水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷想中・迷走中・788」

2023-02-28 20:38:24 | Weblog


ある気功師・393

常に真言を唱え「氣入れ」しながら建設したネチューン寺。
その中に入るだけで心身に影響が出る。
同じように常に真言を唱え「氣入れ」した生薬。
これが効かないわけがない。
そして副作用もあるわけがない。

薬というのは生命を応援するモノだ。
生命は成分で応援できるわけじゃない。
そんな基本的な事さえ、現代の医学は劣ってしまった。
生命と他の物質を同じようにとらえてしまったのだ。

科学的に分析できるのは、ほんの一部なのだ。
生命をはじめ、この世の大部分は分析などできない。
そういう不可思議な世界に生きているのだ。
生きている、という事さえ分析など出来ない。


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「迷想中・迷走中・787」

2023-02-27 21:06:50 | Weblog


ある気功師・392

生薬となる原料を混ぜ合わせる。
単一の薬草だけではない。
根、茎、葉、花、鉱物、時には動物の一部。
そうして丸薬を作る。
どれほどの種類があるのか尋ねなかった。

その加工中の一工程毎にずっと真言を唱える。
ずっと「氣入れ」を続けるのだ。
そうして出来上がるのが、本物の生薬だ。
自然界の原料から作るのが生薬ではないのだ。

漢方薬などの生薬も本来はそうして作ったのだと思う。
だが、本当の作り方をいつからか伝えなかった。
あるいは、実行できなくなった。
真言、あるいは他の方法での「氣入れ」が出来なくなったからだ。
現代では、もっとも重要な「氣入れ」という概念も無くなった。


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「迷想中・迷走中・786」

2023-02-26 20:57:57 | Weblog


ある気功師・391

ある生薬となる植物の採取。
占星術を応用して〇月〇日の〇時頃とする。
それからが凄い。
その植物と対峙する。

真言を唱えながら、今日採っていいか尋ねるのだ。
その植物と対話するのだ。
人間の言葉ではないが、対話は成立する。
そして、その植物が納得すれば採取する。
しなければ採取しない。

そうして採取した植物を加工する。
例えば天日に干す。
その間も真言を唱えながらだ。
真言は「氣入れ」の実行だ。


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「迷想中・迷走中・785」

2023-02-25 20:42:17 | Weblog


ある気功師・390

チベットメディカルセンターでの講義と脈診。
その次に医薬工場を見学、解説していただいた。
ここでも目からウロコが落ちる。
生薬から丸薬になるまでを講義していただいた。

薬の原料となる植物を加工し薬を作る。
成分が含まれていれば生薬となる。
漢方薬などはそうして作られる。
私は、そんな浅い知識しかなかった。
私は、何も知らなかった。

触診でもそうだったが、薬も「氣」の医学の一部だ。
薬も「氣」が主なのだ。
更に占星術も取り入れている。
星の動きからの日時を決めるが占いではない。


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「迷想中・迷走中・784」

2023-02-24 20:27:55 | Weblog


ある気功師・389

あと何年かかるか知らない、
十数年か数十年か。
医学が予防医学、再生医学、○○医学になる。
その時になって、今の西洋医学や東洋医学以外の医学に目覚める。

古の医学の深遠さに気づく。
生命に新古は関係ないのだと気づく。
深さであり、精妙さだと気づく。
万人に証明など関係ないと気づく。

生命に理屈を求めるから浅い部分しか対処できない。
生命自体は知っているのだ。
何が生命の深部に到達するのか。
そこで、やっと、「氣」の医学が表に出る。


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「迷想中・迷走中・783」

2023-02-23 20:57:54 | Weblog


ある気功師・388

大統領や総理大臣は国の代表とはいえ一時的だ。
法王は国の存在と一体だ。
クテン師なども国の未来と一体だ。
そういった人達の健康を護る。
触診の名人は国を護っている特殊な人だった。

どの国にも代表者お抱えの医師はいるだろう。
お抱えの医師団もいるだろう。
だがレベルが違うのだ。
どの国の医師や医師団も代表者の健康を護り切れない。

現代の医学では、たった一人の重要人物も護れないのだ。
逆にいえば、特殊ではあるが護れる人がいる国。
それがどれほど稀で凄い事かわかるだろう。
科学的、現代的にこだわる事は国を護れない。


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「迷想中・迷走中・782」

2023-02-22 21:07:20 | Weblog


ある気功師・387

メディカルセンターでの触診の名人と出会った。
中医学の触診、脈診の名人とは違った。
脈を診るのではない、との事だ。
脈から「氣」を読み取るのだという。

私は一応、気功師だ。
私は落ちこぼれだが、気功師としてだけマトモだ。
多くの気功師と会ったが、私は能力があるようだ。
同じ気功師と会うと、その瞬間で相手の程度が判る。
私が、凄い、と感じたのは幾人もいない。

それなのに、脈から「氣」など読み取れない。
過去のその人の出来事など読み取れない。
病によってはその原因が浮かぶ事はある。
何があったか、何となく解かる事もある。
だが、とても曖昧で読み取るなんで程遠い。


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「迷想中・迷走中・781」

2023-02-21 21:05:44 | Weblog


ある気功師・386

とてつもない人との出会い。
それは何かを教えてもらえるからではない。
言葉ではない。
知識や知恵でもない。

出会い、そのものが特別な出来事なのだ。
出会う時間は関係無い。
1分でも1日でも影響はある。
だから、本物に会え、ということなのだ。

10年間学ぶより、本物と5分会え。
それが変わるキッカケとなり影響が起こる。
全員ではない。
深いところで共鳴した人だけだ。
影響は数年後、10数年後かもしれない。
本物は、とても、凄いのだ。


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「迷想中・迷走中・780」

2023-02-20 20:23:06 | Weblog


ある気功師・385

特別な人と出会う。
だが出会った全員に影響があるわけではない。
この世は物質と物質が接触すれば影響が出る。
物理的に双方に変化が起こる。

もう一つ影響が出る場合がある。
物理的に接触しないで出る影響がある。
音や光や言葉で無くても出る影響がある。
それが「氣」というヤツだ。

オシャレに波動とか表現する場合もある。
だが波動は「氣」の一部分だ。
まぁ、それでもいい。
モノには固有の波動がある。
それが双方、あるいは、片方に変化が出る時がある。
何らかの揺さぶりがあった場合だ。
それは一方的な強制ではない。


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「迷想中・迷走中・779」

2023-02-19 20:33:51 | Weblog


ある気功師・384

普通の人間を飛び抜けている人達がいる。
特別な能力がある人達がいる。
それは表舞台には出ない。
オリンピックやノーベル賞とは別な世界がある。
マスメディアには決して出ない人達がいる。

どんな基準があるのか知らない。
基準など無くて、気まぐれかも知れない。
普段会えない特別な人達に出会える事がある。
それは、とてつもない僥倖なのだ。

だが、僥倖すぎて、その時には気づけない。
普通の人の私達は、ネコに小判なのだ。
それでも相手が超人すぎるから影響はある。
ただ会うだけで、身体の内に何かが変わる。
ただ会うだけで、僥倖なのだ。


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