水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
第五章(2)
色即是空 空即是色 受想行識亦復如是
「色即是空」の直訳。
「この世(色)は実体が無い(空)」
味気無ぇ・・・。
少し加味しても
「物質界(色)は見えない法則(空)と離れてない」
・・・まわりくどい・・・。
そんな言われ方しても、誰も意味がわからない。
タヌキや妖怪や字も書けない人達に通じない。
通じないような言葉をブッちゃん(仏陀)は言わない。
一部の人達だけが、ウンウンと頷くような狭い経じゃないのだ。
ツマラン直訳はやめようぜ。
せっかくの名文句だ。
ブッちゃんは自信満々に言った。
「この世の出来事は(色)、どうにかなるさぁ~(空)」
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
第五章(1)
色即是空 空即是色 受想行識亦復如是
「色即是空」
心経で一番有名な言葉だろう。
「色っぽいネェ~チャンは即ち頭が空だ」
この迷訳も捨てがたい・・・。
だが、ブッちゃんは色っぽいネェ~チャンを差別しない。
ワシも差別しない。
贔屓もしないけど・・・。
まぁ、色っぽいのは個人的趣味だから、どうでもいい。
ここもマトモに直訳しては心経が活かせない。
第四章で「色不異空・空不異色」と言ったのだ。
話し言葉だということを忘れて訳すと繰り返しになる。
しつこいのは・・・嫌われる。
マジメの繰り返しは・・・うっとうしい。
魅力的なオッサンのブッちゃんやゲンちゃんだぜ。
マジメの押し付けなんざ、するもんかぁ。
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第四章(11)
舎利子 色不異空 空不異色
ワシ的訳。
「お前ぇよ~、この世は空しいよなぁ~。
だけどよ、空しいって事はさぁ、
苦しさだってイイカゲンってことだろ。
ならば、空しさが救いになるじゃねぇか」
ブッちゃん(仏陀)が舎利子に語った。
同時に多くの苦しむモノ達に語った。
冥想を通じてアクセスしている玄奘に語った。
心経の活用がここにある。
心経はブッちゃんの優しさに直接触れる事ができる。
空しさが救いとなる。
そうでなければ「空」の説明はいらない。
救いにならない「真実」などいらない。
「空」だから、救われるんだぜ。
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第四章(10)
舎利子 色不異空 空不異色
色不異空と空不異色。
何故続けたか?
同じような言葉を何故続けたか?
話し言葉なら納得できるのだ。
「空しいよなぁ(色不異空)」
「だけど、空しさが救いだぜ(空不異色)」
二つの言葉で優しさが溢れるのだ。
これを字面だけで訳したのでは味気無い。
正しいかもしれないが、心が通じない。
この後も同じようなパターンが続く。
優しい話し言葉だから、同じような単語になる。
だから訳を変えてこそ、活きる。
経は、活かして、初めて役に立つのだぜ。
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第四章(9)
舎利子 色不異空 空不異色
ここからの話言葉は優しさに満ち溢れている。
真実に満ち溢れているのではない。
真実は・・・人間では判断できない、と思う。
少なくても、ワシに判断できないのは間違いないぜ。
優しいから言葉が重なる。
似た言葉が続く。
優しさは幾らあってもいいのだ。
真実の言葉なら、似た言葉などいらない。
当たり前だろ。
ゲンちゃんを通してブッちゃんが語る。
ゲンちゃんの書いた心経を通して語る。
心経は優しさに満ち溢れている経だ。
真実などにこだわってない。
だからウソも例え話も平気で語る。
相手が元気になるなら、ウソくらいつくさぁ。
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第四章(8)
舎利子 色不異空 空不異色
苦しいモノ達は真実を求めているのじゃない。
救い、を求めているのだ。
この世の真実など、どうでもいい。
そんなのにこだわるのは、出来の悪い坊さん達だ。
精神世界に触れて理性を失ったサトリマニア達だ。
ブッちゃんは、優しいから仏陀(目覚めた人)に変わった。
真実を求めての修行は失敗した。
だが、優しさに目覚めたから、仏陀になったのだ。
真実にこだわっていたら、仏陀にはなれなかった。
ゲンちゃん(玄奘)も同じだ。
優しいから(見えない)天竺まで行けた。
優しいから、解りやすく心経を書いた。
優しさが「救い」になる。
真実(を求めるの)は・・・趣味だ。
文字にすれば短く硬い。
だが、話すのは柔らかい。
アイマイな言葉になってもいい。
目的は「救い」なのだ。
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第四章(7)
舎利子 色不異空 空不異色
話言葉だからこそ、優しく説明している。
経に書けば「空不異色」。
実際は優しい目のブッちゃんだ。
全てが愛おしい存在達に話しているのだ。
「ひょっとしたら・・・
空しいというモノがあるとして、
それが、この世にある全てに入っているかもしれんなぁ。
様々な事は実際にあるけど、
常に変化して、イイカゲンだしなぁ」
「苦しさもあるけど、楽しい事にも変わる時がある」
「誰かが死んでも、誰かが生まれ変わる」
「病気にもなるけど、健康になる時もある」
「イイカゲン(空)だからこそ、
この世は(色)救われるかもしれんぞ」
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第四章(6)
舎利子 色不異空 空不異色
日々、生きているのだ。
いろいろな事がある。
いろいろな苦しみがある。
何故苦しみがあるのか?
ブッちゃんが出家したキッカケだ。
人やケモノや妖怪の苦しみを観てきたのだ。
苦しみがある事を観てきたのだ。
「苦しみは実体がない」という表現もできる。
でも、それだけでは心に響かない。
苦しみを実感しているモノ達がいるのだ。
心経という濃縮した熟字では「色不異空」。
だが、ここは話し言葉だぜ。
そのままの訳では話し言葉にならない。
そのままでは心に響かない。
「生きているって、いろいろあるよなぁ」
「苦しい事も楽しい事もあるし、年もとるよなぁ」
「生まれてくるモノもいるし、病気になるモノもいる」
「川の形も変わるし、村だって変わる」
話し言葉の「色不異空」はこうだったろなぁ。
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第四章(5)
舎利子 色不異空 空不異色
「色不異空」の直訳。
「物質界(色)は実体がない(空)と同じ(不異)だ」
文章としては、何だかなぁ・・・。
禅問答マニアなら喜ぶかもしれんが・・・。
第三章で「五蘊皆空」とアッサリ書いちゃったのだ。
五蘊には色がすでに含まれている。
だから、そのままの訳をすると
「それ、さっき聞いたから」と指摘される。
心経はマジメに訳すと笑われる・・・。
ブッちゃんが静かに話した言葉だ。
「この世(色)は、空しいよなぁ・・・(不異空)」
誰の心にも響く。
苦しんでいる人々やケモノや妖怪の心に響く。
ブッちゃんの話は響くから、聞き入るのだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
第四章(4)
舎利子 色不異空 空不異色
「色不異空」「空不異色」の二つ・・・。
ほとんどの訳者は真面目だ。
(い、いや・・・全員マジメかも・・・)
だから、似たような訳を二つ並べる。
心経なのに、それでいいのかなぁ・・・。
心経はこのように似た言葉が多い。
その都度、生真面目に訳す。
・・・それじゃあ、芸がない。
それに心経だぜ。
余計な言葉は重ねない(と思う)。
(後半部分に例外があるけど・・・)
言葉は似ていても、訳は別にしよう。
訳は意味だろ。
言葉にこだわっては、意味の深さが伝わらない。
幸い、日本には俳句・短歌がある。
心経の訳の心構えは、アレだな。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)