喫茶響で会計をしたら、「ちょっと変わったお釣りで」と言って100円札でお釣りがきた。お客さんで「タンスからごっそり出てきた」と言って持ってきたそうだ。地方都市ならではの話だ。以前別な喫茶店で、旧50円玉でお釣りがきた。これもまたタンスからごっそり出てきたものを店が引き取って話題作りに使っていた。どちらも未回収な現行貨幣だ。
お札を撮影する場合正面から撮影してはいけない。たとえ日銀からもう出てこない紙幣だったとしても、偽造しようとしたと言われてしまう。なので斜めで撮影して角は切る。著作権もあるので、特にこれは重要。著作権法は平面に対して保護される。紙という立体物だと保護されないんですね。
戦後のハイパーインフレで、1946年2月16日に新円切り替えが発表され、17日から預金封鎖。1946年3月1日新円の流通開始、1946年3月3日付けで旧円の市場流通の差し止めと電撃的に行った。実際に軍票やら旧貨幣やらいっぱい混在していた状態だったので、ついでに貨幣制度の整備を行うというのがあった。だが銀行に現金を強制的に預金させて、資産や所得隠しを捕捉するというのもあった。
なお日本の銀行口座開設が緩いのは、この時のことが大きかったんではないのかと思う。
小額紙幣や硬貨は流通量が多いので一旦そのままにした。それでいて1、5、10円紙幣が発行された。この紙幣は最新の印刷だったようだが、100円は旧デザインを改良しただけだったのでどうも偽造されやすかったようだ。
インフレはまだまだ続くのに。高額紙幣だった100円札が偽造されやすいというのはどうにも困る。
上下のラインにあるしつこいほどの「百」と「100」。
1950年1月に1000円札が発行され、51年に500円と50円札が発行される。インフレがいかにひどいかがわかる。だが100円札は1953年12月1日発行だ。ずいぶん遅れてしまう。だがその分最新鋭だったのだろうか、えらく細かい。一見すると安っぽい紙幣なのだが、やれることはてんこ盛りだ。この時期では流通量の多い紙幣になっていたようだ。
まあこんなとこまで「百」の文字が。
ただこの頃にはすでに100円の価値は札にするものではなくなってゆく。48年に5円硬貨、53年に10円硬貨、55年に1円硬貨と50円硬貨が発行される。そして57年に100円銀貨が発行されて59年にデザインを変更し、67年に現在の白銅貨に変わる。
だからなんでこの時にこんなに気合を込めた札を印刷したのかがよくわからない。
ここにも100が。
1966年8月26日に廃止が閣議決定され、1974年8月1日に日銀が新札を出さなくなった、支払停止というのはそう言ったことだろう。
こうしてみるとえらく気合の入った紙幣だ。現代の2000円札も気合入りまくりだが、あれは実験的な意味合いがあった。当時としては硬貨に変わる前なのになぜこんな気合があったのかと思う。一つには前の100円札が偽造されやすかったというのがある。そこでてんこ盛りにやることをやったのだろう。そしてなのだが、多分なのだがすごいインフレで100円の価値が暴落したとしても、何か100円というのは安くないという感覚があったのだと思う。
今のお札と比べればやっぱり技術的には低いのだが、今のデザインの源流になるものがここにあるように思える。
面が多分5色印刷でシリアルナンバーのインクはまた別なもの。裏は3色だと思う。すかしが実はあって、はっきりしていない上に、透かしの上に印刷しているからとても見えにくい。
左の100の数字の脇は、花びらかなんかに見えるのだが、実は鳳凰が書かれている。
一見安っぽいが、よくできたデザインだと思う。それ以上に、以前の大黒札のようなモロ出しの意味合いのお札から、日本的要素を洗練させてゆく過程があるのだと改めて気がつく。
紙幣をデザインするというのは、国家を代表するという意識があるのだろう。