8月になるのに、いまだうっとうしい雨が続いています。
異常気象ですね。
さて、社会保障のABC、開会の国民健康保険法の歴史です。
現在の国民健康保険法の基盤は、農山漁村のひどい生活を改善したいという理念
というより、当時の健兵健民政策のおかげで急速に普及したのは皮肉ではありま
すね。
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国民皆保険・皆年金(10)戦前の国民健康保険法
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
前回見たように、農民などを対象とした国民健康保険法は、1938年(昭和
13年)に施行されました。
病気になっても医者にかかれないような農山漁村のひどい生活実態を改善し、
都市部だけでなく全国に医療を普及させたい――これが、法律が作られたそもそ
もの目的でしたが、施行前年には日中戦争が勃発し、国力増強に向けて国民の体
力を向上させるという役割も担うようになりました。
■「健兵健民政策」
そのあたりのことは、「国民健康保険二十年史」という1958年(昭和33
年)に刊行された本を見るとよくわかります。国民健康保険制度発足20周年を
記念して、35人の関係者が文章を寄せているのですが、1944年(昭和19
年)に厚生省(当時)保険局長となった伊藤謹二さんの「国民健康保険の思い出」
という寄稿の中に、こんな記述があります(読みやすいように少し言葉遣いを変
えてあります)。
「法律制定当時の国保(国民健康保険)の主眼点は、農山漁村民の防貧な
いし生活の安定だった。その旗印が時局の激化と共に完全に改められ、大東亜共
栄圏を建設しようとする大理想達成の強力な手段となった。つまり、当時謳(う
た)われた人口増加策や健兵健民政策の担い手としての使命を課せられたのであっ
た。国民皆兵という言葉に対応させる意味からだろう、国民皆保険という標語も
生まれていた」
当時、戦争のための最も重要な国策が、「健兵健民政策」でした。人口を増や
し、健康な国民や兵隊を育成するといった意味です。この政策を推進するために、
厚生省は、「国保なくして健民なし」と謳い、国民健康保険制度の一層の普及に
力を入れたのです。
■組合の強制設立
普及拡充に向けた具体策の一つが、1942年(昭和17年)に行われた国民
健康保険法の改正です。国民健康保険組合の設立は、それまでは任意でしたが、
地方長官が必要だと認めた場合は、強制的に設立しなければならなくなりました。
また、組合が強制的に設立された場合は、組合員として資格のある人はすべて加
入しなければならなくなりました。
当時の厚生大臣だった小泉親彦・陸軍軍医中将は、1942年度から3か年度
内に全市町村に国民健康保険組合を設立することや、国民健康保険を中心とした
“国民皆保険”施策を強力に実行することを打ち出しました。
こうした方針のもと、国民健康保険の一大普及計画が行われ、1943年度
(昭和18年度)末には、市町村の約95%で国民健康保険組合が設立されまし
た。政府は国民健康保険法を作った当初、1947年(昭和22年)までの10
年間に、約6000組合、約2500万人を加入させる目標をたてていましたが、
1944年(昭和19年)には、組合数は1万を超え、加入者数も4000万人
を超える普及ぶりでした。
一方、勤め人やその家族を対象とした健康保険制度も、1943年(昭和18
年)頃には、適用事業所数は16万、加入者数も800万人を超え、急速な勢い
で増えていました。
■制度が立ちゆかなくなる
しかし、太平洋戦争(1941年~1945年)が進むにつれて、国民健康保
険制度も、健康保険制度も立ちゆかなくなりました。戦地に人がとられ、空襲、
疎開などによって医療機関は閉鎖され、医薬品もなくなっていきました。健兵健
民政策を推進するために、国民健康保険制度と健康保険制度の両方を普及・拡充
させ、国民みんなに医療を行き渡らせようという、戦前の“国民皆保険”構想は、
うまくいかなかったのです。
なお、「国民健康保険二十年史」には、「国民健康保険史上から見れば、19
42年度からの3か年運動を『第一次国民皆保険』ということができる」と書か
れています。このコラムの最初の頃にご紹介したように、日本の国民皆保険体制
は、戦後の1961年(昭和36年)に実現しました。国民みんなに医療を保障
するという点では同じでも、戦前、小泉厚生大臣が目指した国民皆保険は、健兵
健民政策の思想に基づいていたこと、給付内容は健康保険に比べて見劣りするも
のが大半だったこと、一夜漬けで作られた組合もあったこと、診療よりも、保健
婦による保健活動が事業の中心だったことなどを考えると、現在ある皆保険制度
と同列に論じることはできません。ただし、戦前に誕生した国民健康保険法や、
その普及の実績が、現在ある国民皆保険制度の下敷きとなり、その実現を容易に
したとはいえそうです。
異常気象ですね。
さて、社会保障のABC、開会の国民健康保険法の歴史です。
現在の国民健康保険法の基盤は、農山漁村のひどい生活を改善したいという理念
というより、当時の健兵健民政策のおかげで急速に普及したのは皮肉ではありま
すね。
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国民皆保険・皆年金(10)戦前の国民健康保険法
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前回見たように、農民などを対象とした国民健康保険法は、1938年(昭和
13年)に施行されました。
病気になっても医者にかかれないような農山漁村のひどい生活実態を改善し、
都市部だけでなく全国に医療を普及させたい――これが、法律が作られたそもそ
もの目的でしたが、施行前年には日中戦争が勃発し、国力増強に向けて国民の体
力を向上させるという役割も担うようになりました。
■「健兵健民政策」
そのあたりのことは、「国民健康保険二十年史」という1958年(昭和33
年)に刊行された本を見るとよくわかります。国民健康保険制度発足20周年を
記念して、35人の関係者が文章を寄せているのですが、1944年(昭和19
年)に厚生省(当時)保険局長となった伊藤謹二さんの「国民健康保険の思い出」
という寄稿の中に、こんな記述があります(読みやすいように少し言葉遣いを変
えてあります)。
「法律制定当時の国保(国民健康保険)の主眼点は、農山漁村民の防貧な
いし生活の安定だった。その旗印が時局の激化と共に完全に改められ、大東亜共
栄圏を建設しようとする大理想達成の強力な手段となった。つまり、当時謳(う
た)われた人口増加策や健兵健民政策の担い手としての使命を課せられたのであっ
た。国民皆兵という言葉に対応させる意味からだろう、国民皆保険という標語も
生まれていた」
当時、戦争のための最も重要な国策が、「健兵健民政策」でした。人口を増や
し、健康な国民や兵隊を育成するといった意味です。この政策を推進するために、
厚生省は、「国保なくして健民なし」と謳い、国民健康保険制度の一層の普及に
力を入れたのです。
■組合の強制設立
普及拡充に向けた具体策の一つが、1942年(昭和17年)に行われた国民
健康保険法の改正です。国民健康保険組合の設立は、それまでは任意でしたが、
地方長官が必要だと認めた場合は、強制的に設立しなければならなくなりました。
また、組合が強制的に設立された場合は、組合員として資格のある人はすべて加
入しなければならなくなりました。
当時の厚生大臣だった小泉親彦・陸軍軍医中将は、1942年度から3か年度
内に全市町村に国民健康保険組合を設立することや、国民健康保険を中心とした
“国民皆保険”施策を強力に実行することを打ち出しました。
こうした方針のもと、国民健康保険の一大普及計画が行われ、1943年度
(昭和18年度)末には、市町村の約95%で国民健康保険組合が設立されまし
た。政府は国民健康保険法を作った当初、1947年(昭和22年)までの10
年間に、約6000組合、約2500万人を加入させる目標をたてていましたが、
1944年(昭和19年)には、組合数は1万を超え、加入者数も4000万人
を超える普及ぶりでした。
一方、勤め人やその家族を対象とした健康保険制度も、1943年(昭和18
年)頃には、適用事業所数は16万、加入者数も800万人を超え、急速な勢い
で増えていました。
■制度が立ちゆかなくなる
しかし、太平洋戦争(1941年~1945年)が進むにつれて、国民健康保
険制度も、健康保険制度も立ちゆかなくなりました。戦地に人がとられ、空襲、
疎開などによって医療機関は閉鎖され、医薬品もなくなっていきました。健兵健
民政策を推進するために、国民健康保険制度と健康保険制度の両方を普及・拡充
させ、国民みんなに医療を行き渡らせようという、戦前の“国民皆保険”構想は、
うまくいかなかったのです。
なお、「国民健康保険二十年史」には、「国民健康保険史上から見れば、19
42年度からの3か年運動を『第一次国民皆保険』ということができる」と書か
れています。このコラムの最初の頃にご紹介したように、日本の国民皆保険体制
は、戦後の1961年(昭和36年)に実現しました。国民みんなに医療を保障
するという点では同じでも、戦前、小泉厚生大臣が目指した国民皆保険は、健兵
健民政策の思想に基づいていたこと、給付内容は健康保険に比べて見劣りするも
のが大半だったこと、一夜漬けで作られた組合もあったこと、診療よりも、保健
婦による保健活動が事業の中心だったことなどを考えると、現在ある皆保険制度
と同列に論じることはできません。ただし、戦前に誕生した国民健康保険法や、
その普及の実績が、現在ある国民皆保険制度の下敷きとなり、その実現を容易に
したとはいえそうです。