水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
ワシの般若心経解説はHPで読んでくれぇ。
気に入ったら、出版社に推薦してくれぇ。
上手く宣伝したら、大化けする可能性も・・・
出版社もワシも読者も良いことになる・・・
ワシは出任せで書いている。
書かれてから自分で感心する。
こんな内容はワシの中にはない。
ワシは自分で書いたモノを、とても気に入っている。
「無」を「こだわらない」と訳した。
訳してから、その深さに感心していた。
ところが、最近の雑記で更に気づきがあった。
ワシが感心した以上に深い意味があったのだ。
(まぁ、独善独訳のタワゴトだと思って下さいね)
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
ブッちゃんは誰を対象に伝法したか?
社会の底辺で暮らす人々。
ケモノや鳥や妖怪達。
肉体が無くなっても苦しむ存在達。
全ての生きとし、生けるモノ達。
そういったモノ達が理解できる話だ。
ワシのような落ちこぼれが納得できる話だ。
偉い、立派な人達用の話じゃない。
それが「無と空」の話だ。
だから、ワシの訳の方がブッちゃんの意図に近い。
話言葉では「無」とか「空」などと言わないだろう。
そんな言葉では誰も理解できない。
「無」は「こだわらない」
「空」は「いいかげん」
誰でもわかるように話した。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
ブッちゃんの伝法。
それは仏教といわれるようになった。
優れた教えだ。
当然、受け継がれて伝えられる。
だけどなぁ・・・
伝えるのも、人間だもの。
組織を作るのは自然かもしれない。
それを維持し続けるうち、何か歪む。
本来のブッちゃんの想いと少しズレる。
組織は仏教に衣を着させた。
金糸の衣だ。
教えを難しく伝える。
伝える役の坊さんが偉くみえるようにした。
本来のブッちゃんの想いと益々ズレる。
偉い坊様の、有難い説教だぞぉ・・・
本来の優しさ(易しさ)から更にズレる。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
ワシはワシだが鷲じゃない。
王者が好みでもなく、好戦的でもない。
好戦的な生き方が愉しいとは思えない。
正しさを追求し他に押し付けると好戦的になる。
某米国の象徴が鷲だ。
ワシは、無と空が好みだ。
もちろん好みは沢山ある。
アレとかソレとかコレも好きだ。
煩わしくなければ、何でもいい。
ブッちゃん(仏陀)もそうだと思う。
当然ワシとブッちゃんとでは雲泥の差。
雲泥の違いなら、似たようなものだ。
どちらも、この世にある。
少なくても他に正しさを押し付けたりはしない。
好きなように話しただけだ。
どう受け止め、どう活かすかは聞いた方の自由だ。
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ワシは般若心経を訳してみた。
もちろん、アチコチからの訳を参考している。
だが、その表現は多分日本で唯一かもしれない。
かなり独善独訳的な心経解説だ。
「迷説般若心経」としてHPで公開している。
誰か出版社が商業出版してくれんかのぉ・・・
心経でキーワードといえば「無と空」だ。
ワシは独自の訳し方をした。
「無」を「こだわらない」
「空」を「いいかげん」
特に熟考を重ねたわけじゃない。
熟考など、ワシは好みじゃない。
熟女は、タイプによるが好みだ。
正直30代以下は苦手だ。
だが、ワシは熟年にはなれない。
大人の男も目指してない。
ワシはワシだ。
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皮肉なものだ。
社会的常識や教育や育ち方。
子供が周りの人の影響を受ける。
そして、そのように振舞う。
大人というものは・・・
心の底では反発する。
本来の自分を閉じ込めてしまうからだ。
反発をそのまま表に出すと野生猿の振る舞いになる。
本来の自分さえ失うと、魑魅魍魎になる。
我慢して押さえ込んで生活するのが普通の社会人。
大人を意識しないで育ったら・・・
きっと、素敵な大人になるだろう。
素敵な大人は素直な子供を持っている。
小人が自然と育てば大人だったのだ。
だから社会的な大人は歪んでしまった。
成人にはなれるけど、大人になれない。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
自分の道を歩いている。
だから他の(社会的)評価は気にしない。
だから他の道も認めていられる。
だから優しくできる。
大人だから・・・
成人式の野生猿達。
国会の魑魅魍魎達。
霞ヶ関の坊ちゃん達。
他から認めてもらいたいんだね。
大人じゃないから・・・
自分の道を歩けばいい。
見つける必要はない。
誰だって個性で生まれている。
自分の道は最初から付いている。
そうすれば、他の評価の必要はない。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
大人への固定概念。
しっかりしている。
社会(常識)的に通用する。
実績や実行力がある。
信念がある。
周りへの気遣いができる。
諸々に対応、適応能力がある。
等々・・・。
ところが・・・
いいかげん・・・
こだわらない・・・
社会的や常識的を意識しない。
い、いや、意識はする時もある。
だが、(強く・固く)こだわらない。
要するに・・・
子供みたいだなぁ・・・
夢など追いかけたりして・・・
自分の世界を大切にするから、他へも優しい。
固定概念の大人とは違うようだなぁ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
思い出した。
ワシが好きな方々。
故御師匠様や故・現先生達。
お会いできた特別な方々。
共通点があった。
やわらかさ。
優しさ。
こだわらない性格。
当たり前なのだ。
やわらかさ、優しさはこだわったら生まれない。
自分の好みや生き方と違う相手に接するのだ。
好きな相手なら優しくなれる。
そうでない相手に優しくできるのは「こだわらない」からだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
書き出した時。
ワシは大人になりたいとは思ってなかった。
(年齢的にはオツリが充分くる大人だが・・・)
大人とは、どういう人か考えてみようと思っただけだ。
「大人・たいじん」といわれる人が少ないからだ。
ところが・・・思わぬ展開・・・。
ワシは大人に成りたい。
ず~と目指していた人物像。
ある意味、それが大人だったのだ。
「いいかげん」な生き方と対応が出来る。
「こだわらない」生き方が出来る。
そして、ヒョウキンでイタズラ好き。
少しスケベ。
そういう人にワシは成りたいのだ。
それが、大人だとは知らなかった・・・。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)