どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

カラシニコフ死去とその他

2013-12-25 02:39:41 | インポート
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クルップが!クルップが!と鳩のように騒いでいたら、ついにあのニュースが入って来た。

カラシニコフが亡くなった。AK47の開発者だ。世界の戦闘突撃銃のあり方を、根底から変えた男である。祖国を守るために銃を作ったと言うのは、本当の事だ。だがあの時代、世界同時革命を成し遂げるためにソ連がバラまいたAK47はコピーを生んだ。そして正規ライセンス生産も実際は無視されて、これまた世界中に広がってしまった。ソマリアでは海賊が購入出来るほど安くなった。

カラシニコフの名前は、世界で最も著名で、悪名の一つになった。

彼が悪い訳ではない。時代が悪かった。ただそれだけなのだが、相当苦しめられたようだ。AK47の形をしたガラス瓶に入れたウオッカを発売していたと思う。私の記憶では公的に写真が出た最後だったと思う。


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晩年のカラシニコフへのインタビューで、スターリンを懐かしがっていた。しかし彼は11歳の時に一家共々シベリア送りになっている。その地獄から1000キロ歩いて故郷に戻ったが、拾った拳銃を修理したが、その所持容疑で拘束されカザフスタンに逃げて鉄道機関区の技術秘書になり、入隊して様々な発明をしてジューコフ将軍の知遇を得る。その後ナチスと戦い重傷を負い入院する。退院後カザフスタンに戻りプロトタイプを作った。
それが中等教育も終えていない29歳が、スターリン賞を取り、6度の最高会議代議員になるのだ。

しかしソ連崩壊まで、シベリアから脱走した時の「公文書偽造」が付いて回った。賞を貰い勲章を一つ増やすたびに不安になっただろう。本人も字がきれいだと言う理由で技術秘書になったり、入隊してすぐに軍曹になったりした。その理由はスターリンの粛正があったからだ。戦後にもまた粛正があったからだ。その中で少数民族のコサック人であり、いつ巻き込まれるか解らなかった。
それでもスターリン時代が良かったと言う。1990年にM16のユージン・ストーナーと数日を過ごす事が出来たり、ビル・ルガーとも友人になった。だがそれでもゴルバチョフが嫌いだと言う。


カラシニコフの青春時代は、確かに奇跡のような幸運に恵まれていた。だから懐かしがるのだろうか。もう少し複雑な問題があると思う。ゴルバチョフ以降、彼の銃がどのような運命をたどったのかを、知ってしまったためではないのか。

中国とベトナムでは、同じ銃で戦争をした。パキスタンとインドもそうだろう。アラブでもそうだったろう。そしてアフガニスタンでもそうだった。ボスニアでもそうだったろう。派製品やコピーが大量にありアフリカでは虐殺に使われたりした。テロもそうだ。最近では、北朝鮮の政変で銃殺刑に使われた銃は、AKだったかもしれない。

そしてユージン・ストーナーとの出会いは不幸だった。世界で一番売れた自動小銃の設計者はありとあらゆる名誉に包まれていたが、ユージン・ストーナーに比べれば圧倒的に貧乏だった。この事実が、彼に影を与えたのではないのだろうか。

彼ほど銃が好きな人はいないだろう。その幸せが詰まっていたのがスターリン時代であった。そして祖国の繁栄を信じていた一人でもあった。その祖国のための銃を作っただけに過ぎない。カラシニコフは祖国を信じていた。

しかし銃は人の心を打ち抜く事は出来なかった。銃は人の命ずるままに玉を出し続ける機械でしかない。そしてその人の心で使い方が決まってしまう物だ。

カラシニコフは天才であり幸運に恵まれた人物だった。カラシニコフの発明は世界に不幸をもたらしたと言われている。
だが本当の不幸をもたらしたのが何かを考えるべきだろう。

彼の魂の安らぎが訪れるように。それは地球に安らぎが訪れるのと同義である。


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20世紀の著名な自動小銃の発明家が、これで全員いなくなった。


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戦争はなぜ起きるのかをまじめに考えたが、国内問題が大きいと言ううすっぺらい結論になった。例えば第一次世界大戦前のイギリスとドイツは経済的な結びつきが大きく、ヨーロッパ全体でもこの経済関係を破壊するような事はないと考えられていた。覇権国から転落しつつあったイギリスと、軍事で国内を統一して、晋仏戦争で勝ってイケイケのドイツの、それぞれの国内問題が戦争を引き起こした。

それは日本の問題と置き換えても解る。

特に経済格差が世界でも広がっている今、何が起きるか解らない。
そしてアメリカがQE3の縮小を言った。これは市場に織り込まれている事なので急な変化はないと思うが、東南アジアを中心に、ネガティブなことになるのではないのかと考えている。


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オマケ

クルミを車に轢かせてラクをしようとするカラス。しかしこのクルミ、クログルミなんで不味いのだが。



PS

2014.1.14

カラシニコフは生前に懺悔をしていたようだ。


AK47の開発者が生前に懺悔、ロシア正教会宛てに書簡


カラシニコフという天才は、祖国のために銃を作っただけなのだ。それは忘れてはいけない。だが彼の思惑を超えて世界は彼を理解しなかった。

かれはその頑丈さ故に長生きをしてしまった。そしてすべてを見てしまった。

改めてご冥福をお祈りします。