水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
漫才にはボケとツッコミがある。
何故あるか?
ボケだけだと終わらないのだ。
ツッコミは制止力でもある。
SとMがいる。
何故いるのか?
Sだけだとケンカになる。
Mだけだと進展がない。
M嬢と話していて、そういう事に気づいた。
何故なら、M嬢とMオヤジ(ワシ)では果てが無い。
止めてくれるツッコミ(S)がいないのだ。
M嬢は美女だがボケ専門だった。
ワシは生まれつきのボケ専門だった。
何の進展も無く、ボケの、やり取りだけが続く・・・。
我々は何処から来たのか?
そして何処へ行くのだろう?
嬢とオッサンは「存在の哲学」を意識していた。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
「先生、あまりに若いので別人かと思ったわ」
「Mさん、本当は20代だろ?」
「先生こそ本当は30代でしょ?」
「Mさん、実は10代だったりして?」
「先生も20代じゃない?」
「Mさん、高校生でも通るよ」
「先生、学生さんみたい」
「Mさん、中学生でいけるかも」
「先生、少年のよう」
「Mさん、幼女のあどけなさ」
「先生は子供の純粋さね」
「Mさん、赤ちゃんの笑顔だ」
お、おい!
誰か止めろよ!
しかし、嬢とオッサンは同じタイプだったのだ。
Mの特性・・・。
果てしなく、空しい会話は続いた・・・。
赤ちゃんより若くさかのぼるには・・・
・・・前世かぁ?
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
M嬢・・・30代と偽ったなぁ。
20代前半のネ~チャンじゃねぇか。
ワシは20代のネ~チャンは苦手なのだ。
出来る事なら無縁でありたい・・・。
だが治療依頼も兼ねてだから仕方ない。
しかも、ほっそりとした超美人。
ワシと一緒じゃ違和感がある。
ワシは美人にゃ強いが、違和感はある。
洗練された美人の若ぇネ~チャンとはなぁ・・・。
世の中、嘘つきばかりで油断がならぬ。
だがM嬢はあくまで30代だと言い張る。
身分証明書は見せてくれなかったが・・・。
今更、もう、どうでもいい。
騙される方が悪いのさ、どうせ・・・。
京都のオナゴと付き合った事はない。
というか・・・ほとんどのオナゴと付き合った事がない。
だから、京都のオナゴの特性だかM嬢の特性だか判らない。
ワシへのオミヤに桜香を用意してくれていた。
京のオナゴらしい心使いだ。
こうなりゃ仮に20代だったとしても許す。
洗練された超美人でも許してあげよう。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
何処かで初めて会う待ち合わせ。
多分、お互いに判るだろう、と思っている。
今まで判らなかった事はなかった。
ワシは余計な想像をしない。
だから想像が外れる事もない。
嘗てのメールのやり取り。
会える機会があれば・・・との話の中。
ワシは30代以上のオナゴでなければ嫌だ。
と書いたら、M嬢は何とか合格です、と返事した。
文面も30代以上の落ち着きがあった。
余計な想像はしないが、おおよその見当はつける。
35歳くらいの落ち着いた知的美人・・・。
今回も人中でお互いが判りあった。
だが、ワシは少々とまどったのだ。
予想は外れた・・・。
予想はよそう・・・。
(毎回同じオヤジ駄洒落・・・
芸人としては失格だ・・・)
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
天河には新幹線京都駅で近鉄に乗り換える。
そうだ!京都にはM嬢がいる!
ワシはクライアントに基本的にこちらから連絡をする事はない。
だが、ワシの「基本」など砂で即席に作ったものだ。
信念だって生き様だって、簡単に覆す事が出来る。
フッ、ワシは雲の生まれ変わりだぜ。
お互いに携帯番号とメールアドレスは知っている。
もう、ワシの事など忘れているかもしれんが・・・。
一応、京都に行く事を伝えた。
その時点ではワシの予定が不確定だった。
会える時間があるかどうかも不明だった。
M嬢から返信が来た。
「突然降って湧いた幸運に感謝感激です」
そんな言葉で返されたら・・・。
こりゃ、ヒョウが降ろうがライオンが降ろうが会わねばならぬ。
思えば、これがM嬢の特質だったとは気づかなかった。
そしてワシも水上なので、Mのオヤジだと気づくべきだった。
MとM・・・。
嬢とオッサンの運命は如何に?
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
京で深遠なる伝統織物の錦を観る。
ワシは天河から続いてマトモな世界にいた。
だが・・・ワシのマトモは長くは続かない。
ワシの魂はマトモと長く一緒にいる根性が無い。
不マジメなら、長く続いてしまうのだがなぁ。
その夜はクライアントのM嬢と初めて会う。
京のM嬢・・・。
もう、そのイニシャルだけで・・・妖しい。
ワシは怪しいのや、アヤシイのや、妖しいのは大好きなのだ。
特に妖しいのは魅力がある。
キッカケは昨年の9月にメールが来たのだ。
ワシの拙書「やすら氣・やわら氣・わらいの氣」購入依頼だ。
ついでに「氣入れ水晶」も購入していただいた。
何度かメールのやり取りをさせていただいた。
「氣」については素人ではない立場の人だった。
保健氣功中心で、練功を続け、指導もされているようだ。
文面からは、知性充分な魅力的なオトナのオナゴを感じた。
ワシの知性の基準は、おおらかなユーモアだ。
M嬢は優しく、おおらかなユーモアがあふれていた。
いつか、機会が訪れたら会いましょう。
最後のメールから8ヶ月が過ぎていた。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
作品を見ればいい。
それだけで解る。
日本の美だ。
そして熟練の技は芸術だと知る。
総合工芸は熟練の技の和。
そこには単体の熟練の集まりだけじゃない。
和が生み出す大きな魅力が加わる。
総合芸術は単体芸術とは次元が違う。
自然の仕組みに沿っている。
錦はキンキラキンの美しさではない。
深遠なる美しさなのだ。
伝統織物は和で成り立つから深遠になる。
和の美が織物世界では「錦」となる。
ワシは織物のホンモノに出会えたようだ。
ワシは
ラッキーなオヤジだぜ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
光峯氏は「錦」についてお話下さった。
織物世界と縁が無かったワシだ。
「錦」が日本の絹織物の最高工芸だと知らなかった。
錦を飾る・・・。
飾るモノなのだ。
最高の織物芸術作品なのだ。
世界に誇れる日本の美。
日本の伝統織物は優れた美を創りあげていた。
絹の断面が三角とは知らなかった。
その為にプリズムのように色が変化する。
その特色を活かした染色技術。
その特色を活かした織物技術。
金糸、銀糸等の製糸技術。
とても多くの工程に熟練の職人がいる。
丁寧に多くの時間と「氣」をかけて一つの工程がある。
それらが総合されて一本の糸が交わる。
一本ずつ「氣」を込めて織られていく。
多くの「氣」の塊。
それが「錦」となる。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
清浄なる吉野の奥の天河から下界に戻る。
本来が下品の俗物で創られたワシだ。
創ったのはグレちゃんだからワシの責任じゃない。
だが未だ(不本意ながら)清浄な部分が震えていた。
そのままのノリで京都まで来てしまった。
龍村師匠の案内で実兄の龍村光峯氏の工房見学させていただいた。
伝統織物美術家の光峯氏直接の解説はとても解りやすかった。
伝統織物は総合工芸であり、総合美術である。
言葉だけでなく作品が教えてくれる。
伝統織物は、とても多くの職人達が支えている。
しかも、それぞれが名人の域に入って統合された作品だ。
今の日本を支える企業の大元の知恵が織物工芸に含まれている。
その伝統工芸が絶滅の危機に瀕している。
これが、今の日本のまぎれもない現実なのだ。
日本の技術社会の未来は日本社会が自ら壊しているのだ。
このままでは、日本に明日は無い。
無能な政治家と目の前の欲だけを追いかける経営者。
未来を創る役目を放棄した専門家達。
明日を想像できない人々。
感性を培わない教育と社会。
伝統には未来を創るヒントが数多く輝いている。
輝きを活かすのは、我々一人一人。
下品な俗物のワシにも感性はある。
多分・・・誰にでもある。
それを震わす作品に出会えばいい。
ワシは京都でもラッキーだった。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
天河大弁財天社。
滞在時間は僅かだった。
だが質の濃さは時間じゃない。
深さは一瞬で届くのだ。
ここは、そういう場だった。
天河は呼ばれて訪れる所。
時期(縁)が整うと呼ばれる。
その時に訪れれば何かが震える。
それぞれの底にある何かが震える。
常に震わす何かがある場なのだ。
震えた(共鳴した)何かは目覚める。
多分・・・目覚める・・・だろう。
目覚めない事も往々にしてある・・・だろう。
そんな事ぁ、アヤフヤなのだ。
目覚めは自動じゃない。
それぞれがキッカケ(震え)を活かすかどうかだ。
ワシは・・・どうなる?
そんな事ぁ・・・わからねぇ。
だが、天河に来て、嬉しかった。
何かが震えたのは確かだ。
ラッキーだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)