水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
例えば百姓型の依存。
相手は自然だ。
理を解し、応用するのが生き方。
だが、相手の自然があまりに大きく深い。
理を解するのを放棄してしまうことがある。
自然を操ることはできない。
基本的には自然の為すままを受け入れる。
ある意味、依存以外に道はない。
だが、理解放棄してしまうと応用が出来ない。
自分の動ける分まで放棄してしまうからだ。
依存をするべき時や相手はある。
そこを依存しても、自分の持ち分もあるのだ。
全てを放棄する事と依存は違う。
依存を自分の積極的な生き方の方法の一つとしているかどうか。
百姓型の依存は、とらえ方により分かれるようだ。
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依存は自分の意思を持たないわけじゃない。
依存という意思で生きている。
しかし多くの人は自分の意思を出していないと思い込んでいる。
社会に依存する以外に生きる道は無いと思い込んでいる。
会社や組織に依存する以外に道は無いと思い込んでいる。
それは老若関係ない。
例えば学校卒業後の就職。
受けた会社全てに不採用だった時、依存属性が強いと絶望してしまう。
依存するべき相手がいないと、自分の道は無いと思い込んでしまう。
道など幾つもあるのに、見えなくなってしまう。
百姓型、職人型、漁師型にも依存属性はあるが、商人型ほど強くない。
依存が不能でも、基本的には一人で生きていける型だからだ。
依存が生き方を阻害するわけではない。
時には、あるいは状況に応じて、依存が良好な選択がある。
依存することにより、先に進める場合がある。
問題は、依存が生きる自主性を無くすと勘違いする事なのだ。
依存は、本人の自主的な選択として利用する属性だ。
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依存。
どんな人生でも歩くのは自分の足だ。
どんなに時代が歪んでいても、選択できる道がある。
生命がある、という意味は、自分で生きているからなのだ。
どんな生物も人も例外はない。
手枷、足枷の奴隷でも自分の意思で生きている。
その意思の一つに依存がある。
依存は他に任せて生きているが、そのような生き方を選んだのは本人だ。
属性として依存が大きく影響する型がある。
依存が世の中の仕組みだと勘違いするくらい違和感なく影響している。
それは商人型に多く出やすい。
元々が人の集まりの中でしか存在しない商人型だ。
一匹狼の商人型なんてありえない。
組織や社会という形態の中で発生した型だ。
自他を比べ、地位の区別をつけたのが商人型だ。
リーダータイプもいるが、それに従う依存商人型の方が多い。
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商人型の探究癖は多い。
商人型の場合、ある程度の結果が出てからだ。
商人型の得意は、名利を成す事でもある。
一応社会的に成功した時、ハタと気付く。
商人型は自分のモノが無い。
結果が全てだから、例えば金持ちになれば成功なのだ。
それが偶然評判となった。
運がよかった。
相手が無知だった。
とにかく、結果が出れば成功者となる。
どんなに実年数が短くても、歳が若くても関係ない。
すると、金や地位や名前はあるが、実態が伴わない。
実態は商人型にとって関係ないのだが、本人に空しさが出る場合がある。
実態は見えないモノ。
商人型は見えるモノで判断していたのに。
そこで、見えない法則や理由などを考え、探究する。
成功の法則。
私が成功した理由。
その他モロモロ。
もちろん商人型だから、それを売り出す事も計算に入れて。
商人型の探究癖は、商品の一部となる。
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探究。
職人型の癖でもあるが、属性として他の型にも付くことがある。
職人型は探究癖がなければ、先に進めない。
探究が無くなったら、職人型としての生き方は終わりだ。
あとは先生とか親方とか指導する立場になる。
社会的には指導者が評価されるが、プロの職人達からは軽く見られる。
探究しない、とはそこで止まってしまった職人だから、引退と同じなのだ。
例えば百姓型。
自然への理解と応用が相手だが、あくまでも応用が主なのだ。
だが自然はあまりにも大きく広く深い。
その為、理解への道をどこまでも進んでしまう場合がある。
理解度は深まり研究者としてはいいが、百姓型としては失格になりやすい。
応用し実を作るのが生き方なのに、研究に没頭してしまう。
つい、理屈や理論ばかりの百姓型になってしまう。
例えば漁師型。
勝負は結果だ。
多く獲物を獲ったか、大きな獲物を仕留めたか。
相手に勝つ、という結果だけが生き方なのだ。
それには相手の研究もする。
それが結果に結びつかないなら、探究は弊害にさえなりかねない。
つまり探究癖というのは、基本的に役に立たない。
この属性を持つと、職人型以外は歪みがでてしまい苦しみやすい。
職人型は最初から役に立てようという意識が薄いのでいいのだが。
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商人型は所有が生き甲斐だから、その為の収集がほとんどだ。
だが所有につながらない収集もある。
収集はこだわりなのだが、生きてきた証としての収集もある。
他人との比較はない。
自己満足の収集だ。
例えば職人型。
画家のほとんどは職人型だ。
自分の内部が相手の型だ。
通常、作品は単なる過程の表現品。
だが、最初から自己作品を収集する場合がある。
それは、自分が生きてきた証だからだ。
例えば漁師型。
勝負が相手だが、記念を収集する場合がある。
獲物の一部や魚拓など。
格闘家(これも漁師型)ならタイトルやベルト。
自分の能力の証として収集する。
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収集は所有という概念が土台になる。
現代では、人間は所有欲があると思われている。
ところが所有という観念は、かなり時代が経ってからだ。
人類の歴史という尺度なら、ほんの数センチ前からだ。
数千年前に、人は組織を作り、国という概念を作った。
数百万年前からの歴史の100分の1にもならない最近だ。
国を統治する極一分には所有という概念が芽生えた。
が、大部分の人間には所有という概念はなかった。
例えば日本。
明治になるまで、大部分は苗字がなかった。
つまり、家柄という概念がなかった。
あったのは極一分の武士階級や貴族階級と江戸中期以降の商人だけだ。
苗字が無ければ、財産という概念は生まれない。
所有しても意味が無いのだ。
もちろん、一生の中で一時的には所有はある。
欲はあるからだ。
あっても人生の儚さも日常茶飯だ。
所有や収集に生き甲斐を感じるのは、一部の特権階級だけだった。
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集めることに生き甲斐を感じる。
集めることで楽に生きられると思っている。
出来る限り多く集めたい。
それが目標であり、楽しみでもある。
そして、他の人も同じだと思っている。
収集という属性は、他を意識し比べる傾向がある。
例えば本来は自然が相手の百姓型。
収集の属性を持つと、他の百姓型への意識が強まる。
収穫物の多さ、農耕地の広さなどを意識する。
収穫物だけではない。
培った技術、知恵、知識。
多く集めると、自分が上位になったように感じる。
他の百姓型や人社会のリーダーになる。
もちろん、それは良否ではなく生き方の一つだ。
それにより、導かれる人は感謝するだろう。
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収集。
モノを集める生き方。
対象は物質だけではない。
例えば、お金という価値観。
欲しいという気持ちは多くの人にあるだろう。
(私も欲しいぜ・・・)
それだけでは収集にならない。
具体的な生き方として、収集が癖となっている。
収集の為に働く、行動する。
時には、収集が人生の目的だと勘違いする。
見えないモノも収集癖の対象だ。
例えば知識。
能力。
評価。
もちろん収集により、自他に貢献することもある。
癖は善悪や正誤とは関係ない。
欲という意識は誰にでもある。
生きているなら、どんな生物にでもある。
生命は欲が無いと維持できないのだ。
宗教組織の言う無欲になりなさい、なんていうのは無知の言葉だ。
無欲になったら生きていられない。
この説明は、ここでは関係ないからしないが、当たり前のことだ。
だから、欲と収集は別次元のことだ。
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属性は主性と影響し合って、意識や生き方に現れる。
主性は土台だが、その上に立つ建物は改造できる。
その建物が属性になる。
同じような材料の建物でも土台が違う。
土台は同じでも、材料によって建物は変わる。
この属性は深い癖という表現もできる。
心の底にある癖。
同じ型でも属性により、生き方は大きく変わる。
ただし、癖は変えることができる。
自然に変わることもある。
複数あるが、とりあえず五つに代表させた。
収集。
探究。
依存。
支配。
享楽。
それぞれの型に付随するし、複数の属性が付随することもある。
だから、人は多種多様な生き方をする。
しかも変化するから、○○な人、などと決め付けられない。
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