19世紀末にコダックがラボを開業して以来、フィルムサイズはあるサイズに収斂して行きます。しかしそれでも歴史のあるヨーロッパや、写真に対して独特の文化をもっていたアメリカでは、ある多様性が残りました。
しかし戦後日本では、ほとんどが35ミリサイズに収斂して行きます。とはいっても終戦後に作られたカメラの中には、6センチ幅のフィルムを使う中判カメラが割と出てきます。ただその後ほとんど35ミリサイズ、一時的に35ミリハーフサイズカメラなんか登場しますが、ほぼ35ミリになります。
この理由なのですが、まず世の中が貧しかったと言うのがあります。
戦後の無い無いつくしの中でカメラを作ろうとした場合、まず一番簡単だったのがレンズシャッターカメラでした。カメラとフィルム巻き上げが連動していません。この中で一番作りやすかったであろうのが、マミヤ6などのスプリングカメラでした。6センチ幅のフィルムを使っています。
そしてコニカⅠ型とかの35ミリも登場するのですが、当時はモノクロの時代。6センチ幅と4センチ幅、35ミリ幅が両方あった時代です。この中で6センチ幅は古くさいスプリング式が多く、35ミリは全金属製でレンズ繰り出しとファインダーでのピント確認の連動機構をどう詰めようかと言う機運があった時代です。35ミリカメラではライカと言うお手本もあったわけで、作る側ではそちらに挑戦したいと言うのもありました。
決定的だったのはカラー写真の出現です。6センチ幅や4センチ幅はフィルム一本当たり撮れるカット数が12カット程度と少なかった。これに対して35ミリは36カットは撮影で来た。単純に一カット当たり3倍の経費が6センチ幅フィルムではかかるわけです。実感では2倍程度だろうか。
カラーだと当時はもっと差があったと思う。そうなってくれば写りはいいが古くさい機構のスプリングカメラから、35ミリ金属製のカメラを選択しやすくなる。何しろランニングコストが違ったからだ。そして35ミリカメラは次々と連動機構を開発し、撮影者のミスを減らしていった。
今から見ると、写りがいいけどランニングコストが高くめんどくさいカメラと、写りは劣るがランニングコストが安く当時としてみれば簡単なカメラとどちらがいいのかとは言えない。でも当時としては、ランニングコストが大きかった。
特にカラー普及期には大きく影響した。この頃35ミリハーフ板がでる。これが爆発的な人気になった。72枚分のプリント代がかかるが、フィルムと現像代は同じだった。
かくしてハイアマとコマーシャルでは4×5インチと6センチ幅のフィルムが、普通のアマチュアと普通の人には35ミリとなった。
なおハーフサイズが一気に無くなった理由なのだが、所得が増えたと言うのが一番、次ぎに普通の人はなかなか72枚も写真を一気に撮らないと言う事。タイムラグが大幅に生じるわけです。それでもこの時期にハーフ版が売れた理由は何かと言えば、もしかするとベビーブームかもしれない。
ハーフ版のはじめはオリンパスペンの1959年発売のものだ。当時としては破格値の低価格で、このシリーズはかなり高寿命で1970年代を席巻したと言える。ただ70年以降かなり販売台数が減るのだが、この理由はハーフ版の画質の悪さと言われているが、72枚の撮影枚数が必要な人たちと言えば、子供を持った人たちだ。
そう、ベビーブーマーが1946年から8年なのでドンピシャ来るのですよ。そして80年代まで人口増加でしたからカメラ需要が大きかったと考えられます、
ハーフサイスカメラは、シャッターを押せばミスの無いコニカC35EF(1975年発売)、通称ピッカリコニカで止めを差されて市場から消えて行きます。
なおオリンパスのペンシリーズですが、意外な所で見れます。顕微鏡用のカメラです。このためのボディ需要があったので、かなり長く販売できたのかと思います。
土門拳のリアリスム運動も大きかったと思います。社会世相を写す写真をアマチュアだからこそ出すべきだ、とかなり意訳して書いています。まあ本人は曖昧にしています。
ただその時に必要な機動性と言うのは、大体35ミリカメラになるわけで、彼が審査員のコンテストは35ミリカメラで撮影されたものになったと思います。彼は戦前の芸術写真を全否定した(言葉の上では。コンテストの審査では彼の言う芸術写真が通って、彼は激賞していたりする)わけで、中判以上の大きいサイズはブルジョワのものだと、アマチュアに受け止められる素地は作ってしまったと思う。
そして一眼レフの中判カメラは確かに高かった。ランニングコストも高い。そしてじっくり作画をするより、土門のように熱中してフィルヌを切る方が、確かにコンテスト向きの写真が撮れた。
そして中判以上のカメラは昔のままで残り、35ミリだけが急速な技術革新を進めて行く。そして需要に応じて35ミリフィルムの値段も下がり、ラボシステムも充実して行く。フォーマットが35ミリに収斂したからだ。
そしてますます全世界的に35ミリフォーマットが普及して行く。
80年代後半から現代美術家達が、8×10のサイズなど古典的なサイズに注目して行く。これこそが写真の凄さだと言わんばかりの映像だった。ただこの流れはそんなには流行らなかった。現在6センチ幅のフィルムにトライする人たちも増えているが、すこしファッションのような気がする。
デジタルは、フィルムの多様性と全く違う所にある。表現手段としては、何かが足りないように感じるのだが、こうしてフィルムフォーマットを見て行くと、これも必然だったかに思える。
そう言った意味では、まだデジタルは未完成なのかもしれない。