水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「五感・6」

2007-04-13 22:52:09 | Weblog



感性を誤解している。
感覚が鋭くなる、一方向に敏感になる。
それが感性だと勘違いしている。
それは、バランスと調和の崩れた現象だ。
「自称芸術家」に多い。
有名なゲイジュツカにも多い。
普通の感覚で、変だと思わないかぁ?

まぁ、他人に迷惑でなければ何だっていい。
ワシだって自称「イイカゲン道家元」だ。
自称「貧乏道宗家某亜流水上一族末裔」だ。
自称「天上天下唯我独善家師範代」だ。
公称の多くの政治家よりは、遥かにマトモだと思っている。
政治家や官僚ほど多くの人々に迷惑もかけない。

感性が出来てくる。
それは、他と自の共通感性だ。
だから感性があれば、迷惑な政治家にはならない。
感性があれば、役人は尊敬されるだろう。
感性があれば、もっとマトモな日本になっている。
感性は、ゲイジュツカより政治家や役人に必要なのだぜ。



(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「五感・5」

2007-04-13 10:09:14 | Weblog



五感は自分の内部から出発する。
深く、広く、静かに、微妙に進歩する。
進歩とは、自由になる事だ。
そして、進歩するほど他の内部へと到達する。

幸せも同じ。
浅い幸せは、自分から出発する。
個人的な幸せを「幸せ感」という。
深く、広く、静かに、微妙に受け止める。
すると、他の幸せと共鳴協調する事になる。
幸せは深くなるほど、自他の区別が無くなる。

五感を磨く事。
それは、鋭くなるのではない。
柔らかくなるのだ。
他へと近づく感覚を「感性」という。
個人的な感覚は「感性」ではない。
他の感覚を受け止めて、感性となる。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする