしても出来ないしやりたくもない。多分普通はそうだ。私だけではなく先進国ではどこもそうだろう。
彼女は多分なのだが、愛を試したのかもしれない。彼氏との買い物がうまくいかなかったのかもしれない。彼氏は淡白だったのかもしれない。彼女の買い物に対して最初は褒めたりしていたが、飽きて来たのだろう。そうしてクリスマスの買い物は死の行進になっていったのだろう。互いに譲れなくなったのかもしれない。
試みたにしては作戦も戦略もない、落としどころも用意していない。ひたすらに買い物に向かってゆく。その姿に怖れおののいた彼は、自殺したのだろう。
そこに餓鬼がいたのだ。
むさぼるような買い物。彼を圧倒させた買い物。愛すらも省みる事のない買い物。
飢えていたのだろう。だが何に飢えていたのだろうか。彼の忠誠心だろうか?それとも単なる物欲なのだろうか?見た目の社会的地位だろうか?
しかしショッピングモールで5時間買い物出来る人だから、決して飢えている訳ではない。満たされている人たちでも飢えている。
これは中国ならではの話しなのだろうか。それとも急進している国、日本もかつてそうであったように、途上国ならではの話しなのだろうか。
どこにでもある話しのような気がする。
強欲はどこにでもある。ただ餓えがはっきり見えている話しはあまりない。