どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

寒い3月

2012-03-22 19:06:40 | お天気
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2月が寒すぎたので、3月には期待していた。もう少し暖かくなるのだろうと。気象庁も桜の開花予報を例年並としていた。桜は積算気温で開花が決まるので、これは3月4月は暖かいだろうと予測している事にもなる。
なのに寒い。
なぜ?っていってもしょうがないのだが、昨年との比較をしてみた。結果昨年よりはマシかもしれないが、桜の開花は昨年と同じになりそうだ。
平年は4月20日で、昨年は21日だ。とはいっても昨年の桜はほころび始めてからの寒さでジトっと開花が押さえられて、ゴールデンウイーク前に一気に開花。ゴールデンウイークに入ったら一気に散ってしまった。





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さて桜の開花だと、最高気温をみなければ行けない。これの積算値で予想するからだ。結果現時点では昨年よりマシというだけ。最高気温も平年値からは低い。桜の開花は昨年並になるのは確実だろう。
全く南米沖の小娘(ラニャーニャ)のせいでこうなっているのかと思えば何とも言えない。その前に天気がグローバルであるという当たり前の事実がある。
地球温暖化現象というのがある。これがワケワカラナイことを起こしているのは間違いない。まあこれがCO2やメタンやフロンの影響なのか、はたまた太陽活動期に突入しているのか、人間の熱活動が地球が寒冷期になるのを押しとどめているのかは解らない。
そこにニュースが。南極観測隊の砕氷船「しらせ」の舵が壊れたそうだ。ここ数年南極周りの結氷が厚くなり、昨年は接岸できなかった。物資はヘリコプターで基地に運べたが、帰還時に氷で舵を壊してしまったようだ。
「しらせ」が結氷域にいる時点での事故だったので、閉じ込められる可能性もあった。そこで自衛隊は護衛艦を送る準備をしていたが、何とかなったようだ。「しらせ」は1.5mの氷に対応していたが今回の事故は南極で寒くなっているという可能性を感じる。
それでは北極海がどうして溶けるの?になる。
どうも地球温暖化はワケワカラナイ影響があるようだ。


ねこだらけ

2012-03-22 02:12:21 | インポート
ブログ再開でこのネタは無いだろうと思いますが、まだまだ忙しすぎてどうしようもない感じです。とりあえず春らしい?ネタで。
とはいっても今年の3月は寒いです。





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ねこが一杯います。



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岩手大学のそばの、定食屋のネコなのですが、以前紹介した通りの最大派閥です。秋には農学部系のネコが上回ったかもしれないと思っていたのですが、そんなことはなさそうです。



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春の日差しに誘われて、みんなでひなたぼっこなのでしょう。




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骨格・毛並とも貧弱な子が多いです。餌は多いのですが、強い個体の独占と、やっぱり数が多すぎるせいだと思います。



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この子はなつっこくて、スリスリしてきました。



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バッチリポーズも決めています。


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強者たちは奥にいました。序列があるようです。



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今日数えただけで12匹。やっぱり最大派閥のようです。


おことば

2012-03-14 03:07:09 | インポート
311の追悼式典で天皇陛下のおことばを、テレビがカットして放映したのが話題になっているようだ。その言葉が原発事故に対するものだったので、原子力ムラに配慮したのではないのかと言われている。NHKまでカットしている。
私はこの日、仕事だった。なので当然聞く事はなかったのだが、この時間だけ逃げ出して一人になっていた。もうギリギリだったのだ。なのでこれが問題になっているのは、昨日知ったばかりだ。
全文を読む限りカットする意味は無いと思うのだが、これはどうした事なのだろうか。
一番考えられるのは、メディアの差だろう。新聞ではおことば全文を掲載する事で、読者に客観的な判断を仰げれると考えたのだろう。テレビは、陛下が政治的に踏み込んだ発言をなされたと判断したのだろう。
もしかすると、この発言に対して陛下の真意を探る(ウラを取るとも言う)ために宮内庁に問い合わせた結果かもしれない。陛下のおことばはテキストなら問題は無いが、音声なら政治に影響すると判断したのかもしれない。前近代的だが、陛下のおことばにはそういった力が今でもある。
確かに現憲法下では象徴だ。なのでその発言は日本全体の意を汲んだものになる。そうゆう風に出来ている。
しかし象徴とされても、天皇の権威は根本的には変わらない。戦前より低いにしても認めざるを得ない。しかも天皇家が、日本の神を統べる天照大神の皇統であり、たとえそれが伝説だったとしても、国土の安寧を計る最古の司祭であるということだ。
まずは全文を転載しよう。





東日本大震災一周年追悼式 平成24年3月11日 国立劇場

東日本大震災から1周年、ここに一同と共に、震災により失われた多くの人々に深く哀悼の意を表します。

 1年前の今日、思いも掛けない巨大地震と津波に襲われ、ほぼ2万に及ぶ死者、行方不明者が生じました。その中には消防団員を始め、危険を顧みず、人々の救助や防災活動に従事して命を落とした多くの人々が含まれていることを忘れることができません。さらにこの震災のため原子力発電所の事故が発生したことにより、危険な区域に住む人々は住み慣れた、そして生活の場としていた地域から離れざるを得なくなりました。再びそこに安全に住むためには放射能の問題を克服しなければならないという困難な問題が起こっています。

 この度の大震災に当たっては、国や地方公共団体の関係者や、多くのボランティアが被災地へ足を踏み入れ、被災者のために様々な支援活動を行ってきました。このような活動は厳しい避難生活の中で、避難者の心を和ませ、未来へ向かう気持ちを引き立ててきたことと思います。この機会に、被災者や被災地のために働いてきた人々、また、原発事故に対応するべく働いてきた人々の尽力を、深くねぎらいたく思います。

 また、諸外国の救助隊を始め、多くの人々が被災者のため様々に心を尽くしてくれました。外国元首からのお見舞いの中にも、日本の被災者が厳しい状況の中で互いに絆を大切にして復興に向かって歩んでいく姿に印象付けられたと記されているものがあります。世界各地の人々から大震災に当たって示された厚情に深く感謝しています。

 被災地の今後の復興の道のりには多くの困難があることと予想されます。国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくようたゆみなく努力を続けていくよう期待しています。そしてこの大震災の記憶を忘れることなく、子孫に伝え、防災に対する心掛けを育み、安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います。

 今後、人々が安心して生活できる国土が築かれていくことを一同と共に願い、御霊への追悼の言葉といたします。




私は、戦没者追悼の式典とかでのおことばはおぼろげにしか記憶に無いが、震災で亡くなられた方々への祭壇に向かって、ほとんどが生者へのメッセージになっているのに驚いた。もちろん私が無知であるだけで、そういったものなのかもしれない。それにしても、初めと最後しか追悼になっていない。全体は御霊への報告にもなっていない。
そして、この式典に出るために心臓手術を受けたと言われているのも重く感じさせる。
この削除された部分の受け止め方は様々なものになっている。脱原発宣言と受け止める人が多いように思える。もちろんそうではないとも言える。
ただここで陛下が、昨年の3月17日に発表したビデオレターと比べると面白い。
http://www.youtube.com/watch?v=mOERcHmrCkA
実は構成としては、同じものになっている。


しかし、今回放送でカットしたことでおことばが別な方向に一人歩きしてゆくように思われる。それがどうなのかは解らない。良い事もあれば悪い事もありそうだ。
もしかすると経産省前の脱原発テント村に対する右翼のイヤガラセが無くなるかもしれない。もしかすると右翼・民族派と脱原発運動が結びつくかもしれない。三島由起夫の願いが部分的に実現するかもしれない。
政府が脱原発に向けてタイムテーブル(多分今後50年かけてとかいうバカげたものが出ると思うが)を作成し法律化するとかもあるかもしれない。東電を攻撃する右翼が増えるかもしれない。
さて問題は、この発言でガレキの焼却処分に暗雲が立ちこめたという事だ。陛下も認める除去問題があるガレキを受け入れる事は出来ない!そう受け止める人もいるだろう。逆に受け入れ自治体が、なぜか増える可能性もある。
多分、受け入れ拒否が広がるだろう。同一のタイミングで野田首相が、ガレキ受け入れを自治体に文章でお願いしたからだ。
このおことばがどうなるのか、私には解らない。でもガレキの山を焼却する設備を被災地に作った方が早いのは確かだ。その方向になってもらいたい。




PS
韓国のプサンで、2月9日原発の全電源喪失が12分間あったようだ。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120313/k10013686461000.html
補修のため停止中だったとはいえ、非常用発電機が動かなかった事は大きい。どんなに設計上多重保護になっていても、そのネットが機能しなければ意味が無い。更に韓国は国策で電力料金が安く押さえられている。電力会社は日本と同じ独占のようだが、かなりカツカツの経営とも言われている。
アメリカのスリーマイル事故が、逆に隠蔽の少ないまれに見る事故だったという事になりそうだ。



ダイヤモンドオンラインで、自民党の河野太郎議員が吠えている。本当に彼は自民党なのだろうか。
http://diamond.jp/articles/-/16547
自民党が現在の原子力政策を作ったのは確かだ。反省は当然だ。


ソニーがなんで

2012-03-13 19:57:43 | インポート
JBPressにソニー凋落似ついての記事があった。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34716
この記事を読んで、どこかで読んだ話しだと思いつつ大体そうなのだろう。だが私はちょっと違うと思う。

父がソニーファンだったので、我が家にはソニー製品が多かった。そこでソニーは丈夫だったかと言えば、そんな事は無かったという思い出がある。壊れる時は壊れる。むしろコンパクトだから壊れて当たり前という印象があった。ウォークマンなんて壊れてもそんなものだとみんな思っていた。ただソニー製品は高品質で高価格な分だけ、丈夫だったというべきだろう。
それがだ、どのメーカーも高品質になっていった。特にコンピューターの設計支援は大きい。生産される部品の精度と品質も安定してきた。そこでどのメーカーも、コストダウンの為に安全係数を下げて行った。安全係数とは、ある機械部品にかかる力に対して、何倍かの力がかかっても壊れないように余裕を持たせる設計の話しだ。
以前だったら品質が安定しない分安全係数は大きめに取らなければ行けなかった。精度が悪いと、無理な力がかかる怖れがあるのでこれもその文大きくしなければ行けない。コンピュータを使った設計はこの計算を精密にできるようになる。ソニーは小さくコンパクトな製品を作るために、コンピューターを多用したろうし結果ギリギリまで部品の強度を追い込んで行ったのだろう。
実はこの安全係数だが、安かろう悪かろうと思われていたパナソニックが逆に安全係数を上げていると思う。ノートパソコンなんて、その際たるものだと思う。
なおソニータイマーだが、私にも思い当たるのはCDプレーヤー、そしてパソコンのCDユニットだ。確かにソニータイマーはあった。だがこれはどうもピックアップに使っているプラスティックレンズの経年変化のように思われる。なので、他社でも同じ現象はあった。それなのになぜソニーだけが言われるのだろうか。
それはソニーの持っている神話が原因だ。ソニーは放送機器の国内有数のメーカーだ。放送では信頼性や品質がとても厳しく問われる。ここからソニーは丈夫だと言うイメージが出来ていたのではないのだろうか。
なのにソニーは、コストダウンのために努力しすぎてしまった。これが結果なのではないのだろうか。
ソニーが保守的になったというのは確かだろう。新しい事にチャレンジするイメージはあったが、今はそれは感じられない。これはどうしてか考えればすぐに思いつく。ビデオのベーターvsVHSの戦いに負けた頃から、新しいチャレンジがことごとく失敗しているからだ。成功したのはゲーム機部門だけ。しかもそれも任天堂にはかなわない。
デジカメの前身と言われるアナログ電子カメラ‘マビカ’とか、iPadの前身と言われるタブレットパソコンもソニーが先鞭をつけているのに失敗に終わっている。
がんばってもらいたいものだ。


311を過ぎて

2012-03-13 02:17:27 | インポート
ここ2週間廃人同様だった。仕事はこなせるが後はいっさいなんにも出来ない状態だった。片付け不能。例えば洗濯をするのだが、仕事の合間にチャッチャとやれば2槽式でも一時間はかからない、それが出来ない。4時間ぐらいかかる。洗剤入れたかどうかも忘れてしまう。やり直しになる事多数。
大体仕事が遅いのだ。合間も何もあったもんじゃない。ズルズルと作業してしまうから何もかもスムーズに流れない。確定申告の計算も、ちょっとやってすぐ保留。ネットに繋いでニュースを見て、何か検索して、それでボーット読んでいるから何も読んでいないのと同じ。
先に出した「故郷」問題なんかも、あの程度チャッチャといつもはまとめれるのだがなんと4日かかっている。なんで飛躍ばかりある文章になった。考えのポイントは見えているのに全然言葉にならない。言葉を見つけた瞬間に、その言葉を忘れてしまう。
それがだ、12日になった。午前中までは憂鬱だったのだが午後から確定申告の書類をまとめる作業を始めたらあっさりとまとまってゆく。領収書の束がスムーズに整理されてゆく。そこで前に整理した束がグチャグチャなのに気がついた。それも整理しながら計算してゆくのだが、あっさりと終わってしまった。
申告書は清書して13日に出すつもりだったのだが、もうちょっとがんばれば12日には出せたくらいだった。5時を過ぎてしまったので人にあったりしていたのだが、これもまた何か違う。冗談が出てくるのだ。そういえばこの人もしばらく冗談なんて話していなかった。昨日はずっと黙り込んでいた。
311のプレッシャーがあったのだろう。12日はなにかハジけた日だった。
もちろんこの日は栄村大震災があったし、福島第一が水素爆発した日でもある。それでも一年生きられたという安堵があるのだろう。
本当に辛かった。この盛岡でもそう感じるなら、被災地ではどうなのだろうか。
最後に、震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。そして一年過ぎた事で安堵しているのを、大目に見てください。不謹慎なのは重々承知です。