今年の春はスッチャカメッチャカで、八重桜の咲く頃に水仙とチューリップがまだ咲いていて、リンゴとライラックが咲いている。藤の花もつぼみを大きくしている。菜の花が咲き、キンポウゲがつぼみを付けた。
咲く花の順番がグチャグチャだ。
そのゴールデンウイークだが、盛岡ではやっぱり「近・短・安」の消費になったようだ。近場で、日帰りで、安く済ませる人が多かったようだ。特に後半にそれを感じた。これは決して悪いパターンではない。地元にお金が落ちるからだ。そして消費税中の地方の取り分もある。
以前の消費税導入や上昇時にもそうなったが、それが長続きしないのが問題だ。今年はその意味でイベントなどかなり打っていた所が多いと思う。だがもっと「近・短・安」の楽しさを伝えられたのかと言えばそうでもないような気がする。ただ今年はその点傾向と対策だけはうまくいっていたような気がする。
そう気がするだけなのだ。逆に元々「近・短・安」を実践している人も多い。滝沢市運動公園の敷地で、テントを張って日陰を作って、後は子供と遊ぶだけ、そう言った楽しみ方をしている家族を見た。そこまでキッチリしなくとも、トイレがしっかりしている所では、そうして休日を過ごす家族は増えているように思う。
5月6日は風が強く、アイスアリーナ前でのフリーマーケットは散々な感じになっていた。おまけに2時半頃からあめがパラつき、終了したようだ。
ゴールデンウイーク中の最大のイベントは、例の特殊重機だった。問題はこの撮影を依頼した社長の言葉が、かなり響いている。
「なんでこんなに何でも出来る世の中なのに、若いのが引きこもっているのか理解できない」
この社長が理解できないのもさもありなん。優秀すぎるほどの人物です。特殊重機一筋の人物です。
問題なのは、私が彼に対してその説明を出来ない事です。私の持っている情報は多いのですが、それを説明するにはポストモダン理論か…。それでは少し弱すぎるわけですが、かといって極端事例を出してもどうなのかと言う事になります。
ポストモダン理論の基本には、価値観が相対化した社会のあり方と言うものがあります。哲学でも語られて来たものですが、社会学がいまでは基本的な話を進めているのかと思います。
そのポストモダンの中で、社長の一言で、以外とポストモダンになっていないジャンルがある事を見つけたわけです。
土建業です。
価値観が全く揺らいでいないジャンルと言うのがあると言うのは驚きです。それはそうなのです。相対化しようの無い所があります。あの巨大な仕事をそれこそ多様な人間が集まって、作り上げてしまうのですから、出来上がったものに対しての価値と言うのは、ポストモダンの中回帰説のようなシミったれたものではなく、オレのドラマなのですよ。私も道路測量のバイトをしていたことがあって、その後その道路を通ると、ここがこう変更になってこうなったのかとか、イロイロ考えてしますのですが、目に見える形でどこか残っている、しかも巨大と言うのはとても大きいです。
もちろん彼らも人手不足は間違いがありません。でもチームとして動かなければ行けないジャンルでは精鋭ばかりが集まります。そうなればポストモダン理論と言うのがどうも怪しくなります。
とはいえ、元々恐ろしく多様な人材を扱っていた土木業界と言うのは、個別対応と言う意味では、最初っからポストモダンだったのかもしれません。
今年のゴールデンウイークの最大の収穫です。