昨日は泳ぎにゆく予定だったのだが、少し天気が怪しく取りやめてしまった。だがそうすると今度泳ぎに行けるのは土曜日が最適なのだが、雨の予報。日曜だと一週間開けてしまう。月曜が一番都合が良さそうなのだが少し空きすぎる。やはり泳ぎにゆくべきだったと思う。
そしてベアレンが菜園のクッチーナに作ったマイクロブリュワリーに響の熱田氏とゆく。で、かなり飲んだな。マイクロブリュワリーは熟成期間の問題があってフレッシュなビールができるが、コクを作るのはどうなのかという結論になった。だが爽やかでフルーティーなビールだった。
超ビックニュースが入った。セブンイレブンが今年10月の既存店売上高が速報値で前年度比で99%になったという。コンビニでの速報値なので元々の情報精度が高い。62ヶ月連続増収の記録が途切れたというのは大きい。消費に何かが起きているというのはずいぶん前から言われていたところだが、今回だけの現象なのかどうか。見極めは難しい。消費者が賢くなったのか、それともさらに消費を抑えているのか。
ただコンビニがたとえチェーン店だとしてもフランチャイズオーナーの資質が出てしまうように思える。流行っている店はヤマザキデイリーだろうがサンクスだろうがローソンだろうが、オーナーを感じる時がある。逆説的に北海道の流通でアークスグループが強力でイオンが進出できないとか、コンビニでもセイコーマートが圧倒的なシェアを誇ることとか、東京発というのがネックになってきているように感じる。
物語が細分化されたポストモダン的な消費社会に、今逆のムーブメントが起きているように感じる。個別の物語のシェアだ。メルカリなどの個人売買のネット販売の拡大がそういった何かを感じさせる。
個人売買においてはいい人が出品しているのが前提で、悪評が出た人は排除される。そしてさらにちょっとした言葉をつけたりして販売している。いい人といいことを伝えてゆくことで、物語が循環してゆく。そういった小さな物語を重視する店は伸びるのかもしれない。
そう、消費における大きな物語は消失してしまったのだ。個を追求した結果「量産系女子」つまりファッションにこだわらなくなった女子が増えたように、美すらも追求されない世界になった。
統計上はデフレマインドから脱しつつあるように語られるのだが、見えない30年間を過ごした日本人には全く信用できない。
次の物語が必要になっている。
カズオ・イシグロが面白くなって、「日の名残り」を読み始めた。面白い。冒頭からくどいほどにくどいが、くどいと晦渋は違うんだが、「忘れられた巨人」のあの難解さの方が記憶に残る。あのラストが、あのラストさえなければ、難解さは、いや難解なんていうものではない。自分がどう生きてきたのかを突きつけられるのだ。
読み方でラストの景色が全く変わる世界というのは、そら恐ろしいのだ。作家は何も言わないし、放り投げられたラストの絶望を誰もが持て余して、都合のいい解釈をしてしまう、つまりこの小説の世界をわたしらは追体験してしまうのだ。
恐ろしい。