どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

美味しんぼ騒動、終了

2014-05-20 13:47:21 | インポート
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美味しんぼ騒動は、スピリッツ25号発売で一端終了しそうだ。


まあ後半からは、「表現の自由があり、雁屋哲氏が取材して鼻血があったのだろうから、それはそれ」「マンガとしてはどうなのか?」「マスコミが騒ぎ過ぎ」などと言う意見も出ていた。


とはいえこの話は、官邸まで問題にする騒ぎになってしまった。47ニュースで、共同通信から。



安倍晋三首相は17日、小学館の「週刊ビッグコミックスピリッツ」の漫画「美味しんぼ」で主人公らが東京電力福島第1原発を訪問した後に鼻血を出す場面が描写されたことに関し「根拠のない風評に対しては国として全力を挙げて対応する必要がある」と述べた。視察先の福島市で記者団の質問に答えた。





さて小学館では10Pもかけて、今回の騒動で寄せられた有識者の意見を載せている。これは英断だと思う。メディア、特にマンガ雑誌としてはかなりのボリュームだ。


意見の大半は、この程度で鼻血はあり得ないと言うものだ。だが、外部被爆での話が多い。だが外部被爆説をとると直ちに症状が出た時点で、即入院の被爆となる。それは現在の空中放射線量からあり得ない。これは確かだ。


そもそも作者が外部被爆と内部被爆を混同している可能性もある。そして内部被爆の影響がどの程度かと言うのは、まだ良くわかっていない。そして生体での放射性物質の挙動も良くわかっていない。セシウムが心臓に集まると言う解剖学からの報告もあるようだが、同時にセシウムが体から抜けて行く生体半減期は以外と早いと言うのも解りつつある。植物に限って言えば、大量に放射性物質があるとそれを取り込んで行くが、量が少ないと選択的に取り込まなくなるようだ。


内部被爆説をとったとしても、防護マスクを外してフクイチ敷地内の乾いた土の匂いを嗅いだとか、そのレベルでないと直ちに症状が出るとは思えない。空中浮遊塵中の放射性物質の量を考えればこれまたあり得ない。


人口放射性物質は無い方がいい。これも確かなのだが、自然放射性物質もいっぱいある。むしろ日常これらでかなり被爆されている。そして60年代以降世界中が放射性物質で汚染されている。だから気をつけながら生活するしか無いと言うのが私の考えだ。


美味しんぼも結局はそう言った事を言いたいのだろうが、センセーショナルな書き方で顰蹙を買ったという事なのだろう。まあセンセーションな書き方だったら「ゴーマニズム宣言」があったが、長続きはしなかった。




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10Pに渡る意見書を読むにつれ、この内容をマンガの中に盛り込むのは相当困難な事だと思う。これを美味しんぼの枠組みにいれるのは、不可能だろう。



美味しんぼそのものだが、1983年から始まっている。1941年生まれだから42歳から始まった連載だ。連載当初は山岡に自分を投影した作品を書いていたと思うが、プロット上海原雄山を徹底したヒールにするわけにも行かず、自分の年齢もあり徐々に海原雄山にも感情移入するようになっていたと思う。そう美味しんぼのヒットで、雁屋哲氏も権威と見なされるようになっていたからだ。そうしてこの二人と雁屋哲氏は、分ちがたいものになっていたのではないのだろうか。
そして72歳の現在、山岡と海原雄山を和解させた。



それ以前には、この放射性物質と食の問題を何度か中立的に取り上げていたようだが、この和解の章で突然このセンセーショナルな書き方を、しかも不完全に、内部被爆と外部被爆の違いとか解っているはずなのに、メチャクチャな書き方をしたのか。


山岡と海原雄山の和解が理由だろう。今までは自己を分割して物語を進められたのだが、和解させる事で自分が剥き出しで出てしまったのではないのだろうか。抑制が利かなくなったのだ。確かに低線量被爆の事を問題にして、広く議論を巻き起こしたかった。だからセンセーションな書き方になったとも言えるのだが、やりようはいくらでもあった。


そもそも個々まで敵対した親子の和解と言うのはあり得るのだろうか。妥協はあったとしても、疑問がある。そう言った意味では海原雄山は異常な長生きだ。多分現在80歳以上だろう。そうするともうそろそろ死んでもおかしくない。もしもエンターティーナーとして美味しんぼを書くなら、この和解ギリギリの所で海原雄山に亡くなってもらうと言う方法もあった。もちろんそんな事をしたら枠組みが壊れるわけだが、しばらくは亡くなった父との戦いと言う延々と終わらない話が書ける。ジャンプのように新たな敵を出してもかまわないだろう。


でもそれが出来ない。それは海原雄山も自分の分身だからだ。







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こうしてウダウダと書いて来たが、やはりこの「美味しんぼ」は面白くなかった。確かに私には妬みとか嫉妬がある。しかしそれ以上に後半の山岡が海原に「父さん」と2回言っているが、気持ちが悪かった。この気持ち悪さと言うのは、私だけだろうか。なにしろ自分自身に語りかけて行く言葉だ。敬称つきではなく「親父」で十分なはずなのだが、なぜ自分に敬称を付けるのか。

一番最後の「父親と一緒に生きて行く」と言う台詞を活かすために、「父さん」と言わせなかった方が、良かったと思うのだが。


ラストページの花咲アキラ氏の画は、渾身の出来だと思う。これだけが素晴らしかった。相変わらずパースが狂っているが、マンガですから。



今回からしばらく、そう一体いつ開始するのか解らないが、美味しんぼは休載となる。今後は再開したとしても、一人称マンガになってしまう。そうするとエンタメ性は更に薄れてくる。だから海原雄山には退場してもらわなくなるが、それは雁屋哲氏に出来るかどうかだ。自分の分身を殺せるかどうか。
ミスター味っ子のように3代目の話にいきなり飛ぶか?それも出来ないだろう。そこまで茶化した事が出来る人ではない。


その上72歳になった雁屋哲氏は、もうそろそろオーストラリアと日本を往復する事が難しくなるのではないのか。実際日本味巡り編はこの点かなり無理があったと思う。そう言った所を考えて行けば、事実上の終了なのでは無いのだろうか。

30年続いた連載だが、私にとっては全く惜しくない作品だ。山岡の結婚で話をやめてしまえば名作だったろう。しかしその後がよくなかった。
前半の当たりも否定されている事が多い。例えば無農薬がいいとか有機栽培はおいしいとかは、現在半分否定されている。なぜ半分かと言えば、間違った管理で作られた作物は結局有機だろうが無農薬だろうがおいしくはないのだ。むしろ硝酸体窒素の問題から行けば、管理の失敗した有機栽培は毒でもある。下手な産直よりイオン農場の野菜の方が安全と言うこともよくある話になっている。
おいしい作物を作る技術と言うのはイズムのような単純なものではない。科学的であり日々のきめ細やかな観察と管理から生み出されて行く。


美味しんぼの持っている根っこにあるイズムは、とっくの昔に取り残されたものになっていた。それは共産主義とかではない。時代の進む速度が余りにも速すぎた。もはや昔を取り戻す事は不可能になっている。それが良くわかっていない作者は、今後どうするのだろうか。
オーストラリアの家を引き払って、福島に住むだろうか。作品後半に「福島の未来は日本の未来」あるが、それでは福島から日本変えようと言論活動をする、それが仁義と言うものだろう。