水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
弥勒は女好きと誤解される。
すぐ手を握る。
すぐ尻を撫でる。
「私の子を産んで・・・」と口説く。
こんな程度で女好きと決めつけてはいけない。
弥勒は優しいだけだ。
弥勒は「いいかげん」なだけだ。
実はそれほどオナゴに固執してない。
サービス精神が素直に行動に出るだけだ。
本当に好きなオナゴには遠慮する。
結構シャイなのだ。
尻を撫でるのは本心を誤魔化している。
その場面がある。
「珊瑚、お前は特別なオナゴだ。
だから、オナゴとして好きになるまいと思っている。」
「はぁ~?」
「お前は一緒に戦う仲間だ。」
珊瑚の気持ちを知っている一行から非難されるが、
珍しく弥勒の誠実な本心が観える。
だが、もう逃げられない。
言葉は続く・・・。
「奈落との戦いが終わり、そして私が呪から解放されたら、
珊瑚の故郷で一緒に暮らそう。
そして・・・私の子供を生んでくれ」
ロマンチックな場面だ。
だがそれだけでは浅いオトコだ。
「じゃあ、もう浮気はしないよね」
「うっ・・・そ、それは・・・」
「しないよね!」
「・・・・・」
「するんだな・・・」
これでこそ、誠実な自然体な姿だ。
どんなに大切な場面であっても、
出来ない約束をするオトコではない。
仏の道を歩く身だ。
弥勒は信頼できるヤツなのだ。
上記の場合、珊瑚が幼いだけだ。
今後、弥勒が少しづつ育てるだろう。
心は「いいかげん」で大きく育つ。
心は育てないと幸せから外れやすいのだ。
「弥勒・4」
珊瑚と弥勒のカップルは一応成立している。
だが真っ直ぐな珊瑚は弥勒を理解できない。
珊瑚を特別なオナゴと言った事を理解できてない。
他のオナゴの尻を撫でる事を理解できない。
弥勒はとても誠実なんだけどなぁ。
真っ直ぐな心は狭くなる。
真っ直ぐは他を理解できなくなる。
真っ直ぐは自分だけしか守らない。
真っ直ぐは自分だけが誠実なんだ。
珊瑚は可愛いオナゴだが、幼すぎる。
この世は自と他で成り立っている。
タイプの違う相手も多々いるのだ。
思い通りにならない相手も多々いるのだ。
真っ直ぐでは衝突してしまうのだ。
真っ直ぐから平和は生まれない。
悲しみ、苦しみ、淋しさ。
真っ直ぐだけでは癒されない。
珊瑚が弥勒に惹かれた理由。
弥勒の「やわらかさ」なのだ。
弥勒だから珊瑚を癒せるのだ。
一人の人間だけを一生愛する。
そういうタイプもいる。
一人の人間だけに一生愛される。
それで幸せなタイプもいるだろう。
だが・・・とても特殊な条件付きだ。
人の心、人の世。
そんなに単純に創られていないぞ。
複雑で矛盾したモノが集まった心だ。
複雑で多種多様なモノが集まった世だ。
「やわらかさ」が無ければ救いにならない。
弥勒は・・・仏の道を歩く者。
そして自他の幸せの求道者だ。
真っ直ぐでは歩けない。
生真面目では歩けない。
歩いたら、偽(善)者になると知っている。
仏の道は「やわらかい」。
正しい道を示すのではない。
間違いを認める道だ。
罰なんて無い、と安心させる道だ。
黙って「あたためる」道だ。
弥勒は、故に、一見、スケベに見える。
(それほどではないが、スケベではある・・・)
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
寺で修行をした。
掌に風穴という異次元空間を持つ。
特殊能力ではなく呪の力だ。
いずれ風穴が広がり死を迎える。
奈落という魔と立ち向かう犬夜叉達。
弥勒は犬夜叉達と同行している。
世界の平和の為でもあり、呪を解く為でもある。
祖父と父の仇でもある。
そんなシビアな運命を歩いている。
シビアだからこそ洒落る。
厳しいからこそ微笑む。
死と隣り合わせだからこそ生を尊ぶ。
生を尊ぶとは愉しむ事だ。
生を尊ぶから自然体になる。
自然体だから不マジメだ。
生真面目は自然体でない。
不マジメだがデタラメではない。
自然体は「いいかげん」だ。
その時、その場で変化する。
弥勒は我を忘れる事が少ない。
犬夜叉は感情に流されて行動する。
弥勒は感情を愉しんで行動する。
我(が)が感情を使いこなしているのだ。
心のバランスがとれたホンモノの坊さんだ。
我を無くすことは出来ない。
肉体は我が維持をしているからだ。
無くしたら・・・死んじゃう・・・。
無くそうと修行するのは時間の無駄使いだ。
人生は大切に使おうぜ。
無くす事は出来ないが使いこなすことは出来る。
完全でなくても、ある程度は使える。
我に使われるだけの人生はツマランぞ。
我なんて小さく可愛いヤツだ。
本気で相手をするほどの大きさじゃない。
適当に愉しむ為にも我を可愛がろうぜ。
我を無くせ、という指導者はニセモノだ。
いいかげんなワシより未熟者だ。
アホなワシより無知だ。
さっさと見切りをつけようぜ。
精神世界に係わるつもりなら、
犬夜叉のマンガを読みなよ。
そして弥勒法師から学ぼう。
学べないようなら、係わらない方がいいぞ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
珊瑚を書いていたら「弥勒」が出てきた。
ワシが目指す一人でもある。
勘違いしないでくれ。
56億7千万年後に現れる弥勒菩薩じゃないぞ。
犬夜叉一行の弥勒法師だ。
ワシは節操が無い。
更に節操無く生きようとしている。
目指す方向の人物像も沢山いる。
遥か彼方に光るのはダライ・ラマ法王。
そしてマザー・テレサ聖女。
少し身近で二人の御師匠様。
故関英夫先生。
他にもいたなぁ・・・
え~と・・・誰だっけ?
このように実に無責任の無節操だ。
ここまで無節操なら何人増えても構わない。
素敵な人は多いほどいいだろう。
目指す人達は多いほどいいだろう。
下手な鉄砲も数打てば当る・・・かもしれない。
ワシはそう思った。
そこで犬夜叉に出てくる弥勒法師だ。
一番好きなキャラクターかもしれない。
モンク無く、目指す人物像になった。
だが知らない人が多いだろう。
だから紹介とワシ流の解説を加える。
もちろん独善なのはいうまでもない。
「私の子供を産んでくれませんか?」
初対面のオナゴの手を握り、マジメ顔で言う。
二度目であっても、前回は忘れている・・・。
逆にオナゴから「昔、弥勒様に抱いていただきました。」
と言われても、本当かどうか憶えてない・・・。
理想的な無節操と無責任なスケベオトコだ。
仏の道を生きる証の法師姿だ。
困っているオナゴがいたら手を出さずにいられない。
例え、それが妖怪のワナだとしても・・・。
ここに注目してくれ。
弥勒は相手が妖怪だとしても手を出すのだ。
なんて優しいのだ・・・。
これが仏道を歩くホンモノの坊さんなのだ。
ワシはどうせ歩くならホンモノの道を歩きたい。
オナゴであるなら、妖怪でも幽霊でも相手をする。
ワシの治療方針はこうして出来上がった・・・。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
珊瑚は腔腸動物という動物である。
植物ではないのだ。
クラゲやイソギンチャクなどの仲間でである。
腔腸動物でも石灰質の硬い骨格をつくるものを珊瑚という。
彼女や妻がイソギンチャクな場合もある。
確かに、石灰質の骨格もある。
しかし、彼女や妻は珊瑚の仲間ではない・・・。
入試試験で引っ掛け問題として出るから注意しよう。
(そんな学校があったら、日本はもっとマシになるだろう)
珊瑚は小さな小さな虫が集まって出来ている。
群体というが、軍隊ではない。
平和的な生き物だ。
軍隊は平和を維持出来ない。
当たり前だろ・・・。
珊瑚は小さな個虫が集まり、樹木状になる。
虫の命は儚い。
しかし石灰質の硬い骨格が残る。
それが装飾用として使われる珊瑚だ。
珊瑚の骸骨なのだ。
死んでから役に立つという点。
人間より珊瑚が上、ともいえる。
人間の骸骨はほとんど役にたたない。
まして、装飾にはならない。
人間が虫よりエライ、などと驕ってはいけない。
アナタは虫より役に立たないかもしれないのだ。
珊瑚にはもっと大きな役に立つ特徴がある。
珊瑚は環境ストレスに弱いのだ・・・。
その為、珊瑚は地球環境の悪化を警告してくれる。
珊瑚が綺麗に育たない海は危ないのだ。
海の環境悪化が進めば、生物のほとんどは危ない。
もちろん人間も苦しみの挙句、滅亡に向かう。
しかしアホな政治家達は「命」が理解できていない。
優秀大学を優秀成績で卒業し、優秀な世渡りで政治家になれる。
優秀な人達は劣悪非道な人間に育つ事を知ってくれ。
人間社会の優秀は「命」次元からはアホ製造システムなのだ。
生きとし、生けるモノ全ての幸せ。
それは地球生物としての自覚だ。
自覚をマヒさせる事が優秀と評価される人間社会。
決して優秀な人間に育ててはいけない・・・。
自他にとって、苦しみを増やすだけだ。
珊瑚を見て、珊瑚を観る。
珊瑚から地球が観える。
珊瑚から人の生き方を学ぶ。
イソギンチャク(の仲間)は大切に扱おう・・・。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
現実の出来事の「琥珀」を書いた。
ならば「珊瑚」も書こう。
珊瑚といえば・・・犬夜叉だ。
知る人ぞ知る、るーみっくワールド。
犬夜叉世界では「琥珀」は「珊瑚」の弟だ。
しかも死人(しびと)だが生きている・・・。
四魂のカケラによって生かされている。
幼いくせにシビアな役割だ・・・。
元々は妖怪退治部族頭領の息子だ。
珊瑚もシビアな役割だ。
るーみっくワールドはシビアな世界を描いている。
脚色としてギャグを使っているが、本質は悲哀だ。
悲哀と同時に人の弱さの温かさを描いている。
「弱さのあたたかさ」
それをブッちゃん(ブッダ)は「慈悲」と表現した。
珊瑚が好きになってしまった坊さんがいる。
弥勒というスケベ丸出しの青年だ。
風穴という致命的な運命を背負っている法師だ。
弥勒もまたシビアな運命と共に歩いている。
だが弥勒はとても「いいかげん」だ。
法師の姿をしてウソも平気で言う。
法師の姿をして、平気でスケベ丸出しをする。
だから、心底信頼できる仲間だ。
綺麗事だけしか言わない人は信頼出来ない。
「いいかげん」な性格はシビアな人達を救う。
「いいかげん」は深刻を救済する仏の法なのだ・・・。
生真面目な珊瑚が弥勒を好きになったのは理屈じゃない。
弥勒の自然体は魂を癒す作用がある。
珊瑚は真っ直ぐなオナゴだ。
だから苦しむ。
人は真っ直ぐでは苦しむのだ。
人の自然体は真っ直ぐではない。
「苦」は自然体から外れると警告として起こる現象だ。
珊瑚は弥勒と出会い「やわらかさ」を学ぶ。
人は「やわらかく」て「幸」を感じる。
「あたたかく」て「幸」を感じる。
悲しみや哀しみがあっても「幸」は得られる。
弥勒は生き方で、それを示している。
(参考: 高橋留美子「犬夜叉」小学館
少年サンデーにて連載中である。)
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
ワシは買い物が大雑把だ。
「あ、コレとソレでいいやぁ・・・」
吟味して買うタイプではない。
丹精込めて作ってくれた人に申し訳ない。
普段エラソウに言ってる事と矛盾している。
まぁ、しょうがないかぁ・・・
ワシなんて矛盾から生まれたような人間だし・・・。
小さな琥珀の根付け(ストラップ)。
色弱のワシは色の区別が苦手だ。
細かい色事に向いてない・・・。
一つ一つが天然の違う色の琥珀だ。
本妻も愛人もそれぞれ勝手に選んでくれ。
成り行きで買ったようなものだ。
店から出にくいので買ったようなものだ。
本妻と愛人の二つ買えばいいと思っていた。
ところが、つい、ハズミでワシ用まで買った。
特に欲しいと思わなかったのに・・・。
帰ってきて携帯に取り付けた。
数日たって、覗いて見た。
あれぇ?・・・虫が入っている。
しかも綺麗に触覚と羽を広げている。
何かの破片と重なっているので、
角度によって見つけにくかったのだろう。
妖精だ。
ワシはそう思った。
ワシは独善家だ。
勝手に好い様に解釈する。
他の人の意見は関係ない。
ワシがそう思ったのだ。
モンクあるか?
ラッキーだぜ。
これで、更に幸運が訪れる。
8500万年前から待っていたのだ。
ワシを待っていたのだ。
早速「氣入れ」をする。
ワシと8500年前からの妖精との交流だ。
「氣」は「時」を超えて作用する。
そこで双方に「氣」が通うのだ。
今回の盛岡出張にも多重の意味があった。
直接の依頼主との縁だけではない。
旧知の人達との再びの交流だけではない。
ワシの「運命」が呼んだ。
今後の為に・・・。
それが何であるかは、ワシは未だ知らない。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
日本で商業採掘し製品にしているのは一社のみ。
その店が盛岡駅ビル内の土産横丁にあった。
琥珀は宝石として値段の高い方ではない。
それでも世間から3段階下層で暮らすワシだ。
きちんとしたペンダントやネックレスなどは無理。
一番安いのが根付け(ストラップ)だった。
御土産は買った行為が喜ばれる。
買ったモノではないのだ。
その心配りを喜ぶものなんだ。
モノによってモンクを言うような相手もいる。
そういう相手とは縁を切ればいい。
ワシと付き合う本妻や愛人は理解している。
その喜ぶ笑顔を見たくて、安物買いをする。
本妻に一つ。愛人に一つ。ワシに一つ。
(愛人達は平等だが、代表として身近な一人に・・・)
本妻と愛人は同等だが、ワシはワシに贔屓する。
ワシも他のモノ達も平等だが、贔屓はする。
贔屓は個人的趣味の問題だ。
メンドウクサガリ屋のワシは身近に贔屓する。
身近なら、ワシ本人だろうが他人だろうが関係ない。
だから一番身近にいるワシ自身に贔屓する。
モンクあるか?
そういうわけで、ワシの根付けだけ少し大きい。
大きいといっても、その店ではオマケのような製品だ。
「琥珀は中に虫が入っているのが高くなります」
そうだろうなぁ・・・
8500万年前の姿を止めているのは琥珀以外に無い。
(久慈琥珀は外国琥珀よりかなり古いものなのだ)
命懸けの代償として治療費をいただく。
「氣」の力はワシの力ではない。
だが交換交流するダメージはワシの命だ。
氣功料金というが「氣」の値段ではない。
「氣」はタダなのだ。
ワシの身体と命と生活に料金が必要なのだ。
ここが他の施術師とワシの違いだ。
技術や経験や知識の施術はその人のモノだ。
その人の力と技の代償が料金だろう。
通常の施術師の料金は力と技の料金だ。
ワシは力も技も無い。
(蛇足だがイロオトコでも無く金も無い・・・)
あるのは交換交流するワシの身体と命だ。
もう一つ・・・いいかげんな性格だ。
見ず知らず相手に命を投げ出せる性格だ。
(う~m・・・単なるアホではある・・・)
ワシの命の代償だから安い・・・。
安いけれど、貴重な金だ。
クライアントにとっても貴重な金だ。
簡単にン万円やン十万円のアクセサリーに使えない。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
日本原産の琥珀は岩手県久慈市しかない。
流通のほとんどは外国産だ。
日本産は1%以下といわれている。
古さも色の種類も外国産より飛び抜けている。
日本産は結構貴重なのだ・・・。
鉱物は「氣」の塊。
その中でも「純粋な氣の塊」を宝石とよぶ。
「純粋な氣」は一つの方向を持つ。
だから宝石は貴重で使い方があるのだ。
単なる見栄の飾り物じゃないんだぜ。
宝石の使い方を知らない成金の人間達。
ネコに小判、ブタに真珠、アホに宝石なのだ。
宝石は使い方で「氣」を呼ぶのだ。
その「氣」を活かすと、いろいろが出来るのだ。
でも・・・まぁ、飾り物でもいいかぁ・・・。
下手に使い方を憶えて迷惑になるよりも・・・。
鉱物や石化した宝石は原産地と深く係わる。
「時」の意味を知れば、当たり前だ。
その土地に存在する、あらゆるモノ達を楽にするグッズだ。
地球(ガイア)と「時」がプレゼントしてくれたものだ。
原産地と現地に存在するモノ(人を含む)は深い関係がある。
有機物の宝石(石化)も同じだ。
真珠や珊瑚や琥珀などだ。
仏法で七つの宝と指定されているのにも意味がある。
仏法は人(だけじゃないけど)の幸せを説(解)いた。
それらを応援するグッズとして七宝を紹介したのだ。
ワシは偶然で生きている。
成り行きのラッキーで生きられる。
今回、偶然に日本原産の琥珀に出会った。
金の無いワシが、つい、買ってしまった。
もちろん、超安物ではある。
だが、価値は値段じゃないのだよ・・・。
目に見えるモノにも価値はある。
だが圧倒的に目に見えないトコロに価値はある。
そして現代人は目に見えないモノを観る力が低下している。
だから判断力が低下しているのだ。
その為、他が付けた価値を気にする。
価値として値段で判断する。
値段が高ければ、価値があると思ってしまう。
値段=価値の固定概念が出来上がる・・・。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
今月は盛岡に氣功治療で出張していた。
帰りに駅ビル内で御土産を買った。
岩手限定カトちゃんの冷麺根付。
メダマオヤジのわんこそばバージョン・・・。
ちなみに岩手限定冷麺キティちゃんは不評だった・・・。
これは豚子(小6)は女の子っぽいのが苦手だからだ。
スカートなんて嫌いらしい・・・。
フリフリやピンク系統は絶対身に着けない。
野球帽をナナメにかぶり、ジーンズに手を突っ込んで歩く。
靴や衣服は青や黒。
だからキティちゃんは友達にくれたようだ・・・。
その土産横丁内に「久慈琥珀」があった。
琥珀は石ではないが、石状ではある。
似ていれば、細かい事は言わない。
大雑把やいいかげんが、愉しく生きるコツだ。
ワシは何故か石類が好きなのだ。
ワシの石好きな心を分析してみる。
これはワシがフニャフニャしているからだろう。
(フニャフニャしているのは性格である。
決して身体の一部を想像してはいけない。
指摘されれば、ワシだって落ち込むのだ・・・)
人は逆タイプにアコガレる。
石は意志が固い。
体も硬く剛健である・・・。
ワシとは正反対だ・・・。
ある意味「こだわる」と純粋になる。
純粋は固くなり、そして硬くなる。
最終的には鉱物となる。
だから人の生き方としては、純粋は間違いだ。
人は「やわらかく」生きるのが自然体だ。
純粋に「こだわる」のは鉱物の生き方だ。
人は動物であり、鉱物は静物である。
それぞれが、自然体であり双方必要でもある。
だが、混同混乱混交すると不幸になる。
自然体から外れる事を不幸という・・・。
人は「いいかげん」で自然体なのだ・・・。
硬いのは時に応じる一部分でいい・・・。
人の純粋は「いいかげん」でいい。
しかも一部分だけでいいのだ。
時々ならば魅力あるが、年中なら疲れるだろ?
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
「老後に備えて愛人宣言しよう」
ワシはそんな事は薦めない。
第一、ワシは愛人を募集してない。
第二、老後なんて意識しない方がいい。
第三、増えたら対応できない・・・。
愉しく生きるにはどうするか?
ワシはそれを示し、その手伝いが仕事だ。
生命力の活性化だけが興味ある。
副効果として病からの回復がある。
つまらぬ固定概念は生命力を活かさない。
社会的倫理観といわれるものは時代で変化する。
つまり本来の生命力側に沿ってないのだ。
社会常識や社会法律も為政者に都合よく変化する。
安易な道徳を声高に叫ぶ人は信用ならない。
(本来の道徳はもっと深く優しく万物に共通だ)
「愛人」は特定の二人のだけの関係ではない。
「愛しい人」は多くの人達に共通する。
ある層なら全員同じ立場になれる。
愉しく、嬉しく生きる共通認識だ。
嫌なら仲間にならなければいい。
人の生き方はそれぞれだ。
たかが「愛人」に過剰反応するのは異常だぜ。
正義や道徳を振り回す人達は苦しみを増やしている。
自分の心の底を誤魔化すから、他に凶暴になる。
そのままでは可哀想だが、幸せになるのは難しくないぜ。
「愛人」の一人になればいい。
「愛人」の仲間になればいい。
他を愛おしく思える人になればいい。
簡単な事だ。
キリちゃん(イエス)もそう言ってただろ。
ここまで書いて妄想は更に膨らむ・・・。
ワシの器がある。
とても小さな器だ。
だから愛人人数制限を設ける。
オナゴ、人間換算30歳以上なら誰でもいい。
ケモノ、妖怪、宇宙人、幽霊、神様でも可だ。
だがワシは数が多くなるとメンドウになる。
だから、アルファベットの26文字までだ。
(来るもの拒まずだから、一応の制限だなぁ・・・)
愛人宣言は勝手だが、依頼すれば規定料金はかかる。
(ケモノや幽霊は料金は払わないかなぁ・・・。
妖怪や宇宙人や神様は何かしてくれそうだなぁ)
ワシは生き方も仕事も区別できない・・・。
ワシは自他が幸せになる事が仕事であり、生き方だ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」